第25話 監視

 その日の夜、杏は城にある露店風呂に入っていた。他に人の姿はなく、独り占めの状態だ。


 星空を見上げながらついため息をついてしまう。リオンは危機にさらされているというのに、こんなゆっくり風呂になど入っていていいのだろうか。しかし入らなければ体臭が気になる。


 拳を握りしめ「こうなったら一人でも!」と言うが、次の瞬間には意気消沈してしまう。


『考えてもみろ、なぜ根来がリオンをすぐに殺さなかったのか。その理由を』


 雪丸のそんな言葉を思い出してしまうからだ。


「……分かっている、そんなこと……」


 敵の策略にハマっても喜ぶのは敵だけだ。だとしたらもう道は全て閉ざされてしまったのか。


 杏がそんな考えの袋小路にたどり着いてしまった時だった。


「杏」と、呼び声が聞こえた。杏は湯からザバリとその場に立ち上がり「だ、誰だ!」と叫ぶ。


 そして風呂の縁に置いてある刀の入った鞘を手にし、胸を隠す事もなく周囲を見渡す。


 すると次の瞬間、杏の前にイコのアバターが姿を現した。


「イコ……!? どうしてここに。ま、まさかリオンが近くにいるのか!?」


 杏はその瞬間に胸を隠して左右を見渡した。しかしイコは首を振ってそれを否定する。


「……つまりお前は、リオンの傍から離れる事が出来たのか」


「えぇ、地面を見て」


 イコがそういうと、風呂場の端の植栽の中から黒いサソリが姿を現した。


「な、何だこの虫は……?」


「それが私の本体よ」


 杏の頭は混乱する。このサソリがイコの正体?


「私の体、リオンの腕にずっと絡みついてたんだけど覚えてない?」


 杏は「そういえば……」と思い返す。リオンは常に腕輪のようなものをしていた。その姿は思い返せば、このサソリの姿をしていたかもしれない。


「この女の姿はアバターと呼ばれるホログラム。つまり実体のない幻覚のようなもの。このアバターは私の本体であるこのサソリ型の体から発生させられているの」


 言っている意味がよく分からなかったが、杏は「ほ、ほぉ」ととりあえず頷いておいた。


「にしてもよくぞ無事で帰ってきてこれたものだな。もしや、その姿で歩いてきたのか?」


「いえ、船に乗って帰ってきたわよ。船は以前から置いてある場所にあるわ」


 イコ一人でも操縦できたらしい。イコの本体は風呂の縁に移動し、アバターもその隣に座る。


「ところで、リオンの現状はもう耳にしているかしら?」


 杏はなんとか落ち着きを取り戻し「あぁ……」と返事をしながら再び湯の中に身を沈めた。


「敵に捕まってしまって来週の月曜にヨンロク門の前で公開処刑が行われると聞いている」


 イコは「そう……公開処刑ね」と呟き、腕を組んでしばらく何かを考えているようだった。


「ところで朧月はどうなったか知っているか? やはり敵の手に渡ってしまったのか」


「いえ、二つとも刀があちらの手に渡ってしまえばそれこそ終わりだからなんとかそれだけ死守したわ。朧月は今、私達の船の中に置いてある」


「そうか……ありがとう。お前のおかげで本当の絶望的状況は回避したわけだな」


「そうね。でも、情けない話だけど、私一人の力で出来ることはここまで。単独でリオンを助け出す事は不可能よ。杏、出来ればあなたに手伝ってほしいんだけど」


 その言葉を聞き、杏はしばらくの間沈黙したあと首を横に振った。


「あぁ……そうしてやりたいのは山々なのだが。残念な事にそれは今難しい状況にあるのだ。国の力なしにリオンの救出は難しい。しかし、雅様を説得する事もそれはそれで難しい……」


「……でも、難しいとしても可能性はゼロではないでしょ? あなただけでも手伝ってくれないかしら。リオンのいる場所へは案内出来ると思うわ」


 杏は「え……」と口を開く。イコは命を惜しまずにリオンを救い出せと言っているようだ。


「……私も最初はそう思っていた。だが雪丸に言われて考えが変わった。一人で救出しようとしても無駄死にして敵を喜ばせるだけだ」


「そう……」


「すまぬ。せっかく私を頼ってきてくれた所悪いが、結局国を……雅様を説得できない限りリオンを助け出す事は難しいと思う」


「なら、そっちを頑張るしかないわね」


「しかし、もうその説得は試みたのだ。だが、雅様は聞く耳は持たぬようで、頑なに戦う事を拒否する。まぁせっかくだ、お前からも話をしてみるか? たぶん徒労に終わるとは思うが」


 イコは「ふむ」と再び少しの間何かを考えている様子であった。そして杏に顔を向けてきた。


「実は、私には一つ、以前から気になっていた事があるの」


 イコのアバターは風呂の縁の上に立つと、そのまま湯の上を歩いて杏に近寄ってきた。


「彼は……雅は元からあんなに頑固者だったのかしら?」


 言われて杏は過去の雅の様子を思い返した。


「それは……そうでもなかったかもしれぬな。むしろ雅様は昔からあまり自分の意思を持たない人物だったように思える。悠河様の言われるままにこの城に来て修行していた」


 優柔不断で、そして流されやすいという印象を杏は雅に対して持っていた。


「そう。でもそれがいつの間にか変わってしまった。今は誰に反対をされても頑なに戦わない意思を貫いている。それはどこか信念のようなものさえ感じる。何かおかしいと思わない?」


「まぁ、矛盾しているのかもしれんが……。それでお前は結局何がいいたいのだ?」


「これを矛盾がないように考えるならば、一つの仮説が浮かび上がってくるわ」


 イコはすっと湯の中に音もなく沈むと、杏の傍にまで寄り、耳元に口を近づけてきた。


「雅は結局何も変わってなんかいないのかもしれない。つまり実は今も大した自分の意思なんてなく流されるがまま。今度は別の誰かの操り人形になっているだけなのかもしれない」


「操り人形? 一体誰がそんなことを……」


「それは私が聞きたいわね。最近雅によくアドバイスをしている人物とかいたりしないの」


「いや、私には特に心当たりはないな……雅様は城で孤立していた。普段何をしていたのかも、正直よく分からん」


「そう……まぁいいわ。なら雅を監視してみましょう」


「え……監視なんて……それはさすがにマズいのではないか」


「大丈夫。私の体の事はあなた以外には知られていない。この体なら、まずバレる事はない」


「確かにそれはそうかもしれない……。って、いやいやそういう問題ではなかろう!」


 かぶりを振って否定する杏。イコは横目でそんな杏に蔑むような視線を投げてきた。


「そんな事言ってられるの? リオンの命が掛かっているのよ。もし今の決断が雅自身によるものではないと判明すれば、全てをひっくり返せる。そうでしょ?」


「う……それは……そうかもしれないが」


 杏はしばらくの間、自身の忠誠心と葛藤していたようだったが、肩を落とし、


「……分かった。確かにお前の言う通りだ」と言って結局了承した。


「はは……こんな事がバレたら打ち首ものだな。私は国の為に動いているはずだというのに」


「……国のためではなくてリオンの為でしょ」


「え……い、いや……そういうわけでは……私は国のために動く事が使命であって……!」


 杏は手をわたわたとさせて、言い訳がましい言葉を口にする。


「むしろ私にとっては、その方がお互い行動原理が一致していて好都合だわ。手を出して」


 イコのアバターはイコの本体に指先を向けた。杏は風呂の縁にいるイコの本体に手を伸ばした。すると、杏の腕にイコがするりと絡まってきた。最終的に腕輪のような形で固まる。


「これからしばらくここにいさせてもらう事にするわ。よろしく」


「あ、あぁ……よろしく……」




 風呂から出たあと、杏は雪丸の部屋に出向き、イコがやって来た事を報告した。


「そうか、これからイコは雅様を監視するのだな」


「えぇ」とイコのアバターは頷く。


 雪丸は胡坐かき「ふむ……では、イコの手は空かないか」と少し残念そうに腕を組んで唸る。


「何か私に用でもあったの?」


「いや、いつかお前に稽古をつけてもらいたいと考えていたのだ。リオンがあそこまで強くなれたのはお前の手ほどきがあったからなのだろう? まぁしかし、そういう事なら仕方ない」


「そうね……。まぁ、稽古というのなら出来ない事もないけど」


「何……? 本当か?」


「えぇ、私達が乗って来た船。その中にあるコンピュータに私が蓄積させた戦闘プログラムデータが残ってる。まぁあなたは頭の改造を受けてないから仮想空間には入れないけど、その戦闘プログラムを船外にホログラム投影させる事が可能よ」


「……何を言っているか分からんな。もっと分かりやすく話せ」


「つまり船の前に行けば私の複製と戦えるって事。船は今この第四区の外に停めてあるわ」


 ◇ ◇ ◇ ◇


 次の日、杏はイコと雪丸と共に食料を抱えてリオンの乗って来た船へと向かった。


 一度杏が宇宙服を着て外門を出て船へと向かい、別の宇宙服を持ってコロニー内部へと戻る。


 それをイコの指示の元、杏が雪丸へ宇宙服を着せると三人で外に出た。


 外の様子を見て驚く雪丸に杏が玄人顔で解説をする。雪丸は少し面倒そうな顔をする。


 そして船へと辿り着き、内部へと入ると、雪丸は中での生活についてイコから解説を受けた。


 その後船外へと出て少し船離れると、船から投影されたらしいホログラムが出現した。それは全体的に赤い、イコの色違いバージョンであった。


「それに感情はないわ。完全にトレーニング用に作られている。でも話せば出来る範囲内の事には応えるはずよ」


 本物のイコがそう話す。すると、その赤いイコのホログラムは雪丸に向けて神刀を構えた。


「問題は、触れる事が出来ないという点ね。だから怪我をする事もないのだけれど」


 雪丸は宇宙服の上に帯刀していて、それを腰から引き抜いた。


「それでもいい。普段、俺は俺より強い奴と戦う機会がない。こうして相手をするだけでも随分参考にはなりそうだ」


「そう、じゃあ私達は帰る事にするわ。せいぜい頑張りなさい」


 雪丸は「あぁ」と返事をすると、ホログラムに向かって斬りかかっていった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 雪丸をその場に残し、コロニーへと再び入ったイコと杏。そのあと杏が用事があるからと言って城下町の、かつて神社があった山の上にまでやってきていた。


 するとカンカンと木材が大工たちの手によって組まれていっている光景がイコの目に入った。


「何、また神社を作ってるの? 確か雑賀は自国の宗教を条約により禁止されたんじゃ」


「あぁ、実は町民からの強い要望があってな。最後にもう一度だけ祭りと演舞が許可されたのだ。そのためにもともとあの場にあった舞殿を簡易的に作っているのだ」


「へぇ、条約に反しても行うなんて。そこまでしてやらなければならない行事なの?」


「あぁ。神に感謝し、邪鬼を追い払い、この地の繁栄を願うという、もう代々数百年前から行われているらしい伝統ある祭りだ。それをやらなければ、この地に大いなる厄災が降り注ぐと言われている。そうとあれば、住民の反発の声が大きくなるのも分かるだろう」


 イコは割とどうでもよさそうに「ふーん」と呟く。


「……なんだか、興味がなさそうだな。お前は神の使いではなかったのか? だとすればお前にとっても重要な話ではないのか」


「まぁ……そうだけど」


 そう言いながらも、イコにとっては心底どうでもいい話であった。そのような祭りを行って何の意味があるというのだろうか。この現地の人間が信仰しているのは異世界生物プラズムである。そんなものを祀ったところで、何か見返りがあるとは思えなかった。


「実は私はその演舞に巫女として出る事になっている。その打ち合わせをしに来たのだ」


「へぇ? あなたが?」


「あぁ。このような状況ではあるが、今の私にはこれといってやる事がない。ならば、この国の民が望むのであれば、私はそれに応えようと思う。お前は雅様の監視をよろしく頼むぞ」


 ◇ ◇ ◇ ◇


 打ち合わせ後、四代城にたどり着いたイコと杏。イコはその日の夜から雅の監視を開始した。


 雅は天守の屋敷の奥にある部屋にいた。屋根裏に忍び込み、小さな穴を開けて監視する。


 雅は業務の大部分を家臣に任せ、特に何をするでもなく部屋でボーッとしている事が多かった。果たして本当に誰かに操られているのか、イコは次第に不安になってきてしまった。


 期日が迫ればやはり、数人でも説得し、リオンを奪還する作戦に変更するべきかもしれない。


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