5.女装の殺し屋

 暗い部屋。

 そこに響くのは呪文のようなお経のような妙に抑揚のない囁き声。

 お香のような独特の香り。

 部屋の中央だろうか。

 装飾の施された台座の周りを蝋燭が囲み、その炎が揺れる中、白く透けたベールを纏った子供の姿が浮かび上がる。

 幻想的と言えば幻想的だが、どこか『嘘っぽい』雰囲気が現実に引き戻す。

 だが、信者達はこの雰囲気に完全に飲み込まれている。

 俺だけがこの空間を冷めた目で見ている。


 子供は白い巫女さんのような着物を着ている。

 本当に幼い子供だ。

『お告げ様』の話は聞いていたが、まさかこんな小さな子供だとは全く想像していなかった。

 とても胸が痛くなる。

 きっとこの子は大人に言われるがまま、自分が何をしているか理解していない。

 きっと善悪も分かっていないんじゃないだろうか。


 不意にりん、と鈴の音がどこからともなく聞こえた。

 途端に囁き声が止まる。

 静まり返った空間に男性の声が響く。


「今宵、特別に『お告げ様』が皆さんの為に祈ります」

 すると「おお」とか「ああ」という感嘆の声が一斉に室内に響いた。


 だが、小さな『お告げ様』は口を開こうとしない。

 さぁ、と男性に促されるが口を噤んだままだ。

 堪りかねた男性が「祈りなさいっ」と声を荒げると、フッと蝋燭の火が一斉に消えた。

 暗闇に包まれた室内にどよめきが起こる。


「……今日で終わり」


 幼い少女の声がそう告げると、ぎゃあっ、と悲鳴が上がった。

 悲鳴が上がった方に目をやると何かが光った。

 続いてまた悲鳴が上がる。

 何が起こっているのか分からなかった。

 それは周囲の信者達も同じで、最初に悲鳴が上がったところから人が徐々に動き始めた。

「逃げろっ」

 誰かがそう叫んだのをきっかけに悲鳴があちこちから上がり始め、一斉に出口があるだろう方向へ人が移動し始めた。

 俺も周囲に押されてその場を動かざるを得なかった。

 だが、潜入捜査中の身である俺は今何が起こっているのか確かめる責務がある。

 人の波に抗おうとしたが、パニック状態に陥った中では思うようにいかず、仕方なく一旦は離脱を余儀なくされた。

 が、隣を逃げていた人が急に倒れた。

 頬に何かが飛び散った。

 触れるとそれが血だと直感した。

 見えなくともこの感触は知っている。


 何かが紛れ込んだ。


 そう理解した頃、ようやく暗闇に目が慣れ始め、少し周囲の様子が分かって来た。

 その目に映ったのは、日本刀を手にした女性だった。

 黒い革ジャンにピタッとした黒パンツ姿の女性は、日本刀で周囲の人間を次々と斬り倒していた。

 相手は丸腰の素人だ。

 その素人相手に容赦なく刀を振り下ろす。

 鮮やかで素早く華麗な身のこなしは、不謹慎ながら一瞬見惚れてしまう程に美しくすらあった。


 だが、警察としてこの女を止めなければ、と我に返り、隠していた銃を抜いた。

 銃を実戦で使うのはこれが初めてだった。

 射撃場以外で手にしたことはない。

 だから、こんな中で抜いたところで何もならないとは考えなかった。

 人に押されて狙いは定まらないし、そもそも人が多い場所で発砲するなとは言われていた。

 それに俺の銃を見た人間が悲鳴を上げ、パニックがさらに酷くなり状況は悪くなった。


「開けろっ」

「閉じ込められたっ」

 最初は逃げられたのだろう。

 恐らく幹部とかそういった人間が逃げた後、この部屋は閉鎖されたようだ。

 出口付近に人が押し寄せ、ドアを叩きながら怒号を撒き散らしていた。

 そこに女性の泣き声が混ざる。

 が、それも徐々に減っていく。

 鼻を突く匂いに顔を歪める。

 悲鳴も徐々に減っていく。


 十分もかからなかったんじゃないだろうか。


「悪いね。怪我しとかないと面倒でしょ?」

 背後でそう声がして、俺は気絶した。

 次に目が覚めたのは病院だった。

 その時には何があったのか忘れていた。

 全治一カ月の怪我を負っていたが、俺以外は全員死亡とのことだった。

『お告げ様』というも含めて。


「思い出してくれた?」

 その声にハッと我に返る。

 一瞬、自分がどこにいるのかと周囲を見渡し、ユキさんの家にいるのだと思い出した。

 そして、目の前の女の子のことも。

「もしかして……『お告げ様』……?」

 女の子はゆっくりと頷いた。


「何してるの?」

 ふと声がした方を見ると、風呂上りのユキさんが立っていた。

 Tシャツにグレーのスウェットパンツ姿にもガッカリだが、胸に厚みがなくなっているのにもガッカリした。

 が、すっぴんも変わらず綺麗なのにはなぜかホッとした。

 でも、あの時の日本刀の女性は……ユキさんだ。

 人を平気で斬っていた。

 無表情に冷徹に。


 この人は何者だ?


「ああ、自分のことちゃんと説明してたのね?」

 俺の表情を見て、ユキさんは理解したようで、私が怖い? と訊いて来た。

 笑顔を見せるユキさんとあの日本刀の女性が同一人物だとは思えない。

 でも、あの顔は見間違えようがない。


「……分かりません」

 正直な答えを口にした。


「私、殺し屋もやってるの。お金次第で誰でも殺すわ。だから、私のことは信用しなくていい。生き残るには人を信用しないことよ。特に潜入捜査にはそれが大事だって教えられたでしょう?」

 確かに先輩にそう言われた。

 潜入先で情が湧くようなことがあっても、絶対に感情に流されるなって。

 自分の命だけじゃない、他人の命さえも危険に晒すことになる、それをよく肝に銘じておけ、と。

 人を信じられないなんて辛い仕事だな、とは思ったが、身を守る為には仕方ないと割り切ったつもりだった。


「あなたが役に立つ間は殺さないから安心して。さ、私達もそろそろ寝ましょう。今日は疲れたでしょ?」

 確かに、いろいろありすぎて疲れた。

 体もだけど主に頭の整理がつかない。


 ハナちゃんともユキさんとも二度目ましてだった。

 でも、俺はなんで忘れてたんだろう?

 あんなに衝撃的な事件だったのに。


「それはね、私のせいだから。忘れてってお願いしたから……ごめんなさい」

 ハナちゃんの囁くような声に、俺は急激に眠くなって、瞼が重くなって、目を閉じた。

 誰かの腕が俺をお姫様抱っこするのが分かった。


「おやすみ」


 綺麗な声が降って来て、俺は完全に夢の中へと堕ちて行った。



 スマホのアラームが鳴って、目を覚ますとクマが覗き込んで来て、思わず飛び起きた。


「……おはよ」


 弱々しい声がクマから聞こえる。

「お、おはよう……」

 そういえば、ハナちゃんは眠れないんだった。

 一晩中ずっと起きていたのか。

 起きて……俺の夢を……聞いてた?


「うん」

 弱々しくも肯定する声がして、俺は思わず両手で顔を覆ったまま再び寝転がった。

 本当に声が聞こえるんだ。

 本当に全部筒抜けなんだ。

 なんかそれってめっちゃ恥ずかしい。

 思ってたより凄い何倍も恥ずかしい。

 しかも教育上かなりよろしくない気がめちゃくちゃしますが、いいんでしょうか?

 俺が適任ってユキさんは言ったけど、俺の頭の中を知らないから言えたんだ。

 ああ、でもユキさんに俺の頭の中は見せられない。

 絶対見られたくないっ。


 あー、もうっと一人でひとしきり悶々としたところで、意を決して起き上がる。

 つぶらな瞳でクマがじっと見つめている。

 その後ろにはもっと純粋な瞳があるんだろうね?

 でも、お兄ちゃんはこういう人間なんだ。

 そう開き直って。


「人の頭の中を勝手に見ないように。一緒に暮らすからには見て見ぬフリも時には大事なんだよ?」

 よし、そうルールを作っておけば少しは安心だ。

 そう思ったが。


「ごめんなさい。勝手に聞こえちゃうの。どうしようもできないの」

 ま、そうだよね。

 だから眠れないんだもんね。


 ってことは、俺が慣れるしかないのか。


「おはよ。仲良さそうで何より何より」


 バッチリメイクして、革ジャンにピタパンツにエンジニアブーツ姿の、あの時と同じ格好をしたユキさんがコーヒー片手に入って来た。


 彼女にも慣れるしかないのだろうか。

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