13.鳩

「ハルたん、ちゃんと計算したぁ? いい? 団体ができたのが七年前。その二年後、つまり今から五年前に三歳のハナちゃんがラオヤーによって連れて来られて、その二年後、今から三年前にハルたんが潜入、ユキちゃんが暴れて支部を一つ潰したの。それで支部の幾つかが閉鎖になったけど、本部は全然ピンピンしてて今日のお昼にやっと教祖が死んでほぼ壊滅したって訳。で、ハナちゃんは現在八歳。分かってくれたぁ?」


 ハナちゃんが言ってたこととゴリが言ってることは辻褄が合ってる。

 でも、俺の記憶は違う。

 俺が潜入してたのは五年は前だった。

 俺の記憶がおかしいのか?

 それとも二人が嘘を吐いているのか?


 納得できずに「んー」と両腕を組んで唸るとゴリは軽く溜息を吐いてスケッチブックを指差した。


「浪川、由良、組長。この三人を繋げているのがラオヤーなのね。ラオヤーがヤクザとハナちゃんを使って教団を大きくしたの。ヤクザは強面の男で構成された企業よ。麻薬、マネーロンダリング、武器商人、ペーパーカンパニー……幅広くやってるわ。ハルたんが熊谷さんに渡した情報は表向きのヤクザ稼業の偽物よ」

「偽物っ?」

「ヤクザとしての顔を潰せる程度の効力を発揮してくれるだけの材料は揃えてあるし、偽物って言ったって一部は本物だからそれなりに痛手にはなってるはずよ? それにこの件で真っ先に釈放されて来る人間が墨守の人間ってことになるわ」

「え? 墨守?」


 先輩の情報ではヤスが釈放される。

 ならばヤスが墨守の人間か?


「そう。釈放されるのはヤス。変装の名人で組の下っ端にいたの。ラオヤーと連絡を密に取り合ってるってユキちゃんは考えてる。それにヤスは組と警察と両方に同時に潜り込んでたとも推測してるみたいね」

「警察?」

「……ハルたんの先輩。多分、彼がヤスよ」


 先輩が……墨守?


 そう考えるとあり得ない潜入捜査の数々に合点がいく。

 俺は上司からじゃなく、先輩から直接指示を受けていた。

 組へ潜入する時は先輩が行くはずだったのが、怪我のせいで俺が代わった。

 組には既に先輩がヤスとして潜り込んでいたから、一人二役はできないから。

 それで俺が代わりに行くことになったのだとしたら?

 もしかして俺とハナちゃんやゴリとの間に二年分の誤差があるのも先輩が関係しているのか?


「分かるわぁ……ショックよね。身近な人が悪い人かもって知らされるって。私にも経験あるもの」

 ショック、なのだろうか。

 驚きはしたが、意外とそれほどショックは受けていない自分がいる。


 頬に片手を当て、身をくねらせるゴリにそんなにショックではない、と正直に答えると指でツンと肩を突かれた。

 思わずぞわっとする。


「強がらなくていいわよぉ。落ち込んだ時は食べるのが一番よ。今夜の夕食ディナーは私のお手製よッ!」

 ユキさんの手料理なら喜んだが、イカツイ男の手料理はちょっと遠慮したい。

 と思ったが。

 でっかいバッグから取り出したピンクのお重には買って来たとしか思えない、手の込んだオシャレな料理が詰まっていた。

 しかもどれも美味しそうだ。


 ふと部屋の壁掛け時計を見上げる。

 夜の九時になろうかという時刻に驚く。

 いつの間にかこんなに時間が経っていた。

 ずっとカーテンの引かれた室内にいたし、途中気を失っていたから時間の感覚がズレていた。

 軽食は摂ったが物足りず腹が減っている。

 ゴリがバッグからオシャレなプラスチックの皿やカトラリーを取り出し、慣れた手つきでオシャレに取り分けてくれた。

 かわいい女子なら即堕ちていたが、にこっと笑う顔に現実に引き戻される。


「そーいや、監視しなくていいんですか?」

 ふと我に返った俺はユキさんからの重要な任務を思い出した。

 その為の説明が長すぎて話に夢中になっていた。


「大丈夫。今はまだヤスは刑務所の中だもん。それにラオヤーの方は私のお友達が見張ってくれてるわ。本格的に監視するのは明日ね。ヤスが出所してからゲーム開始よ」

「明日? 明後日じゃなく? それにヤスの顔は分からないってユキさんが言ってましたけど?」

「あら、やだ。ユキちゃん、まだナイショにしておくつもりだったのぉ? うっかり喋っちゃったじゃなぁい。ま、いっか。明後日って誰に聞いたのか知らないけど、明日なのは確かよ。きちんとした筋からの情報だもの」


 緊張感がない。

 相手は世界中の『悪』の中心にいる組織だっていうのに。


「それにハルたんの気持ちを整理する時間が必要だもの」

「気持ち?」

「うっかりついでに喋っちゃうけど、ハルたん、この成り行きが偶然だって思ってるぅ?」

「どういう……意味ですか?」

「ハルたん、感情が表に出やすいじゃない? それで本当に潜入捜査官やって周りにバレてないって思ってる?」

「バレてないから……ヤクザの中でも殺されずに生きてるんじゃ?」

「やだぁ。ハルたん、ピュアすぎぃ。かわいすぎぃ」

 両手で口許を隠して笑うゴリに俺は若干イラッとした。


「ユキちゃんが組に乗り込んだのはハルたんを救う為だもの」

「え?」

「ハルたんのことは三年前から知ってたもん。だから、今回の潜入は初めからずぅっと見てたしぃ。それでハルたんを救えたんじゃない」

「は? 初めからってどういうことですかっ」

「ハルたん、警察向いてなさすぎぃ。潜入捜査なんてないし。騙されすぎよぉ」

「は? え? ないって何が?」

 俺はパニックになった。

 潜入捜査がないって言ったか?

 騙されやすいって何がだ?


「ハルたんはね、教団の元信者。ハナちゃんに記憶を書き換えてもらったの。言っちゃダメってユキちゃんに言われてたんだけど……言っちゃった。えへっ」

 ペロッと舌を出し、拳で自分の頭をコツンとやる仕草に俺は真っ白になった。


 俺は捜査官じゃない?

 教団での潜入も本当の記憶じゃないのか?

 確かにあの後、病院で目を覚ました。

 二年分の記憶のズレがあるのはそのせいか?


「ヤスが顔を変えて警察に潜り込んでるって情報があってね、それでハルたんを潜入捜査官の同僚にしたの。熊谷さんの協力でね」

「つまり俺はヤスを釣る為の餌? それじゃあ……俺の本当の記憶は?」

「この件が終わったらハナちゃんに戻してもらえると思うけど……」

 言い淀んだゴリの口振りからまだ隠していることがあるのだと悟った。


「他に俺に隠してることは?」

「あっても言えないわよぉ。ユキちゃんに殺されちゃうもの」

「ここまで話したんなら残りも話せよっ」

 詰め寄るとゴリは憐れむような困ったような目で俺を見つめた。


「……そのピアス。ただのGPSよ。非科学を科学で解決なんてできないわ。ハナちゃんの能力ちからはその辺を飛んでる電波とかとは違うのよ? 簡単に遮断するなんてできないわよ。そのピアスのお蔭でハルたんは店長さんに助けてもらえたのよ」

「店長は間違えたって……」

「そうね。これ以上は私も種明かしできないわ」


 意図的に店長が俺を助けてハナちゃんを見殺しにした?

 いや、殺した訳じゃないけど、ハナちゃんをわざと捕まえさせたってことか?

 結果オーライってユキさんは言ってたけど、計画の内だったってことなのか?

 ユキさんが描く計画って……なんだ?


 ん? ちょっと待て。

 ピアスコレが単なるGPSだったなら。


「でもピアス付けてからハナちゃんには俺の心の声が聞こえないみたいでしたけど?」

「やだ、そこまで私に言わせるのぉ?」

 ゴリは本当に嫌そうに顔を歪めた。

「ハナちゃんもユキちゃんの計画にのっかってお芝居してたってことでしょ? もうっ、そこまで言わせないでよぉ」


 八歳児にまで騙されてる俺って……


 確かに気持ちの整理をする時間が必要だ。

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