第2話 友達のトモ
夏休みが終わってすぐのある日のお昼休み、私とユリはいつものように教室で机を並べてお弁当を食べていた。
夏休み前と何も変わったことがなかったかのように。
「ユリ、うらやましいなあ」
「ん? 何が?」
「名前」
「へ?」
「なーまーえ。ユリって名前だけでなんかさ、……んー、その、男の子に持てそう? って感じだもん」
「はあ? なに言っての? トモ、大丈夫?」
ユリは机の向かい側でお弁当の卵焼きをつつきながらまじまじと私を見た。
「だってさ、私なんて令和のこの世の中にトモコだよ、トモコ。大正生まれのひいおばあちゃんと同じ名前なんだよ?」
「レトロっぽくて良い名前でしょうに」
ユリは大きな目をさらに丸くして、お前は間違ってる的な勢いで反論を付け加える。
「それに一周まわって希少価値もあるじゃん」
卵焼きをぱくついたユリは、空になったお箸を私の顔の前で振りながら、顔を近づけてきた。そしていかにも悪口を言いますよと言う感じで声をひそめる。
「……いっちゃ悪いけど一組のきららちゃんとか六組のロエルちゃんなんてさ、書くのめんどくさそうだし、それに年とってから大変だと思うよ?」
「そりゃそうなんだけどね」
私は口先だけ同意して、ふうとため息を一つつく。
たしかにユリの指摘はもっともだ。
「友達の友のトモコです……」
それが私の自己紹介の時の定番のセリフだった。これだけで今のところ百パーセント分かってもらえている。字を間違えられたことも記憶の限りない。十回に一回ぐらいユウコと読まれることはあったけど。今のクラスの女子十八名の中で「~子」という名前は三人しかいなかった。ユリの言う希少価値とはそのことだろう。
水筒のお茶を一口飲んで私はユリに向かってつぶやいた。
「そういえばきららちゃんって漢字でどう書くんだっけ?」
「うーんと、綺麗の綺に羅生門の羅に、どうだったっけ? つちへんに立つかな?」
「綺羅垃って書くんだー」
私はシャーペンで机に直に書いて確かめてみた。
「うーん、確かにこれはちょっと書きにくいかなあ」
正直に感想を口にすると、ユリが我が意を得たりとばかりに話を繋げた。
「一年の時きららちゃんと同じ生活委員だったんだよね。自己紹介で『漢字はめんどくさいからひらがなでいいです』って言ってた」
「へえ。そうなんだ」
「本人割と嫌がってるみたい。典型的キラキラネームだし、とにかく説明するのが面倒でしょうがないって」
「それでも私みたいに古臭いよりはいいと思うなあ」
「トモの名前は古臭いんじゃなくて安心安定のクラシックなんだよ。トラディッショナルって言った方がいいかな。とにかく、そんなことで自分を卑下するなんてナンセンス!」
時代を超えていいものってのもあるのよ、とちょっと偉そうなことを呟きながら、ユリはむしゃむしゃとご飯を食べている。
ほわほわした見た目に反してユリはかなり男っぽいところがある。
「ユリ、実はね、私、漢字の画数が少ないのもイヤなんだよね」
「なんでさ。そんなの多けりゃいいってもんでもないよ」
「名札とかさ、すかすかになっちゃうから。きららちゃんほどじゃなくてもせめてユリぐらい画数があればなあと何回思ったことか」
私の場合は苗字が小田だからなおさらスカスカ感がある。
小学校1年生の漢字で氏名が全部書けてしまうのは昔からクラスで私だけだった。小学校の低学年のころはそれが嬉しい反面、漢字の難しい子が大人っぽくて羨ましいと思ったもんだ。
きららちゃんの苗字は齋藤。いろいろあるサイトウさんの中でも一番画数の多い奴。ユリは朝霧由利子。どう考えても名札にした時の字面のカッコよさで負けている気がする。
「変なこと気にするんだねえ、トモは」
「そうかな?」
「きららちゃんが一回名前書く間にトモは五回も書けちゃうんだよ? それってすごいメリットでしょうに。テストの時なんかで」
ユリは齋藤綺羅垃、小田友子と空っぽの箸の先で空中に字を書く。若干お行儀が悪い気もするが、それもユリがやると許される。ユリは、大きな目を見開くと、すごいことに気が付いた、と言う感じで声を上げた。
「うわ、齋藤の齋の字だけで『小田友子』より画数多いんだ」
これはきららちゃんかわいそう、とユリは真剣にきららちゃんを憐れんでいる。
「でも画数の多い名前とかカッコいい。やっぱり憧れるなあ」
「トモのその感覚、私にはまるで分かんないや。少なくとも私は名前でモテたことは一回もないぜ」
「ま、ユリは名前以外にモテる要素満載だもんねー」
「なに言ってんの。私おだててもケーキとかおごんないよ?」
「別にユリにケーキおごらせようとか考えたことないし」
「考えたことあるんだー」
「ないないない。こんなんでおごってくれるのってコージ君ぐらい……あっ」
あわてて口をつぐむ私をユリはじっと見つめた。変な沈黙が私たちの間に流れる。
「…………どーせ私は友達のトモですよ。……はぁ」
昼休みも半ばを過ぎて徐々に教室にクラスメートが戻ってきていた。私たちのお弁当もあとはデザートだけになっている。
「トモさ」
「はい」
「それって振った方が言うセリフじゃないよね?」
ユリは少しだけ咎めるような鋭い目線で私を見て、それからすいかに豪快にかぶりついた。
「……そうだね。……ごめん」
私はつまようじに刺さったりんごを一口でほおばる。確かにこれは失言だったかもしれないと反省。
「……あんまり言わない方がいいよ、そういうセリフ。無駄に敵増やしてどうすんのよ」
「まじごめんなさい」
ここは素直に謝っておく一手。
「謝る相手が違うんじゃない? まあ、トモのテンションが上がらないのは名前のせいじゃないってことだよね」
「……えーと、はい。その……、おっしゃるとおりです」
窓際の私の席から見える空は今日も真っ青だった。
暦の上では既に秋。
でも、まだ余韻と呼ぶには濃厚すぎる夏の気配が漂っている。
ユリは食べ終わったお弁当を片づけて、ふわりとナチュラルボブの髪を揺らして席を立った。
私はそれに向かって声をかける。
「あ、ユリ、今日帰りひま? 本屋さん付き合ってくれない?」
「はいはい。トモのおトモはしばらく私が引き受けますよ」
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