2.深夜のタワーマンション
深夜二時過ぎ。
店を出た俺達は近くの公園に辿り着いた。
熊谷さんに会いに行くんじゃ? と訊いたら歩いて行けないでしょ、と馬鹿にされた。
が、公園に立っていたってタクシーも通らない。
そう思ってたら。
「ユキちゃーん! ごめぇん、お待たせぇ」
ゴツイ作業服姿のお兄さんが妙に高い声で手を振って小走りにやって来た。
作業服に似合わない女物のショルダーバッグはどこかでひったくって来たのかと一瞬思ったが。
この喋り方、そして身のくねらせ方、もしやそっち系の人?
「おう。待った。かなり待った。だから割引な」
公園に着いて五分程度だったが彼女はそう憮然と言い放った。
柔道かラグビーでもやってそうなイカツイお兄さんは体格に全く似合わない言葉遣いと身のこなしで「ごめぇん」と繰り返した。
「このお兄さんが例の?」
そこでようやく俺に気づいた風のイカツイ男が俺を見て問う。
「そ。今から犬熊さんとこ行きたいんだけど。その後で引っ越しな」
「あら、今からぁ?」
「そう言ってるだろ。さっさとしろ。もたもたするならさらに割引な」
「いやん。ユキちゃんの意地悪ぅ」
そんな会話の後、ようやく彼は近くに停めてあった黒いワゴン車に乗り込んだ。
助手席に彼が座り、運転席に彼女が座る。
俺は? 後ろ?
「さっさと後ろに乗るっ」
彼女にそう言われ、急いで乗り込む。
乗った瞬間、車は走り出し、慌ててドアを閉める。
「そういえば……お名前まだ聞いてないんですけど……ユキさん? って呼んだらいいんですかね?」
恐る恐る訊くと「うん」と素っ気ない答えが返って来て会話は終了した。
「あたしは『ゴリ』って呼んで。本当はユキちゃんみたいなかわいい名前があるんだけど、ユキちゃんってば『ゴリ』としか呼んでくれないんだもの。名前覚えるの苦手だから仕方ないって諦めてはいるんだけどね。でも『ゴリ』ってちょっと酷くなぁい?」
代わりにイカツイ男がフレンドリーに話しかけて来た。
が、その質問には「ピッタリですね」以外の答えが見つからず、でもそうとは言えずに「ですねぇ」と適当な相槌を打っておいた。
「でしょぉ? で、あなたのことは何て呼んだらいい?」
「ハル」
俺が答える前にユキさんが即答した。
春田だからかと思ったのだが。
「見張るから『ハル』で分かりやすいだろ?」
俺に護衛しろと言っていたのを思い出す。でも護衛というより監視なのか?
「確かに分かりやすいし、かわいくて羨ましいわ」
ゴリは少し悔しそうにそう言った。
確かにゴリみたいなネーミングは嫌だ。
が、男で『かわいい』というのもちょっと。
でもまあ、学生時代と同じあだ名だし、俺にとっても馴染み深い。
本当は男だけど美女にあだ名で呼んでもらえるなんて……と複雑な喜びを噛みしめていると、うーん、とユキさんが唸った。
「どうしたの、ユキちゃん?」
ゴリがすかさず問う。
「ゴリってプレストパウダー派だっけ?」
「ルースパウダーも使うわよ? 隠すものが多いといろいろ試さないとね」
「じゃ、そっち貸して。あとブラシと白い紙も」
「いいけど……何に使うつもり?」
言いながらバッグからフリフリのレースが付いたピンクのポーチを取り出して漁り始めた。
「熊さんトコって無駄にセレブでセキュリティが凄いマンションじゃん?」
「そうね」
頷いたということはゴリも知っているのか。
「ピッキングできないんだよねぇ」
押し入るつもりか?
「とりあえずパウダーとブラシはあったわ。あとは紙ね。白くないとダメぇ?」
「ダメ」
キッパリ言われ、ゴリはあぶらとり紙ならあるんだけどぉ、と呟いたがユキさんに無視された。
ポーチを諦め、ダッシュボードを開け、中を漁る。
「ねぇ、ハルたんもボサッとしてないで白い紙探してぇ」
ハル……たん?
こんなイカツイ男にそんな呼ばれ方をされるのは嫌だ。
ぞわっと逆立つものを感じたが、聞かなかったことにして後部座席を探る。
「あ。白い紙ってこんなのでもいい?」
ダッシュボードから少し端が折れた紙を取り出し、それをユキさんが横目で確認し、いいね、と頷く。
何かの広告らしく、裏が白くてツルツルした紙だった。
程なくして車は高そうなタワーマンションに辿り着いた。
「ありがと、ゴリ。じゃ今の内に引っ越し頼む」
「任せて」
無駄にウインクをするゴリにユキさんは必要最低限の物だけだからな、と念を押すように言って車を降りた。
「お前もさっさと降りる!」
急かされて俺も降りると、いつの間にか運転席に移動したゴリが手を振って車はそのまま走り出してしまった。
「実はここに押し入るの初めてなんだよなぁ」
そう言って髪をかき上げ、ユキさんはエントランスに乗り込んだ。
時刻は深夜三時近い。
ピンポン鳴らしたところで起きてくれるかどうか。
どうするつもりかと見守っていると、白い紙を手に自動ドアの前でしゃがみ込んだ。
ドアと床の僅かな隙間に白い面を上にして差し込もうとしている。
スルリと差し込まれた紙を再びそっと引き抜くと。
「開いた……」
自動ドアは簡単に開いてしまった。
「入るには暗証番号か鍵が必要だけど、出る時は何もいらないからね。人が通ったと誤認させれば簡単に開くよ。ま、こういうマンションじゃ昼間はできない手口だけどね」
「人目が多いからですか?」
「コンシェルジュがいるからさ。二四時間常駐のとこもあるけど、ここは深夜帯はいないんだ。代わりに監視カメラが異常に多いけどね」
そう言ってユキさんが天井とエントランスに置かれた鉢植えを指差した。
「警察関係の人が結構住んでるからさ」
「じゃ、さっきの防犯カメラに映ってたってことですか?」
「防犯じゃないよ。監視カメラ」
「え?」
「あんた警察の人だろ? 違い知らないの?」
「し、知ってるよ。ほら、防犯は犯罪を防ぐ為だろ? で、監視は見張る為だろ?」
「そのまんまじゃん。目的はそれで合ってるけど、大きな違いは防犯カメラは目立つように設置、監視カメラは目立たないように設置されているってことだな。至る所にカメラがあるから気をつけろよ?」
脅されて思わず周囲を伺い、挙動不審になる。
「だぁかぁらっ。怪しい動きするなっての」
パシッと肩を叩かれ、反射的にすみません、と謝る。
エレベーターに乗り込むと、五二階のボタンが押された。
最上階だ。
さすがに地上からそこまで上がるとなるとエレベーターでも少々時間がかかる。
眺めがいいんだろうなぁ、でも地震とか火事とか災害の時怖いなぁ、なんてことを考えていたが、ユキさんと狭い空間に二人きり。
ということを改めて思い出すと、この沈黙がとても長く感じた。
何か話した方がいいのか?
でも何を?
「……USB、ちゃんと持ってるだろうな?」
四〇階を過ぎた頃、ユキさんが口を開いた。
「はい。ちゃんとここに……」
ズボンの右ポケットからUSBを取り出して見せる。
と、ユキさんはスカートを捲って壁に片足を付き、銃を取り出した。
「何をする気ですかっ?」
「備えあれば憂いなしって言うだろ? 弾数確認しただけだよ」
グロックか。
一部にプラスチックが使用されている為、拳銃の中では比較的軽い。
モデルによっては反動軽減用のコンペンセイターが内蔵されているものもある。
トリガーセーフティーも付いてて安全性も高いし、ユキさんにはピッタリの銃だ。
「さ、行くわよ」
最上階に着き、エレベーターのドアが開くと、銃をホルスターに戻し、スカートを整えた。
俺はUSBを握り締め、軽く深呼吸をした。
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