第5話 なりすまし

「ただいまー」


 リビングに入るとソファーでどかっとだらしなく寝そべっている妹の姿が目に入った。寝そべったままの姿勢でテレビのリモコンを操作しながら妹が声をあげる。


「おかえりー。私もさっき帰ってきたとこー」

「ヒロ、パンツ丸見え」

「いいじゃん、家なんだし」

「いつから学校?」

「明日―」

「なんか夏休み長くない?」

「そんなことないよ。トモのとこより夏休み始まるの遅かったじゃん」


 ヒロはよっこらしょと身体を起こした。テレビにはアイドルのコンサートの映像が流れている。部屋着のヒロに向かって話しかける。


「お母さんは?」

「遅いってー。もう少ししたらカレー作るから」

「かたじけない」


 ヒロこと小田裕子は私の双子の妹。私の方が姉ってことになってるけど、あまり上下の意識はない。顔やスタイルはそっくりだけど雰囲気がまるで違うとよく言われる。ヒロは見た目おしとやか。性格は大胆で無謀、やると決めたら突っ走るタイプ。一方私は見た目快活系。でも慎重で臆病、悪く言えばヘタレ、そしてずぼら。


 うちは両親が双子をあえて同じように扱わない、という子育て方針だった。私たちのような一卵性の双子はほっといても勝手に似てくるから、同じように育てるよりもそれぞれの個性を強調した方がいい、という考え方だそうだ。そんなこともあってお互い意識して違いを演出したり、キャラ付けしている面も多少ある。


 さらにいうと、実は私とヒロは誕生日が1日違う。単にお産の時間が日をまたいでしまっただけなんだけど、普通はそういう場合でも病院が気を利かせて出生届けに同じ日を書いてくれる。ところが、うちの両親は出産時刻そのままでいいと言ったらしい。おかげで星座も分かれてしまった。私はおうし座、ヒロはふたご座。


 ヒロだけが小6の時に受験して中高一貫の私立の丘の上女学院、通称オカジョに進学したのも、この両親の教育方針に基づくものだった。ヒロは小さいころからコツコツと勉強するのが好きだった。対する私は今でも圧倒的に一夜漬け派。安定していい成績を取るヒロに対して、私はヤマが当たるか当たらないかで乱高下する成績だった。


「それよりトモさー、今日帽子と服借りたよー」

「あら、珍しい。いつもテイストが合わないとか、素っ気なさすぎるとか散々難癖付けてくるくせに」

「まあ、そうなんだけど、今日ぐらい暑いと、ちょっと私のじゃ動きにくくてね。そんでねー」

「んー?」


 私は制服を部屋着に着替えながらヒロの呼びかけに応じる。

 自分の部屋は暑いのでエアコンの効いているリビングでそのまま着替え。


「中央駅で話しかけられたー。トモの学校の多分同級生」

「あらー、また間違えられちゃった? そりゃあお手数おかけして」


 雰囲気は多少違ってもそこは見た目そっくりの双子。しばしば見間違えられる。イメチェンしたの? とか、おめかししてるね、みたいなノリで知らない人から話しかけられたりする。私も何回もヒロの学校の子に間違えて声をかけられたことがあった。


 私は制服をハンガーにかけて、キッチンの冷蔵庫を開けた。


「あら、なんにもないじゃん。ヒロ、なんか飲むもんないの?」

「ここにポカリあるよー。あと冷蔵庫の下にアイスコーヒーが入ってる」

「ポカリでいいや。ちょっとちょうだい」

「ほい。あ、それとヴィタメール買ってきてあるから、後で食べよっかー」


 ヒロはリビングのテレビの前にあるテーブルから飲みかけのポカリのペットボトルを手に取ってこっちに渡してきた。


「サンキュ」


 ふたをひねって立ったままラッパ飲みする。

 お行儀悪いって?

 分かってるけど、暑かったし喉かわいてたし、しょーがないじゃん。


「そんでね、トモ。なんかね、にこにこした男の子だったよ」

「はあ、そうですかい」


 ヒロはいたずらっぽい笑顔をこちらに向けて話しを続ける。


「そんでねそんでね、これは! って閃いちゃったのよ」


 私は嫌な予感がしてヒロの顔を見た。


「……ヒロ、まさか……。やったんじゃないでしょうね?」

「双子歴18年、ここが人生の勝負所っていう神の思し召しが……ね?」


 ヒロの通うオカジョはカトリック系の女子校だけど、この際そんなことはどうでもいい。


「またやったの? もう、たいがいにしといてよ、まったく!」

「喫茶店行かない? ってにこにこ誘われたら、ちょっと付いて行ってみたくなるじゃん。……ね?」

「うわー、まじか。『ね?』じゃないわよ!」


 私は本気で頭を抱えた。

 ヒロはまたあれをやったんだ。


 なりすまし。


 私は学校で、他校に通う妹がいることは常々言っている。ただ話の流れで双子とは言いそびれることが多々ある。別に隠す気はないけど、妹の年齢を話すきっかけがないことが多いから。


 それで、街で私と間違えてヒロに声をかけるうちの学校の学生がたまに出てくる。そんな時、双子の妹と相手に告げずに、私になりきって声をかけてきたうちの学校の男子と話をするのがヒロのひそかな趣味だった。そんなことして何が楽しいのか、私にはさっぱり分からないけど。


 常識的に考えてそんなの会話が続くはずがないのに、ヒロは持ち前の頭の回転とトーク力で乗り切ってしまう。


「別にバレても、実は妹なんですって言えばいいだけだし」とヒロは言い放ってた。ヒロいわく校内で顔見知りレベルの付き合いの人が一番引っかかりやすいそうだ。


 何度も文句を言っているけど「だってうちの学校出会いがないんだもーん♡」と悪びれる様子はみじんもない。

 

 リスクの低い逆ナンパ。

 いや、声をかけられてついて行くんだから普通のナンパか。

 まあどっちでもいいや。


 しかし、そのリスクのほとんどは私がかぶっているって分かっているのかね。

 ヒロのことだから多分、分かっててやってるんだろう。


 ある日突然学校の廊下で「小田さん、こないだ楽しかったよね。また行こうね」みたいなことを、ほとんど話したことのない人から言われて立ち往生したりする。はなはだ迷惑だ。


「この前ご一緒してからあなたのことが忘れられません。付き合ってください」とまで言われた時は、さすがにしびれた。


「すみません、それ多分私の妹です。紹介しますんで、本人と直接やってください」と電話番号を書いた紙を渡してさっさと立ち去った。

 

 それしかやりようがなくない?

 

 ヒロにはその日家に帰ってから力いっぱい罵詈雑言を浴びせといた。


 その後その人から電話がかかってきて断ったのか、電話もかかってこなかったのかは分からないが、今でもヒロに彼氏はいない。


「ヒロ、もういい加減にしてよね! あんたの友達に声かけられても私はなりすましなんてやらないでしょ?」

「そりゃトモに間違って声かけるの、うちの学校の女子だもん。私は男子との出会いを求めてるの!」

「なりすまして出会っても後が続かんでしょうに」

「人生どう転ぶか分からないんだからねー。日々の積み重ねが大事なんだよねー」

「やめてよ、まじで。迷惑するのは私なんだから」

「まあまあ。そんでそんでそんで、今日の男の子ね、喫茶店行ったんだけど、すぐばれちゃった。というか私からばらしちゃった」

「なら、まあ、よかった……。よくはないけど」


 最後までばれない方が、後になって私に被害が及ぶことが多い。今回は軽傷ですみそう、と思った。しかしヒロからバラすのはちょっと珍しいな、と少し違和感を覚える。


「席に座ってもあたしの顔あんまり見ないでさ……」

「はあ」

「やっと見てくれたと思ったら『こないだの話なんだけどさ……』と真剣な顔されちゃって……」

「え?」


 こないだの話?

 背中を冷や汗が流れた。


「なんか変な空気になってね、『……もう一回考え直してくれない?』とか言われて……」

「……」

「『トモのいないクラスなんて楽しくなくてさ』って言うから……」


手からポカリのペットボトルが滑り落ちて床で跳ねた。


「……ヒロ」


「あ、これってもしかしてヤバいやつ?とか思っちゃって……」


「……ヒロ、あんたね」


「しょうがないから『実は私、友子の双子の妹の裕子なんです』ってカミングアウトしたのね。そしたら……」


「ヒロ! あんた自分が何やったか分かってんの!? サイテーだよ!!」


 思わずヒロに怒鳴り声をあげて、かばんを投げつけていた。そのまま2階に駆け上がる私。


 ばかばかばか、ヒロのばか! なんてことしてくれたんだ!

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