第15話

 昨日の放課後では化学室での熱いやり取りに感化され、ぼくも珍しく燃えていたのだ。だけど、一晩経つと嘘のように気持ちが冷めてしまい、ぼくはすっかりヘタレてしまっている。普段から冷めている人間は放置するとすぐに冷えてしまうということだ。あげくにぼくは猫相手に愚痴までこぼしているから、救いようがないのかもしれない。

「あ、あの女の子ですか? 思ったより可愛いですやん」

 ライガーさんが肉球をぐいぐいとヒザにおしつけてきた。美矢が手をふり、こっちに向かってきている。

「バカ。好きなのはあいつじゃないよ。あいつの友達はもっと可愛いの。そばにいると気持ちがなごむんだよ。もし自分が生まれついての殺人鬼だとしても、速攻で更生しちゃうね!」

 ぼくはベンチから立ち上がり、美矢に手をふった。美矢はぼくの側に来るなり、足元のライガーさんに気がついた。

「あ、こいつってもしかして、最初に会ったときにいた猫? んわー、逃げないんだね、人懐っこいにゃー、こいつー!」

 美矢はライガーさんを地面に押し倒し、あおむけになったお腹をこねくり回している。

「わ、ちょ、たんま、でも、可愛い女の子だと許せて……ちょ、ギブ」

 ライガーさんは口では嫌がりつつも、まんざらでもないようにもだえていた。

「……美矢、なにか聞こえるか?」

「ん? やたらとミャアミャア鳴く猫だね、鳴き声可愛いよねー」

「お、おう……鳴き声、可愛いよな」

 ライガーさんの鳴き声なんて、ぼくはほとんど聞いたことがない。ぼくは思った。どうやらライガーさんと話せるのは自分だけか。そりゃそうか、普通はそうか。普通ってなに? 自分は普通じゃないのか?

 自分は普通じゃない……と考えると心苦しい。

 自分は特別なんだ……と思うと、少し嬉しい。

「美矢はさ、コンビ用のネタは作ったことがないの? もしくはノートに書いてたりする?」

「ん、ないよ。今まで作ったのは一休さんだけ」

 一休さんだけというのも、逆にすごい話だ。そこにこだわってしまった理由を知りたい。

「ってか、なんでピン芸ばかりやってたんだ? いままでに山科さんといっしょにやろうとしたことはないの? あの子とすごく仲いいやん?」

「仲はいいけどね、優とは無理だわー。自分でしゃべって自分で笑っちゃうような子だからねー」

 なるほど、たしかにその状況は想像できる。いつもニコニコしているものな。笑う才能と笑わせる才能は別物なんだろう。

「そんな話を今してもしかたないよー。今は真沙紀と私がどんなネタを熊谷先生の前でやるのか、考えないとね」

 ぼくだって、そんなことはわかっている。だが、一晩経ったというのに、どうやってネタを作るのか、まるでノープランだ。いいアイデアがなんにも思いつかなかった。

「たとえばやぞ。もしこれがバンドなら、好きなバンドの楽譜を買ってきて、ひたすらに練習すればいい。吹奏楽にしてもすでにある曲を演奏するし、演劇にしても、いきなりオリジナルはやらないやろうな。いろんなルートで脚本を取り寄せることができるし……」

「漫才の台本って売ってないのかな?」

「仮にあったとしてもやで。十年前のネタですら古くささを感じるだろうな。それに熊谷先生の言ってたことを思い出せよ。先生はコピーするなって言ってただろ。それがどういう意味だと思う?」

「笑わせるということは、自分の頭で考えなきゃなんないってこと?」

「うん、技術云々よりも、オリジナルのネタが作れるかどうかを見ようとしてるんだろうな……」

 素人同然の二人がいきなりオリジナルのネタを作る。それも十日以内に、これは予想以上に大変なことかもしれない。

 ぼくはライガーさんの腰をポンポンとたたき、じっと瞳を見据えた。

「え? そこで私を見ます? あてにします?」

 頼む。なにかアイデアをくれ。

「うーん……関西人が会話してたら、自然と漫才になっていた。なんてよく言うじゃないですか。テープレコーダーをまわしながら、実際にしゃべってみてはどうですか? 世間話から始めるかたちで……もしかしたらそれが完成された漫才になっているかもしれませんよ」

「それって、もはや達人の域なんじゃないか? ジャズでいうフリープレイよりも難しいと思うけど……」

 ぼくはしゃがみこみ、ライガーさんの耳元に囁いた。

「どったの? さっきからブツブツ言って、なにか思いついた?」

 ベンチに座った美矢が足をぱたぱたとさせている。

 日常会話から自然なかたちで漫才にシフト。やってみる価値はあるのかもしれない。

 ぼくは美矢のぴったり真横に腰掛けた。美矢との間には拳一つぶんのスペース。漫才師たちの距離感。

「いやぁ、最近、不況だ不況だっていってるけど、生まれてこのかた景気の良かったためしがないですなぁ」

「どうしたの? 急に変な関西弁になっちゃって」

 美矢がさりげなく尻をずらし、距離をあけた。ぼくは美矢をにらみつけた。意図に早く気づけ。

「最近では仕事がなくって社内ニートなんて言葉もあるみたいですよ」

「へぇー、どういう意味なの?」

「会社の中にいる若手社員に仕事がなくって、出社しているけども働いていない状況で……」

「ふぅーん、働いてないのに給料もらえるなんていたれりつくせりだね。ただのニートに失礼なぐらい、めぐまれているよね」

「いや、そうじゃなくってさ! そうゆうことじゃなくってさ!」

 美矢、ボケろよ! これじゃあ普通の日常会話じゃないか。いや……今、ぼくにもボケるチャンスがあったのか。

「……」

 美矢はぼくの顔を不思議そうに見ている。ぼくは美矢の手首をつかんで立ち上がらせた。

「いやぁ、それにしてもお笑いをやっていたらモテるかなと思いましたけど、これまた全然モテないですっ!」

「なに言ってんの? まだお笑い始めたばかりじゃん」

 美矢はぼくの趣旨をぜんぜん理解していない。

「そーきましたかー? そーくる? こりゃまた一本とられましたわー!」

「なんか気持ち悪いなー。どうしたっていうの、さっきから」

 ぼくは美矢の耳に顔を近づけ「なんかボケて」とささやいた。

「あ、あぁー! そういうことね。関西人の悪霊でも乗り移ったのかと思って、ドキドキしちゃったよ」

 どんな悪霊だよ。関西弁でしゃべる悪霊、そんなのまるで緊迫感がないだろう。いや、逆になにをしゃべっているのかわからなくて恐ろしいか。

 ぼくは手を股間の前で組んで背筋を正した。

「じつは最近、好きな人ができまして!」

 ぼくは高らかに右手を上げた。

「ほうほう、それはいいことですねぇ。私、こう見えても恋多き女。なんでも相談にのりますよー!」

 美矢が自分の胸をこぶしでたたく。うん、漫才っぽくなってきた。

「持つべき者は異性の相方やね。じつはね、今ここに彼女に書いたラブレターがありますんや」

「お、おぉー! やる気満々だねー! ワクワクしてきたよー!」

「このラブレターに添削してほしいんやけど、ちょっと聞いてくれるかな?」

「はいはい、私を好きな人だと思って読んでくださいねー」

「じゃ、読みます」

「はいはい」

「……」

「準備できてますよー」

「く……これって、ぼくがボケなきゃダメじゃん!」

 自分がツッコミを担当するつもりで会話を始めたのに、いつのまにか立場が逆転していた。

 ぼくは地面に膝をついた。ライガーさんが大きなあくびをし、尻の穴を見せながら走り去っていく。

「まぁ、思うようにボケられないからって、落ち込むことはないよ。みんな最初は初心者なんだからね」

 美矢がぼくの肩に手を置いた。そしてリラックスしなさいと言わんばかりに、両肩を揉んでくる。

「や……じゃなくって! そもそもお前がボケてくれないから話が展開しないんだろ? こっちがいろいろと話しかけてやってんのに、全部普通に返すからさぁ! お笑いやるって持ちかけてきたくせに、こんなにもボケれないやつとは思わなかったよ!」

 ぼくは美矢の手をふりほどいた。

「な、なにおう? 私はどちらかというと体の動きで笑わせるスタイルなんだから、じっと立ってるとオシッコしたくなってくるのよ!」

「お前には才能ないんだよ! 帰れ! 実家に帰れ!」

「あいにく、この町が実家なんですぅー!」

 低次元な罵りあい。両者、たがいにつかみあい、物理的な争いにつながりかけた。

「二人とも、ケンカはやめなさーい!」


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