第11話 一人相撲
川沿いの高層マンションの十二階。それが美矢の住んでいるところだった。
近辺では小型犬を連れて散歩しているセレブな奥様(けしてオバはんという感じではない)をやたらと見かけ、生活レベルの違いをにおわせてくれた。
「こんないいところに住んでるのか、お前」
「全然よくないよ。気軽にコンビニに行ったりできないしさ」
美矢は一人っ子で両親は共働き。鍵っ子歴は長く、小学校二年のときかららしい。
美矢のマンションは、騒々しいぼくの団地とは違い、昼間だというのに静まりかえっていた。
「生活感がまるでないな。近くで殺人が起きても誰も気づかなさそう」
エレベーターに乗りながら、不審者がこないかドキドキした。オートロックのマンションは侵入を許すと、かえって危ないなんて聞いたことがあるしな。
美矢の部屋は玄関からすぐのところ。足の踏み場もなく散らかっている部屋を想像していたが、意外とかたづいていた。
そういや、女子の部屋に遊びに行くのなんて、小学校四年のときのグループ遊戯以来だ。
女子の部屋らしく、ぬいぐるみが十体以上あったが、ガンプラも十体以上あった。ベッドの上にはぬいぐるみが陣取り、本棚にはガンプラが陣取っている。なんだか異種族間で戦争しているみたいだ。
美矢はミニテーブルの上のノートパソコンを起動させた。
「真沙紀も見やすいとこに座って」
美矢はベッドの上に座った。
ぼくはベッドを背もたれにし、絨毯の上に座った。スカートからのぞいた美矢のヒザが、目と鼻の先にあったが、ぼくは画面に意識を集中させた。
美矢がひらいたサイトは有名な動画サイトだった。
「私のネタは……これね」
サムネイルにはボーッとつったっている美矢の姿がうつっていた。
「四ヶ月前にアップして、再生回数が34回って……」
素人とはいえ、これは淋しすぎる。一クラスに満たない人数しか見ていないということか。それも最後まで視聴したのかわからない。
「ちょっとヘコむよね。で、あまりに再生回数が少ないからどうすればいいか考えてたの、そしたらね。いいアイデアが浮かんだのよ」
いいアイデアって、なに? 悪い予感しかしない。
「サムネイルを子猫の画像にして、タイトルも『かめはめ波を放つ猫』とか『おでんを食べる猫』とかにすればアクセス数もはねあがると思うの!」
「いやいや! それパッケージ詐欺じゃん! そんなのでいいの?」
「あまりにもリアクションが薄いと、自分が世の中に存在していない気がしてきてね。あぁ、人って基本的には他人のことに興味がないんだなって……」
おそらく他人に興味がないであろう美矢が、他人に興味を持ってほしいだなんて、つくづく世界は矛盾に満ちている。
「だからなんだよ。有名になることを『世に出る』なんて言うのはさ。ま、とりあえず再生してみてよ」
ぼくは動画をクリックした。
動画にうつっている背景はどう見ても美矢の部屋だった。
★
美矢は腰をかがめ、手を叩きながらカメラの中央についた。
「はい、どうもぉ! 一家に一台、ちょんまげ無双です! では見てください。コント、一休さん!」
美矢は右肘を直角に曲げ、カクカクと右腕をふり、右足でリズムをとりながら歌い始めた。
「好き好き好き好き好き好き、愛してる! 好き好き好き好き好き好き、いっきゅう、さん!」
美矢は両手を魔封波のように前に突き出した後、腕を組んでドヤ顔をした。
カメラマンがぶははと笑った。きっと優の声だ。
「はぁー、将軍さまの無茶ぶりにはいつも脱帽しちゃうよー。ようし! こんなときは! トイレで脱糞だぁー!」
美矢はドアノブを開ける所作をした。いちおうアニメ一休さんの声真似をしているが、上手でも下手でもなく、中途半端に似ていた。
美矢はオフィスチェアーを画面の外から引っ張りだし、そこに腰掛けた。
「ふ、ぬぐ、ふの、ぐごご! ぬ、ぬおー!」
腋をしめ、拳に力を入れ、ふんばる所作。カメラは美矢の顔をアップでとらえているが、鼻孔が広がり、半分白目をむいた苦悶に満ちた表情は、もとが美少女なだけに軽く引いた。
ってか、一休さん、どんだけ硬便なんだよ!
やがて美矢は脱力し、天にも昇るような晴れやかな表情になった。無事、産まれたのであろう。
「はぁー、なむさんだー」
ここで優の笑い声が入っていた。ぼくの好きな女の子はこういう下ネタが好きなんだ。ちょっと残念な気がするけど、ぼくも思わず笑ってしまったから不思議な気分だよね。
美矢は手を伸ばし、空間をまさぐっている。位置的にトイレットペーパーのホルダーに手をかけているのだろう。美矢の表情は緊張感を帯びてくる。どうやら紙が切れている模様だ。
「ど、どうしよう。紙がない! どうしよう、どうしよう! 慌てるな……こんなときこそトンチで解決だぁ!」
美矢は絨毯の上にあぐらをかき、人差し指でこめかみに円をかき、両手をかさねて目を閉じた。
「ポク、ポク、ポク、ポク、ポク、ポク、チーン!」
チーンの後に小声で『ポコッ』と聴こえた気がするが気のせいだろうか? できれば気のせいであってほしい。ぼくの小言が一つ減るから。
美矢は目をかっと開き、立ち上がった。
「いえーい! 紙がなければ手で拭くしかないやぁ! あははははー! さよちゃんにバレたら嫌われちゃうよー!」
美矢は自分の尻を手でふき、それを壁になすりつける所作をしている。
「将軍さまに知れたら打ち首だぁ、あははははー!」
狂乱の一休。アニメではとてもありえない展開だ。子どもは大喜びするかもしれないが、親からのクレームが殺到するだろう。それこそプロデューサーが打ち首だ。
「はーい、みんな、面白かったー? じゃーねー」
コントは唐突に終わってしまった。オチていたのか? 今のでちゃんとオチていたのか?
「好き好き好き好き……」
ふたたびオープニングで見たダンスを美矢は息切れしながら踊っていた。ペース配分がうまくできなかったのだろう。マラソン大会で序盤から調子に乗って飛ばしまくり、後半で歩いてしまう典型的なタイプだと思う。
「いっきゅーさん!」
そして最後は顔の前に手をかざし、右ヒザを前に出し、ビシッとジョジョ立ち!
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