第10話 仮説検証しらみつぶし
無駄に背の高いオヤジのハゲ頭が邪魔で仕方ない。
女性店員にいつまでもしつこく話しかけている。お前の目当てはその新商品の説明ではなくて女性店員の顔なり姿だろうが。セクハラ現場をわざと見せ付けられているようでイライラしてくる。とにかく右でも左でも上でも下でもいい。退け。消えろ。
〉〉場所変えたほうがいいね。
「他にあらへんよお。ほら、よう見て」
〉〉あ、確かに厳しいかな。ちょっと見てこようか。
「頼むわ」
屋島を偵察忍者として放つ。
さすがに能登は来てくれなかった。塾のサボりすぎで叱られるような家ではないが困るのは能登本人だ。交換条件の数学は教えたのでこちらとしてはもう釣り餌が使えない。
売り場カウンタに眼をやったつもりなのに、視界にはハゲオヤジしか入らない。懲りもせずまだねちねちと。店員も店員だ。厭なら厭と断ればいい。表情はあからさまに引き攣っている。気が弱いのか。可哀相と思う同業者がいるのなら助けてやれ。
わざと手に触った。わざと肩に触れた。わざと。
観葉植物の鉢を蹴る。
角度ばっちり。ハゲオヤジと店員の間に倒れる。
客が一斉に音源を辿る。野次馬が集まってくる。近くの店員が申し訳ありません、と言いながら植木鉢を片付ける。元凶は素知らぬ顔をする。
〉〉すごい音。なに?
「ああ、聞いとったん? あかんよ、視覚に頼らんと」
〉〉へえ、なるほど。
屋島は誤魔化せないか。
首を振ってから携帯電話売り場に視線を戻す。眉を寄せている
「で、見つかったん? 俺にはデウスエクスマキナも味方みたいやけど」
〉〉むしろ撹乱だよ。全員が黙っちゃったんだからリセット。
「すまへんね。もいっかい頼んでええかな」
〉〉ちょっと休憩。
屋島が遮断モードに入った。観葉植物が元の位置に戻っている。土も片付けられた。岐蘇がまだこちらを睨んでいるようなので睨み返してやった。いい加減捜索に戻れ。
せっかく迷惑なハゲオヤジがいなくなって清々しているというのに。
「あの、これ」
ビックリした。先ほどまでハゲオヤジに質問責めを食らっていた店員が手に何かを握らせる。確認する前に店員はぱっといなくなってしまった。
福引券。
そういえば入り口でそんな催しをやっていた。大名行列も顔負けなほどの長蛇の列が形成されていたので何事かと思ったら、購入金額がある一定の額以上に達すると、それを上回った額に応じて券が配布されるのだ。もらえる最低金額がいくらだったかは失念したがこちらにしたら思いも寄らないお礼。ちょうど屋島が遮断モードなのでこっそり引いてこよう。
混雑するエスカレータで下りて一階の入り口に並ぶ。あと何十人だろうか。列を視界に入れた途端早くも厭になってしまった。
〉〉ヨシツネさんにしては珍しいね。こそこそ。
「あえ、気づいたったん?」
屋島がすたすたと隣に並ぶ。
「ええっとな、遮断の邪魔し立ったらあかんかな思うて」
〉〉視覚に頼れ、て言ったの誰だっけ。
黙るしかない。
屋島が背伸びしてくじ引きの賞品表を見つめている。
〉〉一等はテレビだよ。つまんないね。
「せやなあ、現金ならええのに」
〉〉さっすがボス、身も蓋もねえですね。あ、三等なら欲しいかも。
デジタルオーディオプレーヤ。
「え、あれ持ってへん?」
〉〉データ量が桁違いなんだよ。それに最新モデル。いいなあ。
「他に何ある? よう見えへん」
〉〉二等は暖房器具。四等は温泉宿泊券。五等は商品券。
「それでええよ。目指せ五等」
〉〉ヨシツネさんが引くの?
「俺やなかったら誰が引くん?」
〉〉欲がない人が引いたほうがいいっていうけど。参加賞はお菓子かティッシュだし。
「ほんならちょうどええのがおるよ。ケイちゃん、お帰り」
「なんやオモロかった?」
「何するところなんすか」群慧が言う。
「さあなあ、人類展示?」
「それで人だらけすか。なるほど集めて」
〉〉騙されてるよ。
「嘘なんすか?」群慧が言う。
「まあええわ。ケイちゃん、ちょおここ並んどいて。で、順番来たったらあっちの赤い人にこれ見せてクジ引くん。できる?」
「わかりました」
〉〉結果気にならないの?
「ケイちゃん信じとるさかいに。ほな」
エスカレータを上がって携帯電話売り場に戻る。運は天に任せるしかないが仕事なら頑張りに応じてカネになる。屋島は追ってこないようだ。三等が手に入ったら横取りしようと企んでいるのだろう。もし三等が当たったとしたらバイト代として与えても構わないようにも思う。我ながら屋島には甘い、と再認識しながら岐蘇を探す。もちろんエスカレータの陰から。
携帯電話が振動した。噂をすればああ面倒。
「なに?」
「どこにいる」岐蘇が言う。
「どこにいる、やのうてそっちの首尾はどないなっとるの。見つかってへんから」
伊舞が暢気にも手を振っている。ついつられて手を振ってしまう。
「用あるんならそっちがおいでね」
切った。こちらが店内を練り歩けないからわざわざお前を派遣しているということをすっかり忘れてあのふてぶてしい口調。エスカレータの脇にあるベンチで現場監督だと打ち合わせのときあんなに念を押して。
「どこ行ってたんだ」岐蘇が言う。
「おったよここに」
「さっきは居なかったろう」
「さあなあ。で、なに?」
「いないんだと」
「辞めた、ゆうこと?」思わず伊舞を見る。
伊舞は、ベンチに腰掛けてだらりとしている。
「かねやん、よお思い出して」
「そんなこと言われましても、ううん。それっぽい人いなくて」
「外見はどないな感じ?」
「ううん、どっちかというと派手目できびきびした感じの女性でしたけどねえ」
「そんなん、全フロア歩いてでも探したってよ」
「ええ~」
「かねやんだけが頼りなん。な?」
岐蘇は早くもどうでもよさそうな顔をしている。お前が引き受けた依頼ではないのか。
伊舞は岐蘇の顔をちらりと見てにへらと顔を緩ませた。「いってきまーす」
「ほどほどでいいぞ」岐蘇が言う。
「しらみつぶしね」
伊舞が見えなくなったところで岐蘇が息を吐く。「辞めたんじゃないのか」
「仮説あるんやったら即検証。はよ行け」
「なんて訊くんだ。ノトの二の舞だぞ」
「二の舞にならんようにするんがお前やないの。先人の苦労無駄にせえへんように」
「人酔いしたんだ。休ませろ」
「ホンマ役に立たんなあ。連行意味なしやねえ」
岐蘇が何か言いたげにこちらを見たが無視した。
「ヤシマたちは」岐蘇が言う。
「お遣い」
「ふたりでか」
「結果的にな」
「発見できると思うか」
「できるできないやのうてやるん。なんや今回乗り気やないみたいやね」
「いつだって乗り気じゃないがな。今回はいっそう分が悪い。ハイリスクノーリターンどころか」
「はいはい、わかっとる。KREの信用は下げたったらあかんね。せやけど俺は負ける気せえへんよ。まあ見てて」
「いつものあれか」
「あれが使えへんようになったらまあ、そんときはそんとき。死なば諸共」
「縁起の悪いこと言うな。俺が社長になる前に潰してどうする」
「せやったね。社長さんになってもらわんと」
岐蘇がベンチから腰を浮かせる。
「エンジンかかったん?」
「行ってくる」
欠伸が出る。自分で捜しに行ければいいのに、と一瞬だけ思って却下する。これからますます冷えるというのにさらに凍える。
焦点をぼやかしながら周囲を見回す。これが限界ぎりぎり。
「遅くなりました」群慧が戻ってきたようだ。
「手ぶらやん。なに、めっちゃハズレ賞?」
「いえ、こんなものが」群慧が紙切れを出す。
「特賞? へ、ちょ、ちょお待って。なに?」
〉〉面白いんだよ。店内のものひとつだけくれるってさ。
屋島がうきうきの無表情で近づいてくる。なにか企んでいるときの顔だ。
「なんでもゆうんは、上限額」
〉〉ないない。とにかくひとつ。でも今日限りだから早く選んじゃわないと。
「あかんなあ家電は」
〉〉上におもちゃとかあったよ。
「ケイちゃん、なんや欲しいもんあったら」
〉〉えー俺じゃないの?
「いや、俺は特に」群慧が首を振る。
「ええよ。遠慮せんで。ケイちゃん引いたったんやさかい」
〉〉俺だって付いてたよ。
「いえ、どうぞ。俺は特にいいんで」群慧が屋島に手渡す。
「さっきのなん?」最新モデルとか。
〉〉ううん、もっと欲しいのがあるんだ。やったあ。ホントにいい?
「ええのと違う? もう好きに」
群慧を連れて屋島がエスカレータを上がっていく。引いた人に権利があるということはよくわかっているようだ。
することがなくなってしまった。
ぼんやりしていたら視線を感じたのでわざと辿らないことにした。こんなねばねばした視線を送れるのは世界にただひとりしかいない。
寝たふりでもするか。
「あの、さきほどはすみません。おかげで助かりました」違った。福引券を握らせてくれた店員。
疲れてきたせいで人の検知能力が弱っている。
「ああ、なんやなんも買ってへんのに特賞当たって」
「じゃあさっきの歓声はそれだったんですね。入り口大騒ぎだったから」店員が言う。
「特賞は一本やったりします?」
「ええ、あれを何本も作ったら大変ですもの」
「変なもんもってったらすんません」
「でもよく当たりましたね」
「連れがあまりに無欲でな。俺やったら菓子かティッシュ確実やった」
「あれはあなたに差し上げたのに。残念です」
「ああ、そか。すんません。気持ちだけ」
店員は棚の整理をするふりをして。「今日はなにかお探しですか」
「店員さん、いつからここにおるん?」
「私はバイトだからね。二ヶ月くらいかな」
「そんくらいの時期に入った人他に知らへん?」
「人捜し? どうだろう。よくわかんないや」
欠伸が出そう。
「そか。おおきに」
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