Vice Versa

紬 蒼

出会い

1.女装の用心棒

 秋山あきやま太郎たろう、二七歳。

 暴力団の下っ端として三カ月。

 雑用ばかりの毎日だったが、今夜は違う。

 初めて組長と先輩方と飲み屋に来ている。

 店の一番奥の個室を貸し切って高い酒を浴び、そこそこ綺麗なお姉様方とくだらない下品な話で盛り上がっていると、不意にノックもなく美女が乱入して来た。

 

「あら、楽しそう。私も混ぜてもらっていい?」


 めちゃくちゃセクシーな黒いドレスに思わず見惚れる。

 組長も鼻の下を伸ばし、ええで、となぜか関西弁で招き入れた。

 代わりにそれまでいたお姉様方をシッシッと追い払う。


「ありがとう」


 そう言って出て行くお姉様方と入れ替わりに入って来た彼女は組長の隣に無理矢理座るなり、拳銃を突き付けた。

 途端に先輩方が一斉に銃口を彼女に向けて立ち上がる。


「銃を下ろすよう伝えて。私が引き金を引くのと私が蜂の巣になるの、どっちが速いかしらね?」

「……言う通りにしろ」

「賢明ね。さて、本題です。この街でオイタをしたでしょう? 薬とお金の話よ?」

「な、何の話だ?」

「だからドラッグとマネーロンダリングの話だって言ってるでしょ? うちはそういうの御法度なの。ここはあなたのシマじゃない、でしょ? ここは私のシマ。この街で悪いことしたら一度は忠告してあげる。うっかりってこともあるし、人間だもの。間違いはあるわ。でも、二度はないから。私は仏様じゃないもの。三度も大目に見てあげるなんて広い心は持ってないの。そういう訳だから、直ちに手を引くか、さもなければ私に殺されるか今すぐ答えを聞かせてくれる?」

 にっこり笑う彼女に組長も笑った。

「ははっ。威勢のええ姉ちゃんじゃね。ここがあんたのシマァ? どこのモンじゃい?」

「組に属してはいないし、ヤクザじゃない。ただのこの街の用心棒よ」

「ほお? じゃああんたのシマって訳じゃないじゃろ。シマってのは……」

「ヤクザだけが持てるものじゃない。この街は特別で私にも裏の顔があるの。用心棒は単なる表の顔の一つよ」

「裏?」

「そう。裏じゃヤクザ様よりももっと悪いことしてるから教えられないの。だから、さっきの答えを教えて? 返答次第じゃ……」

 潰すわよ? と囁いた。

 それは悪魔の囁きに似て、甘く恐ろしい響きを伴っていた。


 組長ともあろう男がその囁きに凍り付いているのが分かった。

「まさか……あんた……」

 そう唸るように言って、組長は大きく目を見開き、分かった、と頷いた。

「……手を引く」

 そう絞り出すように言った言葉に先輩方はざわついた。

 こんな小娘の戯言に何を、と反論したが、組長は黙れ、と一喝し、札束を置いて逃げるように先輩方と店を出た。

 が、一人、僕はなぜか銃口を向けられ、店から出られずに置いてけぼりを食っていた。


「な、なんで僕だけ……?」


 当然の疑問を投げかける。


「あなた、ヤクザじゃないでしょ? ケーサツの人、でしょ?」

 バレてる。

 なんで?

春田はるた那智なち。二七歳。潜入して……三カ月?」

 全部バレてる。

 秋山太郎は潜入の為の偽名で本名は彼女の言った通りだ。

「実は私、姉ちゃんじゃないのよね」

 は?

 もっと歳なのか?

 あ、俺と同じ潜入捜査官とか?

「兄ちゃん、なんだよね」

「は?」

 染めてない黒髪はツヤツヤのショートボブで、やや前下がりのデザイン性のあるヘヤスタイルで。

 よく白くて綺麗な肌を『陶器のような』と表現するけど、正しくそれがピッタリ嵌る感じの肌にアーモンド形のやや茶色かかった瞳と筋の通った鼻とぷっくりした赤い唇は思わずキスしたくなるような……

 とにかく全てのパーツが整ったどこからどう見ても絶世の美女が俺と同じ『男』だと告白した。

 いやいや。

 触ったら柔らかそうな胸もあるし、手足もほっそりと長くてしなやかなのが付いてるし、腰は細いし。


「胸はシリコンの詰め物をブラに挟んでる。毛は脱毛。工事してないからあんたと同じものが股の間に……」

 いや。そんなの聞きたくない。

 俺は反射的に両手で耳を塞いだ。

「……とにかく。戦利品をやるから協力してくれない?」

 銃を握る手とは反対の手で片腕を掴まれ、耳から無理矢理引き剥がされ、美女改め女装美男子はそう言い放った。


「せ、戦利品?」

「そう。薬物の入手ルートと販売ルート、それから金の流れが記された帳簿は裏帳簿も含めて全部。それがあれば潜入捜査は終了だろ?」

「はあ。確かにそれを捜査してましたが……」

「その情報が丸っと入ったUSBがコレね。でもって、あんたの次の任務は護衛」

 安っぽいUSBが胸の谷間から出て来て、やっぱり美女はそこに隠すのか、とどうでもいいことを思いながら受け取り、は? と彼女の語尾に反応する。

「護衛って……」

 言いながら彼女を指差すが違うよ、とすぐに否定された。


「私じゃなくて……チビの護衛」

「チビ?」

「今はうちで寝てるはず」

 猫か?

 なんかセレブの高い猫か何かか?

「あんたよくそれで潜入捜査官なんてやってるな」

 なぜそんな一言を言われなければならないのか分からなかったが、侮辱されたことには変わりない。

 が、大人なのでグッと我慢して。

「仕事は上官が……」

「犬熊さんなら私から伝えとく。そのUSB持って行けばお願い聞いてもらえるから」

「イヌクマ……?」

「警察ってよく犬って言われるでしょ? で、見た目が熊みたいな人だから犬熊さん。名前なんて覚えられるか」

 熊みたい?

 警察にはそんな人結構いる。

 ので、誰だか検討がつかない。


「私も実はどこの部署の人なのか知らないんだよね。一応、警察庁の偉い人らしいよ」

 警察庁サッチョーの偉い人?

 で、熊みたいって言えば……警察庁次長……なんてね……?

 いや、警視庁と混同してる可能性もあるし。

「あ、思い出した! 本当に熊が付くんだった。熊谷くまがいさんっ。そうそう、熊谷さん!」

 嬉しそうに笑う彼女の口から出たのは正しく警察庁次長の名前だった。

 そんな人となぜ彼女が知り合いなんだ?


 って、見た目からどうしても『彼』だと受け入れられない自分がいる。

 ハスキーな声もセクシーに聞こえるし。

 銃口がこっちに向いてなければ、飲み屋でこんな美女と個室に二人きりなんてシチュエーション、ラッキー以外の何物でもないのだけど。

 という心の声が聞こえたのか、不意に彼女は銃を下ろし、短いスカートの下に隠した。

 その際にチラリと太ももに巻かれたホルスターが覗く。

 どう見ても男性の足じゃないよなぁ、と見つめていると、クスッと笑われた。


「ま、偉い人に会うのも下っ端は大変だろうし、急に護衛の仕事がしたいとか言われても困るだろうから、特別に今回は私も一緒に行ってあげる。ってことで、今から行こっか」

「今からって……」

 時刻は夜中の二時だ。

 さすがに警察とはいえ、偉い人は寝ている時間だ。

「大丈夫。私はいつでもフリーパスだから」

 そう言って腕を組まれて無理矢理ソファから立たされると、なし崩し的に店から連れ出された。


 フリーパスって……本当にこの女装美男子は何者なんだ?

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