第27話 逃避

 その二日後の夜、杏の部屋にイコがやってきた。


「ついに雅が操られているという証拠を掴んだわ」


 杏はその報告に「ほ、本当か」と、つい手を床につき、前のめりなる。


「雅は抜け道から城を出て、西の村を抜け、森の中に立つ民家に入っていったわ」


「民家……それで? その民家には誰がいたのだ」


「言葉で説明するのは面倒ね。映像で見せることにするわ」


「映像……?」


 すると杏の前に平面の映像が映し出された。イコはそれに「おぉ!?」と驚嘆の声を上げる。


「これは私が実際に目撃したものよ」


 六畳ほどの部屋には雅と、そして長い黒髪で白い和服を着た美しい女がいた。二人は囲炉裏の前で肩を並べて座っている。


『あぁ、黒蜜……私はどうしたらいい』


 イコの体から、雅の声が聞こえてくる。どうやら音声も記録していたようだ。


『このままではリオンが三日後には処刑されてしまうらしい。彼はこの国の守護神かもしれぬと言われている男。そのような男を本当にこのまま何もせず死なせてしまっていいのか……私になら助ける事も可能かもしれぬというのに』


 突っぱねていた割には雅は案外悩んでいたらしい。黒蜜と呼ばれた女は雅の手をとる。


『雅様は本当に心優しい方なのですね。そのお気持ち、よくわかります。しかし、雅様がもしリオン様を助けるというならば、それは再び国と国同士の争いに発展してしまうでしょう。そうなれば、間違いなくより多くの死者が出てしまいます。雑賀にも、そして根来にもです』


 それは、杏が雅の口から聞いた言い分とほぼ同じものであった。


『人と人の命の価値は同じだというのに、一人のために、そのような犠牲を出してしまってもよいのでしょうか』


『……あぁ、確かにそうだ、その通りだった。分かってはいたが、改めてお前に言われると何だか自分の気持ちに自信がつくよ』


 映像が終わり杏は「この女が元凶という事か」と呟く。イコは「えぇ」と返事をする。


 しかし杏は「ううむ、だが……」と顎に拳を当てて考え込んでしまった。


「この女にも一つの信念があるといえばあるようにも思える。雅様はそれに共感しただけ、とも言う事も出来るのではないか。そうであれば操られているとまでは言えない。このような事実があったとしても、簡単に状況をひっくり返す事は出来んかもしれんな……」


『そうね。確かにこれだけ見ればそう思えるかもしれない。でも実は映像はもう一つあるの』


 そしてそこから新たな映像が始まった。杏はそれを見て「こ、これは……」と衝撃を受けた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 その二日後、雅が抜け道から一人、城のへと出たと聞き、杏はイコと共にその姿を追った。


 するとやはり雅は西の村を越え、森に入り、例の民家へと入っていったのだった。


 杏は戸を開き正面から民家へ足を踏み入れる。すると居間で雅が黒蜜に膝枕をされていた。


 雅は「な、何事じゃ?」と飛び起きた。その瞬間にイコがアバターを出現させる。


「杏……それにイコ!? なぜこんなところに」


 杏は変わらず正座をしている黒蜜へと指先を向ける。そして初っ端からその確信に触れた。


「雅様、あなたはその女に騙されているのです」


「い、いきなり押しかけてきて何を言い出すのだ!」


「……失礼ながらお二人の会話、拝聴させて頂きました」


 杏がそう言うとイコがその場に雅と黒蜜の会話を映し出した。杏が最初に見たものだ。


 すると雅は最初衝撃を受けていたようだったが、杏達が何を言いたいのかを理解し、観念したように「そうか……これを見たか」と肩を落とし、視線を床へと向けた。


 これで雅は反省し、改心したかと杏が期待した時だった。


「お待ちください、姫様」と、黒蜜が初めて口を開いた。


「それは思い違いでございます。私はただ正しいと思った事を口にしただけ。雅様を騙した覚えなどございません。雅様は私の言葉にご同意して頂いただけなのではありませんか」


 雅は、黒蜜に問われ「確かに……」と、罪の意識が薄れたようにその顔を上げた。


 だが、そんな反論を受ける事は杏とイコも想定済みだ。杏は一度ため息をついて、口を開く。


「雅様、ならばお話ししましょう。これから私がお伝えする事は雅様にとって、大変おつらい事実となるかもしれませんが……どうか心してお聞きください」


 雅は何を言い出すのかという顔を杏に向ける。すると杏は家の奥にある戸に指先を向けた。


「その納戸には、赤い刀身の刀が隠されています。それに、大量の白い包帯もです」


「え……」


「雅様、あなたは言っておられました。先代悠河様とその従者達を殺した刺客、その人物の得物は、根元から切先まで鮮血を浴びたように真っ赤な刀身を持つ刀であったと……つまり、その女こそが悠河様を討った刺客なのです」


「な……! 何をいうか! 黒蜜があの刺客など……馬鹿げている!」


 雅は手で空を斬り黒蜜を見る。しかし、黒蜜は否定もせず、その場で黙ったままである。


「く、黒蜜……何か言ったらどうじゃ」


「その女は、雑賀の百姓なんかではなかった。根来が送りこんだ工作員だったということよ」


 雅はイコの指摘に「だ、黙れ!」と声を上げる。杏はそこでビシリと黒蜜を指差した。


「イコの言うとおりです。その女が雅様を殺さなかった理由は、雅様ならば言葉で諭せると思ったから。雅様を通して、この雑賀を裏から操る事が出来ると判断したからなのです」


「黙れと言っているんだ!」


「今朝、この村の村長にも尋ねました。すると、ここはずっと空き家で、黒蜜なんて女は聞いた事もないそうです」


 雅は耳を抑え、目を強く瞑っている。しかし杏の言葉は聞こえてはいるはずだ。


「く、くくく、くききき」


 するとその時、ギロを鳴らしたような音が部屋に響いた。何事かと部屋内に目を配す杏。


 だがそれは楽器でも虫の声などでもなく、どうやら黒蜜の笑い声だったようだ。


「くききき……バレてしまえば仕方ありませんね」


 黒蜜は立ち上がり、杏にその大きな蛇のような目を向けた。口端が裂けるように横へと開く。


「黒蜜……嘘だと言ってくれ」


「残念ながら雅様、その女が言う事は事実なのです……」


「そ、そんな……」


「しかし雅様、聞いて頂きたいことがございます。まぁ……でもそれはその女を八つ裂きにしたあとにでもゆっくりと話す事に致しましょう」


 次の瞬間、黒蜜は納戸に向かって突っ込んだ。戸を突き破る無茶苦茶な行動に、杏は目を丸くする。そして再び戸の先から姿を現した時、黒蜜はやはり赤い刀身の刀を手にしていた。


 杏は腰に提げていた刀を鞘から引き抜き、黒蜜に声をかける。


「貴様は悠河様に仕えていた侍、約三十名を殺したらしいな」


「はい。あの時はあまりの手ごたえのなさに興ざめでした。しかし、月島家の者はただひたすらに剣術に人生を捧げ、その実力は国からも高い評価を受けているとか。姫様、貴女ならば少しはこの私を楽しませて頂けるのでしょうか?」


 そして二人は同時に刀を構えたのだった。


「下がっていてください雅様!」


 次の瞬間、黒蜜が斬りかかってきた。なんとか杏はその太刀を受け止める。


「くっ……! 速い!」


 やはり、三十人の侍をたった一人で斬り捨てただけの事はあった。次々と頭や胴、小手を正確に狙ってくる。杏はその攻撃に防戦一方と言ったところであった。


 杏は一端部屋の端まで引き、そして力を溜めるようにして黒蜜に向かって斬りかかる。


「キキキ! 遅い!」


 黒蜜の振りぬいた刀の切っ先は、杏の首を捕えてしまった。杏の頭は胴体から切り離され、ポンと宙を舞う。そして、一瞬遅れるようにして、鮮血が首の動脈から噴き出した。


 ニヒリと口角を上げる黒蜜。雅は「うわあああ!」と悲鳴を上げる。


 しかし次の瞬間、杏の姿はモザイクが掛かったように変化し、そして霧散してしまった。


「なに……!?」


 その時には黒蜜の懐に、本物の杏が飛び込んでいた。胴に一太刀を入れる。


 先ほど黒蜜が斬ったのは、イコが用意したホログラムだったのだ。


 黒蜜は「うぐっ!」と斬られた腹を押さえる。


 杏はそのまま前転して低姿勢のまま踵を返し再び刀を黒蜜へ向ける。


「なんだ……? 手ごたえが……」


 杏は自身の刀を見る。どうも人の身を斬った感触ではなかった。刀身に血もついていない。


「薄手の防具でも着ているのか……」


 だがダメージはある様子。杏は立ち上がり止めを刺そうとズンズンと黒蜜に向かっていく。


「ま、待て! 殺すな!」


 するとその時、杏の前に雅が立ちはだかった。両手を広げ、杏を制止させる。


「なっ……! 何を言い出すのですか雅様!」


 雅は杏に視線を向けたまま「逃げろ黒蜜」と指示を出す。


「あ、ありがとうございます雅様」


 そして黒蜜は踵を返し、戸を突き破って外へと逃げて行ってしまったのだった。


「ば、馬鹿な事を! あの女の所業、忘れたわけではありますまい!」


 杏はこの国の主である雅の行動に、つい激高してしまう。


「そ、それは……」


「あの女は悠河様を殺した! それだけではありません! 雅様を騙し! そして手のひらの上で操っていたのですよ!」


「や、やめろ……! 言うなぁッ!」


 雅は頭を抱え、踵を返して玄関から外に出て裸足のまま駆けて行ってしまった。


 杏はその様子をポカンとした表情で見つめる。すると杏の横にイコのアバターが姿を現した。


「まさかあいつがあそこまで愚かだとは思ってなかったわ。せっかく事実を暴き出したのに」


「……正直、私にも擁護出来んぞ。自分の父の仇を身を挺して守るとは……」


「どうするの? 二人は別方向に行ってしまったみたいだけど」


「そうだな……とにかく、あの黒蜜を優先的に追うことにしよう。これ以上この国をあんな女一人に引っ掻きまわされる訳にはいかない。雅様への説得はあとから何とかしてみせる」


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