第3話 依頼人はお金持ち

「一日三万。例え何も進展なかったとしても払うてね。前払いやないとその日、何もせえへんからそのつもりで」

 きっとこれでも最大限譲歩したのだ。探偵の経費の相場は知らないがそんな感じだろうか。

「これでいいかな」

「おおきに。ほなさいなら」

 もぎ取った紙幣をポケットに放り込んだ勢いで立ち上がろうとした巽恒ヨシツネの上着の裾が引っ張られる。彼は四六時中、中学の制服を着ている。いちいち私服を考えるのが面倒というよりは経済的に節約をしているに近い。どうせ一年毎買い換えるのだから、という理屈はわかるようなわからないような。

「ツグちゃ。なに? 文句ある?」

 屋島ヤシマが巽恒の顔を見上げる。

「あ、そか。ふうん」

 ソファの向かいに座っている如何にもな男性がこちらを見遣る。おそらく見るべき場所として消去法で選ばれたに過ぎない。部屋が暑いわけはないのだが額に汗が滲んでいる。

「なにかあるのかな」

「社長さん、その電話掛かってくるん何時」巽恒が言う。

「そうだね、昨日は」

 男が胸ポケットから携帯電話を取り出す。

「あった。十時、夜のね」

「電話はどこで受けるんかな。この部屋?」巽恒が言う。

「仕事が終わって帰ろうとした時分にかかってくることがほとんどだからそうだね、ここだろうな」

「ケータイ見せてくれへん?」巽恒が言う。

「それは駄目だよ。一応秘密というものが」

「せやのうて機種。こっちの彼がな興味あるん、ケータイに」巽恒が言う。

 男が怪訝そうな顔を浮かべた。ちらりと屋島を見遣る。

「要するにフォルムの話。中のデータはどうでもええの」巽恒が言う。

 男はしぶしぶ電話を屋島に渡す。屋島はそれを受け取ると裏と表を一回ずつ見てすぐに返した。

「え、もういいのかい?」

「ほんなら」

 巽恒と屋島は躊躇いもせずに廊下に出る。俺も急いで追いかけるけど。

「すまないが、ちょっと」

 呼び止められてしまった。

「なんでしょう」

「大丈夫なのかね。ううん、もちろんKREを疑ってるわけではないんだ。それだけわかってくれ。私はただ」

「えっと僕はアシスタントみたいなものなんで」

「社長さん、あかんえ」巽恒が仲裁に入ってくれる。「あんまり虐めんといてね。それとも一日五万にしよか」

「金のことならいくらでも工面するが、本当に信じていいのか。それだけ心配で」

「上手くいかんかったら我らが次期社長にでもゆうたって。せやけどあんましつこいとやる気なくなるわ」

 廊下に屋島が待っていた。小柄なので扉の陰に隠れれば絶対に忍び込める。

「ちょお、先に出てて」巽恒が言う。

「え、ヨシツネさんは」

 巽恒は片手を広げる。じゃんけんで言えばパーだ。それをしてから部屋に戻った。

 なるほど。二枚ほど余分に取りにいくのだ。

 屋島と一緒に建物を出る。足が竦むくらい高いビルの最上階いたことをようやく思い出す。すぐに巽恒と合流した。

「ほな、次行こか」

 こっそり依頼人に同情する。KRE次期社長から金払いのよさそうな人間としてピックアップされた五本指に入ったということはある意味喜ぶべきところかもしれないが。

「ところでさっき何をしたんですか」

「ツグちゃの必殺技やん。盗み聞き」巽恒がにやりと笑う。

 屋島を見る。彼は自信ありげに耳たぶに触れる。

「あの、俺がついていく必要は」

「ああ、塾か。ええよ。時間になったらゆうて」巽恒が言う。

「実はもう行かないと」

「ならサボり」

 問答無用、という語句が一瞬だけちらつく。サブリミナル効果よりも嫌味だ。

「テストなんですけど」

「一回くらい構へんて」巽恒が言う。

「三回です」

 巽恒は二秒だけ振り返って足を速める。どうでもよさそうな冷めた眼だった。そもそも彼は理由如何でイエスノオを決めるタイプではないし、このイベントに付き添ってしまった時点で運命は揺るぎないものとなる。

 色素が薄い髪は夕闇に霞む。学ランも真っ黒なので気を緩めるとすぐに見失ってしまいそうだ。様々なパーツが小振りで身長も低めだが態度は誰よりも大きい。それに対抗出来る唯一の人類は彼が厄介になっているKRE次期社長。巽恒に言わせればあっちのほうがでかいらしいが大差ないと思う。構成元素の違う、性質のよく似た化合物を思い浮かべれば間違いない。両者とも大いに毒物で著しく劇物だが。

「助兵衛爺の道楽にしては怪しいな。共通点はないんかな」巽恒が言う。

「え、依頼者のですか」

〉〉お金持ちだねそれも相当。さっきの見た? 売り切れ続出の新機種だよ。いいなあ。

 屋島が文字式メッセージを送る。彼は言語的行動はしない。

「せやったら金品要求せんと勿体無いなあ」巽恒が言う。

 金の妄者、巽恒の意見らしい。

 能登は閉口する。

「俺やったら十分五千」巽恒が言う。

〉〉やったことあるみたいな口調だね。

「ないない。ツグちゃあかんよ。なんや最近汚れてきてる」 

〉〉そうでもないよ。

「番号の入手法についてどう思いますか。そんなに簡単に手に入るものなんでしょうか」

「ケータイなんか名刺に書いてばら撒きやん」巽恒が言う。「せやけど確かにおかしいな。ノト君、ええとこ目に付いたね。連れてきて正解」

「それとその、鎌倉嬢でしたっけ。彼女、三段構えなんですよ。最初の非通知、次はなぜか知り合い、次の日にまた」

「そんで好みの女指定。ふうん、面倒やなあ。はなから好みの子選ばせたったらええのに」

「防衛水準を落としているのでは?」

「ああそか。はなから訊いたら、そら警戒するわ。せやったら二番目のが妙やわ」

〉〉知り合いってのは女の人だよね。元締めの人は復讐かな。

「復讐? テレクラで? おもろいなあ。そおら卓見やね」巽恒が言う。

 駅のホームで電車を待つ。夕暮れ時なので人も多い。屋島はつまらなそうな顔で電線の上のカラスを観察する。黒光りするカラスは虚空を見ている。

「テレクラ復讐説は突飛やから置いといて、目的探るよりもまず方法論から当たろか」巽恒が言う。

「やっぱりネックは知り合いの電話ですよね。偶然にかかって来たにしてはタイミングがよすぎますので、その鎌倉嬢の隣にいた、もしくは彼女の指示で掛けたと考えるのが筋じゃないかと」

「なるほどなあ。せやけど知り合い多いなあ元締めねーちゃん。ホンマにキャバ嬢やったりしてな」

 入ってきた電車は隙間皆無の寿司詰め状態だった。巽恒が首を振ったのでそれを乗り過ごして反対方向のホームに移る。訪問順番を変えるらしい。

「えっと、浅学で悪いのですがキャバクラというのは」

「そんなん知らへんでええよお。そっちは詳しそなんおるし。嗅ぎまわってもらお」

 電車が来た。ガラガラというわけではないが立つスペースがあっただけで満足。巽恒は開かないほうのドアに寄りかかって窓の外を見つめる。

 〉〉大丈夫?

「あかんわ。壁になってね」巽恒が言う。顔色がだいぶ悪い。

 屋島は巽恒よりも断然小柄なので壁は不可能だ。中学時の一年というのは大きいのだがこの二人を見ているとあまり影響ないように思えてしまう。代理という意味の英単語が思いつく。

 今日は英語のテストだった。

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