第13話 いざ鎌倉嬢
巽恒さんお手製たらこパスタのせいで午後が丸々潰れることが決まった。
今日は風が冷たいが早々にコートが荷物になりそうだ。まるで反復横跳び。一所に留まらず転々と。大した休憩もなしに。落ち着く場所を探しているわけではなく、移動するために移動を繰り返す。追いかけるほうの身にもなって欲しい。
メールを受信した。尾行要員その1から。
ツグ≫つまんなそうだね。
自分≫楽しそうだね。
ツグ≫ノリウキはさ、気に入らないととことん気に入らないで通そうとするから。
自分≫楽しくないものは楽しくない。
ツグ≫現状を楽しい方向に持ってこうよ。なんだっけ、認知?
自分≫それ言われるとつらいなあ。
ポケットが振動した。尾行要員その2から。
「ねえねえ、よっしーていつの間にそういうバイト始めちゃったわけ?」
「違うよ。話聞いてないよね」いつもそうだ。
「そだっけか。わ、いま腕組みそうになった。駄目だよ、よっしーそんなんじゃカネ取れないよ。おいおいだいじょー?」
まったく統率が取れていない。
その肝心の統率というか完全無欠大胆不敵な最強ブレインを、思惑バラバラな手下たちが銘々勝手に尾行しているのだから無理な話だろう。
尾行要員その1は自らの使命を探偵や警察の延長だと考えているらしく、やたらうきうきわくわくどきどきしている。嫌がらせ的なメールを送るのはやめて欲しい。やる気がないのを指摘されても重々承知しているつもりだ。
尾行要員その2はファイナルフェイズになってようやく参加する権利を与えられて過剰なまでに張り切っている。持ち前の機動力をフルに活用して尾行対象にちょっとでも動きがあるといちいち連絡をくれる。どうでもいい情報しか伝えないのだから電話はやめてもらいたい。
尾行要員その3は連絡を絶って一時間ほど経つ。いや、そもそも連絡するための手段を持っていなかった気もしてくる。そうなると意味がないではないか。
もう、なんだろう、と思う。
ちなみに自分は尾行要員4ではない。断じて違う。強いて言うなら屋島の保護者。きっとそう。
「ところであの人誰なんだろね」那須蔓が言う。
「あのさ、本当に話聞いてなかったよね」
「話? あ、うんうん。へーき。だってよっしー尾行ればいいわけだろ? ちょろいって。うぎゃ、また引っ付きそうになった。うっひゃ」
いろいろがダメダメだ。
だいたいどうして尾行が四人も必要なのだろうか。
違った。自分は除いて三人だ。つい流れで。
わかったようなわからないような説明は一応受けたがぼんやりと的を射ない。中途参加の那須蔓が万に一つもあり得ないストーリィを投影しながら楽しんでいるのはいつものことだとしていま自分が何をしているのか、何をすべきなのか、完全に見失っている。
「切っていいかな」
「おう、またなんかあったら」那須蔓が言う。
いっそ電源を切ってしまいたい。
またメール。
尾行要員1が尾行要員3を確認したらしい。尾行要員2とは違う方向から尾行対象をばっちり捉えているとのことだった。
自分≫じゃあ帰ってもいいかな。
ツグ≫あれが鎌倉嬢だとしても?
自分≫別に最初からどうでもいいし。
ツグ≫今回はご褒美が出そうだよ。生もので。
自分≫生ものって?
ツグ≫もらってのお楽しみ。俺は駄目だけど。
日が短くなっている。影も濃く長い。明日の時間割を思い起こす。宿題は終わらせてあるから塾の問題集を。
ツグ≫返信してよ。
自分≫面倒になってきた。どこにいるの?
ツグ≫こっちからは見えるよ。
自分≫そこからじゃ送れない?
ツグ≫ノリウキのほうが見えてないから不可能だね。
巽恒からメールを受信した。
周囲を見回して目印を探す。ぼやぼやしていたら相当離れてしまったようだ。
まずい。
巽恒は散々人を待たせるくせに他人が遅れていくと鬼火のごとく怒る。
集合場所は公園のようだった。
といっても人は誰もいない。夕暮れ時なので子どもはもう帰らされたあとなのだろう。ぶらんこが二つあり、尾行要員2は立って、尾行要員1は座っているが両者とも危険なことには変わりない。金具が外れそうなくらい振り子が揺れている。シーソーの下がっているほうに尾行対象もとい統率が腰掛けている。
すこぶる機嫌の悪いときの顔で。「まじめにやっとらんかったね、ノト君」
「すみません。あの、相手の方は」
統率が顎で示した先にジャングルジムがあった。
尾行要員3がもたれかかっている。子ども用の遊具だからなのか尾行要員3の体格が大きすぎるのかわからないが、アンバランスな光景だ。
ジャングルジムの反対側に滑り台があった。その陰から見たことのない女性が顔を出す。
「自己紹介したって」統率がうんざりした様子で言う。
「もしかして、本名を言うのかしら」
「仲良うしてほしいんやったら言わなあかんね」
比較的小柄で、長い髪は明るい茶に染めている。これから冬になるというのに両腕が完全に露出しており、見ているこちらが寒くなってくる。眼がぎょっとするほど大きいのは化粧の効果なのだろうか。
「
「で、そのヒデりんゆうのがなに?」統率が言う。
「どうしてそんなに冷たい言い方するのかしら」
統率が項垂れて溜息をつく。
深く長く。
「ああ、も、お前のせいやからな。どないするん、これえ」
尾行要員2が揺れているぶらんこから飛び降りた。尾行要員1も負けじとそれに倣う。飛び降りた際の飛距離を競っているらしい。
「え、どういうことですか」
「そうよ。ちっともわかんないじゃない」
統率が顔を上げて女性をキッと睨みつける。凄まじく恐ろしい形相だった。
尾行要員3が一瞬だけ殺気を発したように感じられた。勿論能登にでもましてや統率にでもない。
鎌倉嬢と思しき女性に対して。
「なあ、ケイちゃん。まさかとは思うんやけどあんとき」統率が両手で顔を覆う。
「すんません。てっきり気がついているものと」尾行要員3が言う。
「そか。ええわ。ケイちゃんが悪いんやないし」
「ねえねえ全然わかんないわ」女性が統率にぐいぐい迫る。
それは大いに同感だが統率側から何か注釈がもらえると考えないほうがいい。大人しくしていれば何も与えられないし、しつこく尋ねると機嫌を損ねる。扱いの難しいトップなのだ。
「おま、きっちり後始末つけろやあ。返事は?」統率がどすの利いた声で言う。
「はあい」女性が気の抜けた返答をする。
〉〉また負けた。
「へっへー、も一回やる?」那須蔓が得意げに言う。
蚊帳の外の人員に訊いたって無理な話だろう。推理するにしても情報が足りなすぎる。
仕方なく、恐る恐る統率に視線をやる。
視線だけで人を殺せるのはおそらく彼を置いて他には存在しない。
「ノト君、今日のこと内緒ね。特にあのアホ社長には」
「は、はあ」
「すごおい。社長さんの友だちがいるの?」女性の眼がキラキラ輝く。
「やかまし。黙っといて」
女性が統率の隣に座ろうとしたら、統率はぱっとシーソーから離れる。その一部始終を穴でも空ける勢いでガン見していた尾行要員3が明らかに敵意を向ける。
勿論鎌倉嬢に。
機嫌が優れないのは統率だけではないようだ。
「帰ろか」統率が力なく呟く。
ようやくずっと引っ掛かっていた違和感の正体がわかる。
黙っていたほうがいいのだろうか。
まさか秘密にすべきはそれ?
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