第3話 過ぎ去りし日々の言葉たち


『小田さん、よろしくね!』

『あ、よろしくお願いします。国広君、だったよね?』

『コージでいいよ。小田さん、家どのへんなの?』

『赤い電車の坂の町駅』

『水族館の近く?』

『あー、あれとは反対の山の方なの』

『そうなんだ。お近づきのしるしに、これ食べる?』

『なに? あ、チロル。えーと、あ、ありがとう』


*******


『げっ、次の英語の教科書忘れてきちゃったよ。オダトモさん、悪いけど見せてくれない?』

『見せるのはいいけど、そのオダトモってなに?』

『オダトモって呼んだらだめ?』

『絶対いや』

『うーん、じゃあ だーともって呼ぶのは?』

『もっといや!』

『そんなに怒るなよー。これあげるからさ』

『なにこれ? ビスコ?』

『うん。つまみ食いに最適だぜ? 授業中でもこっそり食えるし、腹持ちはいいし、ほのかに甘いし。超おすすめ』

『へえー。……あら、割といけるかも』

『もう食っちゃったの? 食べるの早すぎだろ』

『こんなの一瞬で食べられるよ。ねえ、もう一個もらっていい?』

『だーともって意外と大食い?』

『ふーん、国広君、教科書見たくないんだー。そーなんだー』

『あ、いや、その、どうぞ召し上がってください』


*******


『あれ? 国広君、どこ行くの?』

『お、だーともじゃん。俺、今から部活。あ、それとコージでいいから』

『へえー。軽音ってこんなとこでこんな時間からやってるんだね』

『楽器鳴らすの交代制だから。一年生はスタートが遅いんだよ。だーともも部活?』

『うん。調理実習室で料理研究会。もう終わって帰るとこなんだ』

『へえ。だーとも料理できるんだ』

『あはは、料理研究会って言うけど、実態はねー、自分たちで作ったお菓子を食べながらおしゃべりするだけなんだよねー』

『おお、そりゃなんとも井戸端会議感あふれる部活だな』

『ひどい時は買ってきたお菓子で済ませることもあるんだって』

『なんだそれ、どこも料理研究してないじゃん』

『今日はちゃんと作ったよ。これ食べる? さっき作ったクッキー』

『お、こりゃいいね。ありがと。いただきー』

『あ、そんでさ、だーともっての、やめてくれない?』

『じゃあな、だーとも! 気を付けて帰れよ!』

『こらー! だから、だーともって呼ぶのやめろー! 食い逃げすんなー!』


*******


『だーともー、購買のクリームパンあるけど食べる?』

『もー、そのだーともってのやめてよー!』

『いーじゃん、そういうの、はやってんじゃん。メル友とかずっ友とかさ』

『そのはやりと私の名前、関係ないよね?』

『いや、まあ、そりゃそうだけど……。クリームパンいらないんならユリちゃんにあげちゃうけど?』

『とりあえずそれは私がいただきます』

『じゃあ、だーともって呼んでいい?』

『それとこれとはべーつ』

『えー』


*******


『だーともー、今日の放課後さー』

『だからー、だーともって呼ばないでって』

『んー、じゃあ、小田友子さん、今日放課後ひまだったらさー』

『……なんか、それも固すぎてやだ』

『わがままだなあ』

『何言ってんの、コージ君が変な呼び方するからだよ。で、放課後がなあに?』

『ハンズ寄って帰らない?』

『うーん、イマイチ』

『そっか。残念。それじゃ、また今度ね』

『……パフェが食べたいなあ』

『は?』

『パフェが食べたい』

『なに? だーとも、俺を脅迫してんの?』

『いえいえ。私はパフェが食べたいとしか』

『あー、分かった分かったよ。パフェおごるからハンズに付き合ってくれませんか!』

『やったー!』


******


『コージ君、なんかテンション低くない?』

『数学赤点だった……』

『あららー。でも仕方ないかもねー。そういうの、なんていうか知ってる?』

『晴天の霹靂』

『あはは、いいボケだねー。正解はねえ、自……』

『分かってるから。それ以上言わなくていい』

『あら、さすがのコージ君もショックなんだ』

『うん。これは凹むわ。…… だーとも、数学教えてくれない?』

『私が?』

『えーっと、マック食い放題で』

『ほほう、私が食べ物に釣られるとでも?』

『釣られないの? 本当に釣られないの?』

『…… しょうがないねー。食べ放題だもんねー。よーし、じゃあ行くぞ!』

『え? 今から?』

『思い立ったが吉日!』


*******


『だーとも! 今年も同じクラスだな!』

『そだねー。コージ君、今の気持ちを一言で表してみてよ』

『大変うれしゅう思います(棒)』

『誠意が足りない!』

『では、とりあえずお近づきのしるしに……』

『セントラル地下街のケーキ?』

『……購買のクリームパンでも』

『えー、それじゃあ一歩も近づいてないよ』

『あはははは、今年もよろしくな!』

『うん! ケーキ楽しみにしてるね!』

『え? え? それってまじなの?』

『今日の放課後、ひまだなー。たまたまだけど、ひまなんだよなー』

『うーん、なんかハメられてる気が……』

『ふふふ♪♪』


*******


『だーともは大学どうすんの?』

『四大行くつもりだけど。あんまり細かいことはまだ考えてないかなー』

『文系? 理系?』

『んー、どっちかっていうと文系。コージ君は? 数学苦手だからやっぱ文系?』

『いや、……俺は理系だなあ……』

『あら、それはまた随分大きく出たね』

『うーん、いろいろとまだ悩んでるんだけどな』

『コージ君に悩み事は似合わないぞ。選べ、迷うな、突き進め!』

『だーともは俺のこと買いかぶりすぎ。そんな簡単に選べないし、迷うし、立ち止まるよ』

『もお、なんか調子狂うなあ』

『……んー、どうしようかねえ』

『わかった! コージ君、ラーメン食べて帰ろ? 私がおごってあげるし!』

『まじ?』

『まじ』

『大盛り全部載せあり?』

『調子乗りすぎ』

『もしかしてさ。俺がだーともにお店でおごられるのって……、始めてじゃない?』

『……うっ、うるさーい! とにかく行こ! さ! 早く!』


*******


「トモ? おーい」


 ユリが 「ちょいと失礼」 とトイレに行った数分間、私の意識は昔の思い出を飛び飛びに再生していた。

 放課後、本屋に寄った私たちは参考書、雑誌、文庫本なんかを買って、お茶でも飲もう、と茶色っぽい内装のコーヒーショップに入った。

 頬杖をついて夢想する私。

 気が付くと正面にユリが座って手を振っていた。


「あ、ユリ。ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

「どうせ『だーともー』って呼ばれてたことでも思い出してたんでしょ?」

「うっ、ご名答ですよーだ。ふん」


 妄想の内容をずばり言い当てられた恥ずかしさから私はそっぽを向いた。ユリは私の態度に構わず身体を乗り出して来て話しを続ける。少し声を落として、真剣な感じで私に囁いた。


「トモさあ、なんで断っちゃったのよ。即答OKでよかったんじゃないの? 私、一年のころから二人見てるけどさ、あそこまで出来上がった状態なのに、その場で断るとかありえないよ」


 いきなりの核心を突くハードパンチ。まったくユリは遠慮もへったくれもない。私はため息まじりで返すしかできない。


「……なんかタイミング悪かったんだよね。何もかも」

「もー、それさ、トモが変に気をまわしすぎてるだけだよね?」

「そうは言ってもね。……うん、なんかさ」

「なんだかなあ。コージ君がトモと付き合いたいっていうんならそれでいいじゃない。なんでトモが遠慮するのかなあ」

「うん。分かってるんだけどね」

「まあ、トモが決めることだから、私が口挟む気はないけど。でも振った方がダメージくらうのもなんだかなあって思うよ?」

「ダメージなんか、……くらってない、……こともない、……ぐすっ」

「あー、もう、泣かない泣かない」

「……」

「もう一回コージ君と話ししてみたら?」

「……そんな勇気ない」

「じゃあさ。トモはもうコージ君振ってるんだから、私がコージ君狙っちゃってもいいんだよね?」


 思いがけないユリの言葉に素で「えええっ?」と声をあげて目を見開いてしまった。


「……嘘だよ。まったく」

「なんだ。びっくりした」

「でも誰かがそういうこと言い出す可能性あるんだよ? というか、その可能性めっちゃ高いんだよ?」

「……」

「コージ君、ああ見えてなんとなくいいなあって思っている子たくさんいるし。みんな高三の後半はいろいろ感情的にナイーブになるからね」


 ユリはそう言ってグラスのストローをくわえた。

 そして、わずかに残ったアイスコーヒーをずずずっとすすって、聞こえるか聞こえないかの声で「コージ君、控えめに言って相当モテると思うよ、これから」と付け加えた。



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