食育・・・なのかな?

 魚の話しが続きましたが、僕は8歳ころまで箸の持ち方が変でした。

 説明が難しいけど、2本の箸をまるで鉛筆のように持ちながらも、どうやってたのか今では出来ませんが、器用に箸を開いてました。

 ある日の食卓に、カレイの煮つけがあがり、まぁ普通に家族で食べます。

 その時初めて気がついたんですが、父ちゃんが食べ終わったカレイと、僕が食べ終わったカレイの残り方が全然違うことを。

 父ちゃんの食べ終わった感じは、まるでカレイの骨格標本みたいで、縁側の辺りの身まで綺麗に食べられていて感動したのでした。

 そのことを父ちゃんに言うと


『お前は箸の持ち方が変だから、綺麗に食べれないんだよ』


 それまで、箸の持ち方を指摘されなかったので、自分では普通だと思ってたのですが、魚を綺麗に食べたい一心で、割と短時間で普通の持ち方が出来るようになったと思います。

 当然、正しい箸の持ち方を知った後では、魚の食べ方が劇的に変わり、父ちゃんの食べ終わりのものと比較して、同じくらいだと自慢したものです。ってか自慢というか大人と肩を並べたのが嬉しかったんですね。


 さて、妻と暮らすようになりたまに出てくるホッケの開き。

 食べ方としては、熱いうちに中骨を外し、あとは身を食べれば良い訳ですが、頭に近い方の骨の隙間に、美味しい身が残りがちです。

 縁側部分や中骨に付いている薄い身の部分、良く焼けてカリカリになってるところは特に美味しいのですが、箸でほぐそうとするとそれなりに細かく繊細な作業となりがちです。

 でも子供のころから魚の食べ方に拘ってたというか、世代的に食べ物を残すことを悪として育てられてきましたから、やはりそこは綺麗に食べたい訳です。

 茶碗にご飯粒や、まだ食べられる魚の身の部分の残すと、良く母親に


『お百姓さん(または漁師さん)に罰が当たって、目が潰れるよ!』


って脅されたもんです(笑)


 妻が食べ終わったホッケやサンマの見ると、僕的にはまだまだ食べれる身がタップリ付いてるわけで


『ほら、ここにまだこんなに、それと・・・ここの裏にも身が残ってるよ』


と身を取って見せると


『うちは余り魚を食べてこなかったから、下手なんだよね』


 まぁ食育なんでしょうかね?

 それにしても、魚に最初に箸を入れる段階から気になる訳で、事あるごとに手本を見せると


『ほんと海育ちだからか、綺麗に分けるよね?』

『特に上手だとは思ってないけど、身を残したら勿体ないからね』

『私がやると魚が可哀そうだから、お兄さんがほぐしてね』

『!・・・・』


そうくるとは・・・そんなわけで焼き魚の日、はまず自分のモノを食べ始める前に、妻の魚を箸で分解するところから始まり、椅子に座った時には目の前に綺麗に分解されたお魚が並んでいるのでした。

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