第28話 定め
雅は、膝に手をついて「はぁはぁ」と激しい呼吸を整える。
気付けば森を抜け、そこには村の田園風景が広がっていた。
そして「黒蜜……」とふと呟く。雅は自分が何をしているのかも、何をしたいのかも分からなかった。あれだけ信頼していた黒蜜が父の仇だった。その事実に今までの自分が否定され破壊され、頭の中が真っ白になっていた。
そして、ふと前方を見ると、四人の少年たちがいた。
「あれは……あの時の喧嘩をしていたワッパ共……」
背の低い少年が、前を歩く、以前その少年を虐めていた三人組に向かって近づいていく。
またイジメが発生してしまう。雅が危惧し、声を掛けようとした瞬間の事だった。
「うわぁぁ! 逃げろ! 健次郎じゃあ!」
虐めていた少年の一人が、背の低い健次郎というらしい少年の姿に気付くとそう声を上げた。
そしてその声を皮切りに、三人はまるで鬼の子でも見るように健次郎のもとから去って行く。
雅は不思議に思い健次郎のもとへと近づいていった。
健次郎は雅の姿に気付くと「お? おっちゃんか、また会ったな」と声を掛けてきた。
「……おっちゃんではない。にしてもワッパ、さっきのはどういうことじゃ? あの三人はお主を見て逃げ帰ってしまったようじゃが」
「あぁ、あいつらか。この前からあの調子よ」
「この前? ……一体何をしたらあんな状態になるのじゃ」
「ふん。あんまりしつけーから、これを振り回したんだよ」
すると健次郎は懐から小刀を取り出した。鞘から少し引き抜き、キラリと光る刀身を見せる。
「え……そ、そんなものを……」
「あんだよ、文句でもあんのか? そういやあんた、俺に説教してたよな。絶対に人を傷つけるなとか言って」
「あぁ……言っていた」
以前雅は、自身の言葉を完全無欠で正しいものだと思い込んでいた。しかし、先ほどの事実が発覚し、雅が考えていた前提は、黒蜜によって植えつけられていたものだと思い知った。
「そんなんじゃ駄目じゃ。一度ガツンと食らわしてやらんと延々搾り取られるだけじゃ」
健次郎の言葉は今の雅のまっさらな頭にすんなりと浸透していく。
「そうか……そうかもしれんのう」
雅はそう呟くと、ふと遠く山の麓まで続く田園風景を見つめた。数百mごとに地面から生える柱。上に視線を滑らせると赤い恒星が爛々と輝いている。
「……お主はすごいのう」
そんな事を言い出した雅に健次郎は「え……な、なんだよ急に」と意外そうな目を向ける。
「いや……私には実は、信念なんぞなかったのかもやしれん。きっと本当は、ただ恐ろしかったのじゃ。敵に戦いを挑む事が」
「なんだ、もしかしておっちゃんも誰かにイジメられてんのか?」
そう言われて雅は、自身の状況を、この国の現状を顧みる。
「あ、あぁ……まぁ、そうとも言えるやもしれん」
すると健次郎は「そうかそうか」と頷き、手にしていた小刀を雅に差し出してきた。
「じゃあこれを貸してやるよ」
「え……それを……しかし、いいのか?」
「あぁ。でもちゃんとそのうち返せよな」
雅は少し考えたあと、その刀を手にした。そしてぐっとそれ握りしめ、
「……あぁ、では有り難く受け取っておこう」と言って懐へとしまったのだった。
「ところで、ひとつ訪ねたい。そもそもなんでそんなタカリが始まってしまったのじゃ」
雅はふと気になり、健次郎に尋ねた。
「それは……この国が根来に負けたからじゃ」
その返ってきた健次郎の言葉に、雅はドキリとさせられる。
「そのせいで、いきなり収めなきゃなんねぇ年貢が増えて、皆が貧乏になっちまっただろ? ウチの畑はその辺の家より広いから妬まれておったんじゃ。まったく……働いても、働いても、何の蓄えも出来ん。これじゃあ何のために生きてるのかも分からん。これも全てあの城にいる腑抜けの国主が悪いと、うちの父ちゃんも言っておるわ」
健次郎は山の上の四代城を指差して言った。
「そ、そうか。すまん……」
「あ? なんでおっちゃんが謝るんじゃ?」
雅が「それは……」と、自身の正体を明かしてしまおうかと思った時だった。
「ん……? あれは……」
健次郎が何かに気付いたようだった。見ると黒蜜がこちらに向かって走ってきていた。
「雅様!」と黒蜜は呼びかけてくる。
健次郎は「え……」と口を開き、黒蜜と雅を交互に見比べている。
「雅様って……ま、まさかあんたが、国主さま!?」
雅は「あぁ」と頷き答える。
するとその瞬間、健次郎は膝そして額を地面に叩きつけるようにして土下座した。
「も、申し訳ありません! 前々からとんだご無礼を!」
「いや……かまわぬ。面をあげい」
健次郎は恐る恐ると言った表情で顔を上げ、雅の顔を見上げた。
「う、打ち首などにはなりませんか。わたくしめの父も無礼な事を言っておりましたが……」
「はは、何をいう。私はむしろお主には感謝しておるのじゃ」
健次郎は「え……」と、キョトンとした顔をする。
そして黒蜜が雅のもとへとたどり着いた時だった。「待てぇ!」とその後方から杏が追ってくる姿が見えた。二人は抜刀しジリジリと距離を縮めていく。
そして、ついに杏が斬りかかろうとした時だった。
「待て、杏」と雅は杏に声を掛けた。杏は「し、しかし雅様!」と何とか踏みとどまる。
「私は彼女と話さなくてはならぬのだ」
その時の雅からは何か並々ならぬ迫力が、そして確かな意思が感じられた。
その気迫に杏は、とりあえず刀を構えながらも黒蜜に斬りかかる事をやめたようだ。
「有難うございます雅様。私は貴方に聞いて頂きたい事があり、ここまでやってきたのです」
「……なんだ、言ってみよ」
すると黒蜜は刀を構え、雅に背を向けながらも話を始めた。
「私は確かに根来から遣わされた身。悠河様を暗殺するよう命を受けたのも事実です」
黒蜜は刀から左手を離し、自身の胸に当てる。
「しかし、私がその命を受けた理由は、悠河様が戦を望まれていたからです。悠河様が生きておられれば、今現在多くの死者が出ていた事でしょう。考えてもみてください。私の行動により、多くの民は救われたのではありませんか」
「それは……」
「私が平和を望む気持ちには偽りはございません。どうか信じて頂きとうございます」
雅はしばらくして「そうか……」と目を瞑り口を開く。
「確かに、お前の言っている事は分かる。私はお前のその言葉にずっと賛同してきたのじゃ」
雅の言葉に黒蜜は「雅様……」と母が子に向けるような優しいまなざしを雅へ向ける。
「雅様。ならば姫様に命令してください。私に向ける刃を収めるようにと。私達が争う理由などないのですから。そして私と共に、平和な未来を築いていきましょう」
すると雅は瞼を開き、強い視線を黒蜜へと向けたのだった。
「じゃが……すまないが、それは出来ない」
黒蜜は雅の回答に「え……」と一瞬あっけにとられた顔をする。
「な、何を言うのですか雅様!」
「お前が言うように戦が始まれば犠牲者が出るじゃろう。じゃがな……私は気付いたのじゃ」
雅は、その場で先ほどから目を丸くして佇む健次郎に、そして周囲の土地に目を向けた。
「私が負けを認めたために、この国は虐げられ、文化を失い、そして搾取されてきた。そのようなギリギリ状態で生き続けても、それは活きていると言えるのか……」
雅は拳を握りしめ、声を張り上げた。
「いいや違う。人は生きながらにして死んでいく事もある。ならば危険を犯し、犠牲を伴ってでも戦い、そして勝利を掴むべきである! それがこの世に生を受けた者の定めじゃ!」
雅の声に黒蜜は驚きの表情を浮かべていたが、落ち着きを取り戻したように目を伏せた。
「そうですか……それが雅様の出された答えなのですね……」
「あぁ。まるで今まで長き眠りについていたような感覚じゃ。じゃが、眠りの中で見ていた生暖かい夢も、もう終わりじゃ。これから私は戦を指揮しこの国を勝利に導く。それが国主としての務めなのじゃからな」
その言葉に杏が「おぉ……」と感嘆の声を上げた。
するとその時、黒蜜は持っていた刀の柄を強く握りしめた。
「ならば……私は……戦を起こそうとするあなたを止めなければなりませぬ!」
「なっ!」と、杏が反応するが距離が離れすぎている。
そして黒蜜が振り向き、雅へと刀を向けようとした瞬間だった。
「うぐっ……」
黒蜜はその体をねじらせるようにしたまま止まり、たたらを踏んで雅から離れた。
すると雅の手には先ほど健次郎からもらった小刀が鞘から抜かれた状態で握られていた。
杏が「雅様!」素早く二人の間に割って入る。そして雅を守るようにして刀を構えた。
黒蜜は体勢を立て直して顔を上げる。
「く、くくききき……自らいばらの道を歩むおつもりなのですね……雅様」
「あぁ……」
「私は……平和を愛する雅様を愛しく思っておりました」
「そうか……じゃが、残念ながらもうその雅はここにはおらぬ。私はこれより先に進む」
「……ならば私は根来へと戻る事に致しましょう。これから私達は敵同士でございますね」
その瞬間、黒蜜は懐から何かを取り出し地面に向けて投げつけた。破裂音と共に煙が広がる。
杏が「雅様! 下がってください」と、刀を構えたまま片腕で雅を抑え、後方に下がらせる。
そして煙が晴れた時には、もう黒蜜の姿はどこにも見当たらなかった。
「消えた……?」
「いえ、遠くに姿が見えるわ。追いつけそうもない速度で離れていく」とイコの声。
「……二度も刀を受けたはずだというのに。あの女の体は一体どうなっている」
雅が持つ小刀には、やはり血が付着していなかった。薄手の鎖帷子でも着ているのだろうか。
「杏、助かった。大義である」
そう雅に言われ、杏は「いえ……」と答えながら刀を収めて、雅に体を向けた。
「ところで雅様……先ほどの御言葉、真摯に受け止めてもよろしいのでしょうか」
「あぁ、もちろんじゃ」
「では……!」と杏が声を上げてきたので、雅は手を挙げ、その先の言葉を止めた。
「皆まで言う必要はない。お前がやりたい事は分かっている。リオンを救出したいのだろう」
「そ、そうです」
「戦を行うならば奴の存在は必須。力は惜しまない。全力で、国を挙げてリオンの処刑を阻止させようではないか」
その言葉に杏は表情を明るくさせ「は、はい!」とキレのいい声で返事をした。
その時「お、お殿さま」と雅の横から呼び声が聞こえた。健次郎だ。
「なんじゃワッパ」
「これで、戦に勝てば、もうあんな年貢に苦しまされる事もなくなるんでしょうか」
「あぁ、もちろんじゃ」
「来年も四代祭りは開催されるのでしょうか」
「あぁ、約束しよう。あの神社の祭りも再建させる。全ては元通りじゃ」
「いよっしゃー!」
すると、今まで姿勢を低くしていた健次郎だったが我慢できなかったようで、飛びあがるようにして起き上がり拳を天に向けて突き上げた。
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