4.早朝のモダンビル
「さ、着いたわ」
着いた先は元の公園だった。
野宿? と思ったが、あっちよ、とゴリが指差した方を見て口が開いた。
公園のすぐ脇にモダンなビルが建っていて、一階はバー、二階から七階はオフィス、八階から十階が住居になっているそうだ。
「うちはその八階から十階全部だから」
ユキさんの説明に更に驚く。
「と言っても今回の為に借りただけで、自宅は別にあるんだけどね」
「借りたって……ここ繁華街のど真ん中ですよ? しかもこんな綺麗なビル……」
「家賃と光熱費はタダ。代わりに用心棒してるだけ」
「飲み屋のママの物……ってことですか?」
「いや。あのママだけじゃなくてこの街の用心棒。このビルは一階のバーのオーナーの物なんだ。家具家電その他生活費はいろんな店から提供して貰ってる。そうそう。腹減ったら一階に行けば顔パスで好きな物食べさせてもらえるから、キッチンだと思って」
バーと言えども俺が気軽に行けるような安いとこじゃなくて、いかにも高そうでオシャレな人しか入れない……もしかすると会員制かもしれないと思わせる佇まい。
それをキッチンだと思えるか! 気軽にジーンズとかで入れるか!
という反論は心の中に留めておいた。
「ゴリ、荷物運んで。ハルはスーツケース持ってついて来て」
ゴリは「はいはい」と返事し、段ボール箱を三箱積んでひょいと持ち上げ、ユキさんと俺の後から続いた。
モダンビルは外観だけでなく、内装もオシャレだった。
美術館のような、オシャレなレストランのような、シンプルながらさりげなくデザイン性のある……いや、止そう。
俺がどんな風に説明したって伝わりそうにない。
ただ、俺がここで暮らすという実感は当分湧きそうになかった。
「ここが今日からあんたの家だから。なんでも好きに使って」
八階ワンフロア全てが住居スペースになっていて、エレベーターも八階までしかなかった。
九階、十階へは部屋の中から行けるようになっているらしい。
ユキさんの部屋は予想に反してほとんど物がなかった。
高級ホテルのように生活感がない。
が、大きなクマのぬいぐるみがリビングのど真ん中にあり、そこだけ異質だった。
そのぬいぐるみが突如動き出す。
「お帰り」
しかも喋ったっ!
女の子の声で。
ん? 女の子?
ぬいぐるみの背後からひょこっと女の子が姿を現す。
「なぁんだ」
安堵すると、やぁだ、とゴリが段ボール箱を床に降ろしながら笑う。
「ハルたん、ぬいぐるみが喋ったと思ったのぉ? かぁわぁいぃい」
悪かったな、とゴリを睨みつける。
「じゃ、残りの段ボールも運んじゃうわね」
ゴリはそう楽しそうに部屋を出て行った。
「ハル、この子が警護対象の……『ハナちゃん』だ」
今の間は絶対名前を考えてた。
ということは偽名か。
「ハナ、こっちはハル。今日からこの人と一緒に遊んであげて」
ハナちゃんは人見知りするタイプのようで、ぬいぐるみの後ろに隠れた。
小学一年生くらいだろうか。
彼女がすっぽり隠れられるくらいデカいぬいぐるみだ。
しかも座った状態で隠れるのだから立たせた状態だとかなりデカい。
ここまでよく運んだなとか、幾らくらいするんだろ? と値段のことを考えてしまった。
「隠れてないでちゃんとご挨拶しないと。自分のこと説明しておかないと、これからずっと二人きりなのよ?」
え? 二人きり?
「ユキさんは……?」
「だから私は自宅が別にあるって言ったでしょ? それに私にだって仕事があるもの。常にここにいられる訳じゃないわ」
なぁんだ。
俺は少し、いや、大いにガッカリした。
「……ハナじゃないもん」
ぬいぐるみの後ろから小さな反論があった。
「名前教えてくれないじゃない。名無しの女の子は『ハナコ』と相場が決まってるの」
まぁよく記入例的なところで見かける名前だけれども。
「……ハナはかわいくない」
かわいいと思うけど、ちょっと昭和な香りがする名前ではあるかもしれない。
「呼びやすくて好きだけどね、私は。それよりハルに久し振りって言わなくていいの?」
「え?」
「『え?』って、ハルも覚えてないの?」
チラッとしか見てないけど、こんな小さな女の子に見覚えはない。
そもそも子供は苦手だからなるべく関わらないようにして来たし。
「薄情ねぇ。せっかく適任だと思って連れて来たけど、間違えたかなぁ?」
ユキさんはそう溜息を吐いてから、シャワー浴びて来る、と言って奥へ姿を消した。
それと入れ替わるようにゴリが残りの段ボールを手に入って来た。
「あら、ユキちゃんは?」
「シャワーです」
「そう。じゃ、あたしは今日の所は帰るわ。ユキちゃんに領収書はいつものようにしておくからって伝えておいてくれない?」
「分かりました。ありがとうございました」
「いいのよ、これくらい。頑張って。じゃあね、ハナちゃん」
ハナちゃんはぬいぐるみの後ろに隠れたままだったが、ぬいぐるみの手を振ってゴリに挨拶をした。
さっきユキさんが考えたように感じたが、あの場にいなかったゴリが彼女をハナちゃんと呼ぶところを見ると、さっき考えた訳ではないのか。
ユキさんとゴリとはどういう関係なのか。
流されるように知らない人達の中に入っているけど、俺はこのままでいいのか。
ふと急に当然考えるべき疑問が次々と浮上してきた。
「……大丈夫。ユキちゃんは悪い人じゃないよ」
クマのぬいぐるみが俺の思考を読んだように喋る。
「そうだったら……気持ち悪い?」
「え?」
「頭の中、分かっちゃうの。気持ち悪い?」
そう言われると、子供にはお見せできないような内容がぐるぐると浮かんでしまう。
こんなことも分かってしまうとちょっと都合が悪い。
が、気持ち悪いとは思わない。
恥ずかしいって気持ちは物凄くあるけれども。
「……変な人」
そう言ってクマの後ろからハナちゃんが出て来て、俺の目の前にぺたんと座った。
俺もつられて座る。
なぜか正座で。
「私ね、眠れないの。声がずっと聞こえてて静かな時がないから。うとうとはするけど、夢を見たことがないの。だからね、夢をね、見てみたい。あとね……」
そこでハナちゃんは上目遣いに俺を見て、話そうかどうしようか迷う素振りを見せたが、勇気を振り絞って意を決したように口を開いた。
「あの時はごめんなさいっ」
囁くように小さな声だったのが、その一言だけは少しだけボリュームを上げた。
決死の覚悟で口にしたようだが、申し訳ないけど俺には何のことだか分からなかった。
「……私のせいだね?」
今にも泣きそうな顔でそう問われると、とても悪いことをしている気分になる。
「このことだよ?」
そう言ってハナちゃんが俺の左手に触れる。
その途端、目の前の景色が一変した。
その景色には見覚えがあった。
数年前、俺が警官になって間もない頃のことだ。
俺はあの時はとある新興宗教の教団に潜入していた。
これはその時の儀式の場面だ。
この教団には教祖とは別に『お告げ様』と呼ばれる人がいて、その人が言ったことが全て本当になり、人が何人も死んでいるという連続殺人の容疑があった。
『お告げ様』は女性であること以外の情報は一切なく、人前に姿を晒すこともなかった。
その『お告げ様』が見られると聞いて儀式に潜り込んだ。
そこで何があったか思い出せない。
ただ、とても酷いことがあって、俺はこの任務から外されてしばらく入院した。
子供が苦手になったのは、そういえばこの時からだったんじゃないか?
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