余談ですが・・・
最近、採れた野菜の調理のことばかりなので、同じ話ばかり&ネタ切れっぽくなってきたので、ちょっと話しを外れて、僕がなぜ炊事が得意になったのだろうかという原点というか、子供のころの話しを書こうと思います。
いまでこそ、身長180cm体重は(たぶん)標準くらいですが、高校生時代の水泳部でなのか、それとも東京が嫌で北海道に帰ってきてすぐに始めた仕事の長距離トラックの運転手でなのか、胸囲は平均よりはかなり大きい方で、パっと見”でかい”人種になると思いますが、中学に入った時に気づくのですが、それまでは体の小さい子供でした。
生まれたときも、ギリギリ低出生体重児(2500g以下らしい)にならない程度だったと聞いています。
妻と出会った頃は、あまりにも社交的なのでA型とは思えないとか、O型ですよねとかよく言われましたが、中学生くらいまではいつも下を向いて歩いていたので、小銭を良く拾ったり、それこそ遊びに行った親戚の家で、ずっと子供らしい独り言(ババーン!とか、ガシャーン!とか)も言わず、居るのか居ないのか、はたまた寝てるんじゃないかというほど、静かに積み木遊びを何時間もしてる子供だったらしいです。
弟が出来ると、いつも母親と一緒に行っていた市場への買い物が、流石に生まれたばかりの弟をおんぶし、さらに僕の手を引いての買い物は大変だったのか、ある日一緒に買い物へ行こうと玄関まで行くと
『直ぐ帰ってくるから、今日はここで待っててね』
と言われて、母親が帰宅するまでそのまま玄関で正座して待ってるような子供だったらしいです(笑)。
もちろん、帰ってきた後、玄関で座って待っている必要が無いことを言われ、その日から基本お留守番になりました。
きっと子供ながらに、母親の邪魔をしてはいけないという気持ちだったのかと思います。
その頃の母親は、弟を寝かしつけてから夕食の準備をするわけですが、僕はずっと母親の横に立ち、何をするわけでもないですが、夕食の準備をずっと見ていた気がします。
僕は男ですから、母親も特に料理をどうこう教えられることも無く、ただただ黙々と準備をし、それをひたすら見ていると
(煮魚は沸騰してから魚を入れるんだ)とか、(なんでウチの砂糖は茶色なの?)とか聞いたり(当時は白糖の方が高級だと思っていた(笑))、ただひたすらに母親の炊事を見てるだけ・・・
背も小さかったですから、まな板というか台所の作業スペースも目線から遠くなくて間近で見てるうちに、知らず知らずの間に覚えたんだと思います。
当然調理中に近くに居れば、料理の出来上がっていく過程の匂いも近くに感じます。
母親も目分量で調味料を使う人だったので、調味料の分量というより、匂いなんです(笑)
就職して東京での一人暮らしの間は、料理を作ることにあまり興味はなく、たまにカレーでも作る程度で、ほとんど料理した記憶がないのですが、結婚して調理道具や調味料がひと揃えあるところで料理をしてみると、自分でもどこでこんなこと覚えたんだろうと思うほど、体が勝手に動いたという訳です。
炊事担当になると、匂いを元に作るわけですから
『あれ?ウチにはゴマ油って無いの?』
『砂糖は三温糖にしようよ』
『ザラメも買って良い?』
『料理酒は安い日本酒で良いよ』
『小出刃買って(笑)』
『なんでお酢ないの?』
などなど、記憶の奥底に眠っていたものの、昔嗅いでいた匂いと作ってるもの匂いの違いによって、代替品を使ったときのズレや、調理道具の足りなさを知り、それを埋めるように買いそろえて行ったわけです。
そうそう、圧力鍋も僕が中学に入った時に使っていて、おもりがグルグル回るタイプで、回り出し(圧力のかかり始め)から蓋を開けるまで、良く見ていた記憶があります。
そんなわけで、初めて作る料理も何となく出来ちゃうのは、こういう子供のころの体験からなんだと思います。
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