第26話 イコと杏

 そしてそれから二日後、雅は部屋から目の前の中庭を眺めていた。池の鯉に餌を与えている。


 この日もそんな何もない日になるのかと思ったのだが、赤虎が雅の部屋を訪ねてきた。


「今日は神社で四代祭りがありますぞ。おそらくこれが最後の祭りの年……。雅様も顔を出されてはいかがですかな」


 その祭りとは杏が演舞を行うと言っていたものだろう。雅は断るかとイコは予想したのだが、


「うむ……そうじゃな」と意外にも承諾した。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 その日の夜雅は駕籠に乗せられて神社へと向かった。当然イコも道の外れからその姿を追う。


 神社の境内にたどり着くと、数日前に建設されていた舞殿が完成されていた。


 拝殿や本殿なんかは焼かれてしまったが、社務所は残っている。雅は従者達と共にその社務所の二階へと上り、舞殿を見下ろせる特等席へと座った。イコはその屋根の部分へと登る。


 舞殿の上には笛や太鼓、琵琶など楽器を手にした演奏家が座っている。四隅ではがかり火が焚かれ、その周りを沢山の見物人が囲っていた。


 そしてそこから十分ほどが経つと演奏が始まった。民衆から拍手が沸く。


 斉館から杏が出てきた。白い小袖に朱色の袴、その上に千早と呼ばれる薄い上着を羽織っている。それが巫女の服装らしい。杏は極めてゆっくりと歩き、舞殿への段を上ったのだった。


 そしてそこからしばらく手に持っていた扇を持って杏は舞と舞っていたのだが、邪鬼役と思しき三人が後方から舞台へと上がってきた。角の生えた黒い仮面をつけていて、いきなり刀を抜き、周囲を威嚇するようにして怪しい舞いを舞っている。


 すると、杏も腰に帯刀していた刀を引き抜いた。青い刀身、あれは朧月を模したものか。そして四名による演武が始まったのである。


 イコの目は遠方からでもはっきりと捕えていた。その洗練された刀の流れ、それに伴い靡く振袖と長い髪。杏の額からはきらめくようにして汗が床へと落ちていく。


 その様子を見ているとイコは何だか自身の感覚が普通ではなくなっている事に気が付いた。


 なんだろうこの高揚感は。あんな演舞など、まるで意味のない行動のはずだ。


 しかし理屈では語れない何かをイコは感じ始めていたのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 祭りのあと、城の中では宴会が行われていた。祭り事なのだから楽しい行事のはずだったが、なんだかその空気は重かった。戦に負け、今回でこの祭りも終わってしまうからであろう。


 杏は宴会半ばで一人その場を抜け出してしまった。


 物見小屋の上に登っていき、手すりに腕を乗せ、ぽつぽつと光の灯る下方の城下町を眺める。


「何だかお疲れのようね。いいのかしら。一人だけ抜け出してきて」


 イコは酔っぱらった雅を放置して杏の元へとやってきた。どうせ今監視してもほとんど意味などないだろう。手すりの上に乗り、同じように町に目を向ける。


「イコ。はは……私は酒があまり得意ではなくてな。あの場所にいれば家臣達に酒を延々つがれてしまうので早々に逃げてきたのだ」


 イコは杏の顔を覗き見ると、ほんのりと赤く染まっているようだった。風が杏の髪を揺らす。


「それにしても、なかなか良かったんじゃない。今日のあなたの演舞は」


「ほう? お前が私を……いやこの国の者を褒めるなど始めての事に思えるな」


「そうだったかしら?」


 イコはこの星の人間を人間だとは認めていなかった。第二種人権を持つ自身と比べれば、人権のない下等な存在のはずだ。


「ところで、あの光が何なのか、あなた達は知っているのかしら?」


 杏は「ん?」と、イコが示す先が天空に浮かぶ星々だという事に気付いたようだ。


「星か。詳しい事は分からん。ただ我々の間ではあれ一つ一つが魂の写しだと言われている」


「魂の写し……?」


「人が生まれる度に一つ増え、人が一人死ねば、一つ減っているのだとか」


 イコはその話に呆れるように「勘違いも甚だしいわね」とため息をつき言う。


「なんだ……結局否定するのか。さっきまでは私達を認めてくれるような雰囲気だったのに」


「文明レベルは致命的なくらいに低いことは確かね」


 それからしばらく二人は何だかその場で話し込んでしまった。杏はこの雑賀の文化や歴史について様々話すが、イコはそれを鼻で笑う。しかしそれにはあまり嫌味のようなものはなかった。友人同士がからかい合うような、そんな和やかな雰囲気さえ感じられたのだった。


 そして、その一時間後、下方の外廊下に人が列をなして歩いている様子がイコの目に入った。


「どうやら宴会が終わったようね。また雅の様子を見に行かないといけないわ」


「そうか、よろしく頼む」


 その後、雅が部屋に戻り就寝するのを見届けた。イコは眠る必要のない人工知能だ。


 イコはただ今日の出来事についてひたすら人工脳内で反芻し続けた。


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