3.女装の情報屋
最上階はフロア丸ごと一室が占領していた。
初めて来た偉い人の家に成り行きとはいえ押し入ることになった訳だが。
庶民の俺は初めて見る鍵? に面食らっていた。
ここ金庫?
と思わずにはいられない。
暗証番号を押して入る形のドアロック。
こんなの暗号解読の機械もなく押し破れるとは思えない。
「ユキさん……?」
こんな時にメイク直しか? と思ったが。
さっきゴリから借りたパウダーをブラシに付け、それをキーパッドに
「ファンデーションって便利でしょ? シミを隠すのにも必要だけど、隠された番号を見つけるのにも役立ってくれる」
フフッ、と満足そうに笑って、キーパッドを見つめた。
まるで鑑識がやるみたいにキーパッドに指紋が浮かび上がっていた。
「さて、何の番号かしらね?」
言葉遣いがさっきまで男に戻ってたのに再び女性らしくなっている。
「今何時だと思ってるんだ?」
不意にドアの向こうから声がし、ドアが開いた。
「あら? こっそり忍び込むつもりだったのにぃ」
「それは残念だったな。カメラ操作したって無駄だぞ。で、こんな時間に何の用だ? それにコレは何だ?」
コレとは俺のことだろう。
初めて間近で見る熊谷さんはかなり威圧感があった。
「話は中でしましょ。シャンパンでも飲みながら」
「……ってことは、余程良い話なんだろうな?」
フフッ、と笑うユキさんに熊谷さんもニッと笑って、なんだか大人な空気が流れた。
どうやら二人はかなりの知り合いらしい。
どういう知り合いなんだか、モヤモヤする。
リビングに通され、高そうなふっかふかのソファに座り、グラスだけが用意された。
話次第で出される酒が変わるようだ。
そして何も言ってないのにユキさんの前にはノートパソコンが差し出された。
「はい」
ユキさんの手が頂戴、と俺に向かって差し出され、その手にUSBを載せる。
「彼、あなたのとこの潜入捜査官なの。とある組に潜入して情報を集めてくれたわ」
説明しながらUSBをノートパソコンに差し込み、ファイルを開く。
「組の帳簿、裏帳簿も含めて全部よ。金の流れだけじゃない。薬の入手から販売ルートまで詳細が記されているわ」
画面を確認し、熊谷さんは目を見開いた。
が、俺とユキさんとを見比べ、で? と訊いた。
「本当に彼がこれを手に入れたなら、彼は私の物だ。君に支払う代価は何もない」
「彼がこれを手に入れたことにしてあげる。その代わり彼を少しだけ貸してくれないかしら?」
「そういうことか。彼はそんなに優秀か?」
「適任なのよ」
「何に?」
「それはまだナイショ」
「交渉するならある程度情報開示して信頼を得ないと」
「信頼なら既に得てるでしょ?」
「そうだったかな?」
「あら? まだ足りない? なら……マリリンはどう?」
その一言に熊谷さんの表情は固まった。
「それともキャシー、だったかしら?」
「あ、ああ。信頼は充分だ。君が情報屋なのを忘れていたよ」
「薄情ね。もう忘れないでね?」
「勿論」
そう言った熊谷さんの笑顔は引きつっていた。
「シャンパン、だったね?」
慌ててキッチンへ駆け込み、俺でも知ってる高級シャンパンを手に戻って来た。
「ありがと。今日はもう遅いからそれ貰って帰るわ。包んでくださる?」
「え?」
「こんな時間に失礼しました、ということで明日もお仕事でしょう? あと数時間の惰眠を邪魔しちゃ悪いもの。寝酒も健康に良くないって聞くし。今度お店にいらして。その時たっぷりサービスしますから」
にっこりとユキさんが微笑むと「ああ、そうだな」と分かりやすく鼻の下を伸ばして、さっきまでの偉い人の威圧感はどこへやら。
熊谷さんは彼女が『彼』だと知らないのかもしれない。
高そうな紙袋に高級シャンパンを入れて貰い、それを手に俺達は部屋を後にした。
エントランスを出ると見覚えのある黒いワゴン車がちょうど入って来るところだった。
「グッド・タイミングね! ちょっと狭いけど我慢してね」
運転席の窓からゴリが顔を出し、ぎこちないウインクをされた。
ユキさんは助手席に収まり、俺は行きと同じく後部座席に乗り込もうとドアを開けて唖然とした。
段ボール箱がギッシリ詰まっている中に紛れてどこか見覚えのあるスーツケースがあった。
ゴリさんも同じの使ってるんですね、と言おうとしてスーツケースを二度見した。
「これ……もしかして俺の荷物……?」
「そうよ」
ゴリの代わりにユキさんが答える。
「お引越しするの」
「は? 引越しってどこに?」
「私の家」
それなら問題ないです。ってか逆にいいんですか? と声には出さずにユキさんを見る。
「説明するからとりあえず乗ってくれる? こっちは早く帰ってシャワー浴びて寝たいんだよ」
『シャワー』という単語に急いで飛び乗る。
「あら、ユキちゃん。彼に何も話してないのぉ?」
「話す時間がなかったの。ハル、あんたは今日から私の家で生活して。とりあえず家具家電除いた必要最低限の物をゴリに運ばせてるけど、足りない物とか必要な物があったら言って。それから、うちにいる間は絶対に自分の家に戻らないこと。いいわね?」
「ユキちゃん、それじゃ伝わらないわよぉ」
「知っておくべきことは伝えた」
「男って理屈とか理由が必要な生き物なんだから。ちゃんと説明してあげなきゃ」
ここには男しかいないんですけどね? というツッコミは飲み込んだ。
「はいはい。じゃあ、さっきのヤクザの組長に狙われてるから出歩くと殺されるわよ? ってことでうちに避難させることにしただけ。落ち着くまでは私の家で子守をしてもらうから」
「狙われる理由って……」
もしかして。
「そりゃ、あなたが大事なデータを警察に売ったからでしょ?」
「それ、俺じゃないっ。ユキさんがっ」
「私じゃないもぉん。あなたが急にいなくなった日に警察が組に突入。大事なデータが何もかも漏れてるって分かったら、組長は一体誰を疑うでしょうね? ついでにあなたの身元もそろそろバレる頃じゃないかしらね?」
「何か……したんですか?」
「私ね、用心棒って言ったけど、情報屋もしてるの。熊さんともそういう繋がりでね、いろいろとお互い情報を交換したりしてる仲なのね?」
情報屋。
だからあんなUSBを作れた訳か。
「……俺が適任って言ってましたね? 熊谷さんには言えなくても当事者の俺には言えるでしょ? これから何をさせる気ですか?」
「護衛、子守。そんなことよ」
「でも俺も狙われてるんですよね?」
「問題ないわ。狙われている者同士、仲良く大人しくしてくれていればいいんだもの。それに護衛するにはあなたはとても適任なのよ」
「適任適任って……」
「ゴリ、だから言っただろ? 必要なことだけ教えればいいって。うるさくなるだけで何のメリットも
「そうね。悪かったわ」
ゴリはそう言って肩を竦めて見せた。
「もうすぐ着くから少し黙っててあげて、ね?」
小さな子をあやすように言われ、俺はばつが悪くなって押し黙った。
でも、なんで俺が適任なんだろ?
子守というからには相手は子供なんだろう。
でも、俺は子供は苦手だ。
子供のあの真っ直ぐな目とか。
嫌いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます