第15話 雫

 四代城の城下町の外れには久野原という名の広場がある。そこに雑賀の全兵が集結し、出陣する予定だ。そしてその広場に出向く前に四代城の三の丸には、城やその周辺に住まう武士達が出揃っていた。皆漆黒の鎧を身に纏い、弓や槍、刀など各々決められた武器を手にしている。


 そして広場へ向けての出発の時刻が近づいてくると、雪丸が杏に声を掛けてきた。


「杏、リオンの姿が見えないが、奴は何をしてる? もしかして昨日受けた怪我のせいか?」


「いや……怪我は治ると言っていた。だが、今日リオンの部屋を尋ねると置手紙が残されていてな。今戦うにはやはりまだ時期尚早なのだとか。それで自分の船に帰ってしまったらしい」


「なに……帰っただと? 奴め、臆したか。その程度の気持ちでよくも守護神などと名乗れたものだな。本当に刀を抜くためだけに現れたのかあいつは」


 杏は下を向いてしまう。確かにそう思われても仕方ないかもしれない。


「だが……奴がとんでもない早さで我々の技術を会得し、強くなっていっていたのも事実だ」


 そうだ。昨日、雪丸はリオンを蔑んでいたが、試合での動きに余裕などはないように見えた。


 雪丸は杏の指摘に「む……」と、少し言葉に詰まっていたようだったが、


「若様、それに姫様、リオンの事など、もうどうでもよいではありませんか」


 その時、二人の横から双葉雫が話に割って入ってきた。杏はその小柄な体を見下ろす。


「この戦、リオンの出る幕などございません。朧月の使い手はここにおられるのですから」


 雫は元々六城の大名に仕えていたが、根来の侵略によりその大名は討たれ、さらには家族を殺され住む場所を追われる事になってしまった。その時、援軍として向かった雪丸に命を救われたらしく、それ以降雪丸個人に仕えている。それから修行に励み、城内で実力者と名を馳せるまでに至った。それは雪丸に少しでも恩を返したい、という気持ちが強かったからだろう。


「それに、先の戦で若様が秀隆に敗れてしまった理由は、ひとえに武器の違い。ただそれだけだったのです。同じ神刀で戦えば、雪丸様が負ける道理などございません」


「ふん……そうだな」と雪丸は、少し気恥ずかしそうに答える。


「若様、して今日は若様に渡しておきたいものがございます」


「渡したいもの?」


 雪丸が聞き返すと雫は肩にかけていた巾着袋から、首飾りの用なものを取り出した。


「はい。これは、以前から私が作っていた翡翠のお守りでございます」


 それは丸く加工された半透明で薄緑色の翡翠に穴を開け革の紐を通したもののようであった。


「お前の手作りか? ……お前は嫁にでもなれば、なかなか重い女になりそうだな」


「な、何を仰いますか。雪丸様と私が夫婦になるなど……」


 雫は自身の頬に両手を当てて目を瞑り頬を赤く染めている。


「……別に俺とお前が、なんて一言も言ってはおらんぞ」


「そ、そんな……雪丸様は意地が悪うございます」


「お前が勝手に都合のいいように解釈しただけだ。だがまぁせっかくだ。受け取っておこう」


 雪丸は雫から首飾りを受け取り、首に掛けた。雫は「おぉ」と感銘を受けている様子だ。


「にしてもお守りか。守るのは守護神の方なのだがな」と雪丸は翡翠を見ながら呟く。


「はっ!? も、申し訳ありません。決して若様を愚弄しようなどという気持は微塵もなく」


「分かっている。それにしても結局ここまで一体誰が守護神であるのか曖昧なままだったな」


 雪丸は腰に提げた朧月を抜き、スイッチをスライドさせて刃を出現させた。そしてビシリとその刃を秀隆がいるであろう東の方面へと突き出す。


「ならば今日こそ秀隆の首を討ち取り、この俺こそが真の守護神であると証明してやろう」


「キャー、若様! 素敵でございます」


 雫は両手拳を胸の前で握りしめ、ぴょんと一回その場で飛び跳ねた。


「……恥ずかしい奴だ。皆見ているぞ、騒ぎ立てるのはやめろ」


「も、申し訳ありません……」


 すると雪丸は朧月をしまい、改めるように雫に正面を向けて言った。


「ついでにお前の故郷も取り戻してやる。それがお前の悲願なのだろう」


「あ、有難うございます若様。いつも私が恩を受けるばかりで一体どう返せばよいのか……」


「気にするな。いつまでも奴らを雑賀の地にのさばらせておく訳にもいかんというだけだ」


 見つめ合う二人を杏は半ば白い目で見ていた。兄の色事などあまり目にはしたくないものだ。




 時間が来ると一行は揃って四代城を出た。山道を下り広場へと出向く。するとそこには既に各区からやってきた兵達が集まっていた。その数は約六千。雑賀の全勢力が集結するのはこれが初めてであった。


 そして赤虎が声を上げ、太鼓が鳴らされ、ついに出陣の時がきた。目指すは以前取られてしまったばかりの近重城である。雑賀軍は街道に長い行列を作り東へと進軍していった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 雑賀の国主、悠河は刺客よって暗殺されてしまったわけだが、実はその死の直前、神社に出向く前に悠河が赤虎に話していた戦法があった。その戦法は各区大名たちで検討してみても実用性は高そうであり、悠河が最後に残した戦法とあらば、皆の士気も上がりそうであった。


 という事で、その戦法通りに雑賀軍は戦を進めていく事になったのだった。


 まず雑賀軍は第六区、近重城までたどり着くと、城の周りを包囲した。


 その時、城の後方から六城の方へ伝令兵が向かったようだった。援軍の要請のためだろう。


 そして雪丸は五十名ほどの部隊を組み、その伝令兵を追うようにして六城への道を進んだ。


 狭い街道を二時間ほど進んでいくと、中々に深い谷があり、そこには木製の橋が架かっているのであった。雪丸の部隊はその橋を渡り切ったところで、その橋の切断を始めた。


 そしてロープで補強し、それを切断すれば、倒壊してしまうような工作を仕掛けたのだった。




 その丸一日後。付近の森で雪丸の部隊が待機していると、その橋を六城からやってきた援軍が通る事になった。それは長蛇の列で雑賀の軍に対抗出来るだけの数はいるようだった。


 そして、ついに秀隆の姿が見えた時、雪丸達は敵の列を強襲し、橋を落としたのだった。


 谷底へと落ちて行く根来兵達。橋の先に進んでしまった兵達は、秀隆を守ろうと戻って来ようとはしているが、谷を越えてこちらまでたどり着くには結構な時間が掛かってしまうはずだ。


 雪丸の部隊員は、秀隆と周囲の兵を切り離そうと交戦し、東に向かって押し戻していく。


 そして、橋の前には雪丸と秀隆の二人だけが残されたのだった。


「ほう、その腰に提げた刀……雑賀の神刀か? クク、まさかいきなり一騎打ちになるとは。中々いい作戦を仕掛けてきたな」


 馬に乗った秀隆は余裕な笑みを浮かべながら雪丸を見下ろす。


「逃げないのか? まぁ逃げても馬を射るだけだが」


「ふふ……逃げる? そんな必要などないさ」


「ならば馬から降りて、この俺と勝負しろ」


 雪丸は持っていた弓を捨て、腰に提げた朧月の柄を手に取りスイッチをスライドさせた。青白い刃が出現する。秀隆は「いいだろう」と馬から降りながら話を続ける。


「だが、なぜ貴様なのだ。その刀本来の持ち主はどうした?」


「本来? ……リオンの事か。あの腑抜けは戦に参加もせず逃げ出したよ」


「逃げた……?」


 秀隆は「ふむ……そうか」と顎に手をあて、少し何かを考えた末に納得したようだった。


「ならばその方がよいか。貴様を倒してその刀が手に入るのであれば儲けものだ」


「なんだと……?」と雪丸はピクリと眉根を動かす。


「まるで俺よりもリオンを警戒しているような発言だな。言っておくがあいつは雑魚だぞ」


「クク、ならば以前私に斬りつけられ無様に逃げ帰ったお前はどうなのか」


「……それは同じ条件になかったからだ。だが今回は違う。この朧月を手に入れ、俺は守護神として完成した」


 雪丸は「そして貴様の首はこの俺が刎ねる」と言って、朧月の刃の切っ先を秀隆に向ける。


「この私の首を? はは、ならばその者の名を聞いておこうではないか」


「……月島雪丸だ」


 そう言って雪丸は刀を両手で構え臨戦態勢に入る。秀隆も赤く光る刀を鞘から抜いた。


「では、かかってこい。早くしなければ私の兵達が谷を越えてこちらへ戻ってくるぞ?」


「こちらの事を……心配している場合か!」


 雪丸は秀隆に向けて走り寄る。そしてただ速さを極めた一太刀を秀隆の頭へめがけて振り下ろす。それを秀隆は一歩も動くことなく腕一本で受け止めた。


 朧月と火焔、二つの神刀が接触するのはそれが始めてだった。斬れぬものはないと言われた刀同士がぶつかりあい激しい火花が飛び散る。どちらもその刀身にダメージはないようだった。


 弾かれる刀。今度は横から胴めがけて刀を振りぬこうとする。しかし、秀隆はまるでそれを予知するようにして受け止める。雪丸はそこで止まらず、流れるように体を回転させて真逆の方向から切り返す。しばらくそのようにして雪丸の一方的な攻撃が続いた。


 しかしある時、雪丸は手を休めるようにして、いったん後方へと引き下がったのだった。


「……貴様、まだ本気を出していないな」


 秀隆は戦いが始まってから、ほぼその場を動いていない上に片手しか使っていないのだった。


 雪丸は秀隆に向かって再びビシリと刃の先を向けた。


「ナメるのもいい加減にしろ。体が真っ二つになってから後悔しても遅いぞ」


 すると秀隆は一歩前へ踏み出した。そしてついに刀を両手で構える。


「ふふ……そうだな。そこまでいうならそろそろ準備運動は終わりにしよう」


 そして足を踏み出したと思った刹那、秀隆は雪丸の目の前にまで迫っていた。


「!?」


 雪丸はなんとか反応し、振り下ろされた一撃を受け止めた。しかし、雪丸の膝が少し曲がる。


 速度もさることながら、その体格から繰り出される一撃はなんと重いことだろう。


 雪丸は左に移動し、その一撃の力を下に逃す。しかしそこで攻撃が終わるわけもない。


 そこからの秀隆の攻撃は、シンプルで速度や重さを極めたもの、巧妙にフェイントを織り交ぜたものなど、基本に忠実であるものばかりであった。しかし、それぞれのレベルが非常に高く、雪丸はそれに対応するので精一杯だった。まるで全てにおいて、秀隆が一枚上手だということを見せ付けているようだった。まさか、ここまでの実力差があろうとは。


 そして数分後にやっと秀隆からの攻撃が収まった。だというのに、雪丸は反撃に転じるなんてこともせず、崖ギリギリの位置まで後方に下がってしまったのだった。


 全身から汗が噴出していた。呼吸も心臓の動きも荒い。雪丸は体力に自信はあったはずだが、踊らされて、体力を使わされてしまっていたのだった。比べ秀隆はまだまだ余裕の表情である。


「どうした。それが守護神とやらの本気か? くく、まさかそのようなことはあるまいな。そろそろ全力でかかってこい。体が真っ二つになってから後悔しても遅いぞ」


 その挑発に雪丸はついカッとなってしまった。


「な、なめるなぁ――ッ!」


 そう叫びながら秀隆に向かって切り込んでいく。しかし、その攻撃はあえなく空を切ってしまった。しかも頭に血が上っていたせいか、大振りになってしまっている。そして秀隆はその機を逃すことなく、雪丸の懐に飛び込んできたのだった。下段から火焔が振り上げられる。


「しまっ」


 とっさに速度を落とし方向を転じたが遅かった。秀隆の一太刀は雪丸の腹に入りその上にあった右腕までも切り裂いていく。


「うぐぅっ……」


 雪丸は何とか後退して左手で刀を構えた。腹からは血がサーっと音もなく流れ出ていく。内臓までは達していないようだったがマズい状態だ。右腕ももうまともには使えそうもない。


 後退する雪丸を秀隆はすぐに追い討ちしてくるようなことはなかった。


「ふふ、これでもう勝負は決したな。お前が本当に国最強だというのなら、戦えてよかったよ。これで私の首は誰にも打ち取れないということが分かったのだからな」


 雪丸は何も言い返せなかった。確かにこの状態からの逆転は難しい。


「私も拷問が趣味なんてことはない。そろそろその命、断ってやろうではないか」


 秀隆はそういうと刀を構えながら雪丸に向かって歩み寄ってきた。だが、そんな状況だというのに血を失いすぎたか、視界がかすんでしまう。


 ここで雪丸が敗北すれば、それは自分が死ぬだけという問題ではない。二つの神刀が敵にまわってしまうのだ。そうなれば雑賀は圧倒的不利な状態でこのあとの局面を迎えてしまう。


 自分が秀隆の強さを見誤っていなければ……。雪丸はそう悔やみ唇を噛む。


 次第に速度を上げ近づいてくる秀隆の姿。もうどうしようもないのか。雪丸の頭に『死』の文字が浮かぶ。しかし、その時だった。


「む……!」


 秀隆は足を止め、横を向いて刀を振るった。どうやら秀隆に向かって矢が飛んできたようだ。


 続けて飛んでくる矢。そして秀隆の足が止まっている間に、雫や豪真たち数名の隊員が「若様!」と声を上げて森のほうから雪丸へと駆け寄ってきたのだった。


 隊員達は雪丸の前に立って秀隆へ矛先を向けた。


「豪馬! 雪丸様、そして朧月を運べ! 近重城まで連れ戻すのだ!」


 そう叫ぶ雫。すると豪馬が「おう!」と返事をし、雪丸を拾い上げ肩の上に担いだのだった。「ぐっ! ま、待て……! 何をするお前達」


 雪丸は皆の行動を止めようとしたが、体は言う事を聞かなかった。声にも力が入らない。


「若様……どうかお気になさらないでください。元よりこの命、若様に頂いたものなのですから。むしろ私は今、若様に恩義を返す機会が与えられた事を神に感謝しているのです」


 雫は雪丸に振り返りもせず、そう言った。そして隊の先頭に立って声を上げる。


「覚悟しろ秀隆! 故郷を奪われた恨み! 今ここで晴らさせてもらう!」


 雪丸は豪真に担がれ後方を向きながら運ばれていく。血の流出は続き視界が暗くなっていく。


 雫は「いくぞ!」と声を上げ、他の隊員たちと共に秀隆に向かって突っ込んでいく。


「雫……やめろ……行くな……」


 雪丸が意識を失う前に見た光景は、雫の胴体が秀隆によって真っ二つにされた姿だった。


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