第6話 空気の意味

 学校から出る時に、靴箱に紙飛行機が入っていた。


 転校早々、愛の告白のたぐいだろうか? まさかな、ぼくは今までの人生で女子からチヤホヤされたことがない。

 それでも少しは期待してしまう。帰り道、周囲に人がいなくなってから、ぼくは紙飛行機を広げてみた。

 乱雑な字で『放課後、ロケット公園で待ってます』と書きなぐられている。

 高校生にもなって、こんな汚い字を書くのはたぶん、あの女だ。ぼくは紙をくしゃりと丸めてポケットに突っ込んだ。

 そしてロケット公園にむかった。


     ★


 五分、いや、十分だけなら待ってやる。もしかしたら、一ノ瀬美矢ではない可能性もあるかもしれないしね。

 ベンチに座っていると、どこからともなく猫のライガーさんがやってきた。


「お、ライガーさん! ひさしぶり。今日は一匹?」


「一匹じゃなくって、一人! わざと言ってるでしょ……」


 ぼくは美矢にまつわる学校でのごたごたをライガーさんにぼやきだした。


「学校ってさ、同じ年代の人間が六百人以上いるんだぜ。よく考えたら異常だと思わない?」



「猫が一カ所に六百匹……六百人もいたら天変地異の前触れですよね」


「その点、ライガーさんはいつも一人でいいな。ぼくは人の目が気になってしかたがない。ハリーポッターの透明マントが欲しいくらいだよ。空気みたいに透明になりたいよ」


「ずいぶんおかしなことを言いますなぁ」


「え?」


「空気っていうのは、なるものではなくて、読むものなんでしょ? よくわかりませんけど」


 簡単に言うけれど、その空気を読むということが大変なんじゃないか。


 ライガーさんは香箱座りをして、喉をぐるぐる鳴らしている。学生の苦労も知らないで余裕たっぷりだ。なんだかムカついてきた。


 二十分が経過し、ぼくは公園を出た。


 家に帰ってから、脳裏に美矢の顔がちらついてきた。


 まさか公園にはいないだろう。ぼくがいないことを確認したら、すぐに帰ったに違いない。

 そもそも学校に行けばすぐに見つけることができる。

 だが、林間学校のオリエンテーリングで三日間、一人で過ごしたようなサバイバル能力の高い女なんだぜ。公園で三、四時間待つことなんて余裕だろう。


 夜の八時を過ぎたあたりで雨が降り出してきた。


 気になる、知るもんか、気になる、知るもんか……。


 二人で決めた約束ならともかく、あいつが一方的に決めたことだ。別に公園に行く義理なんてなかったさ。


 もし明日、あいつと廊下ですれ違ったらどうしよう。一言謝るべきか、うつむいてスルーするべきか。たぶん答えは決まっている。美矢のほうからハイテンションで話しかけてくるに違いない。そこがあいつの、やっかいなところなんだ。


     ★


 翌日、四時間目は退屈な化学の授業だった。


 熊谷先生は魔法陣を完成させるかのように、黙々と化学式を黒板に書いていく。


 熊谷先生の授業は退屈なことで定評があった。ジョークや小ネタをまじえつつ授業をする気などまるでなく、ただひたすら教科書をなぞっている感じの授業だ。教室中のいたるところで私語がなされているのもしかたないなと思えてくる。


 小野寺が振り返って話しかけてきた。

「俺たち、こんな化学式でつまずいているようじゃさ。絶対に国家錬金術師になんてなれっこないよな」


 退屈な授業のとき、窓際の席は救われるだろう。揺れる木の葉や体育の風景(特に走っている女子の姿)を見ているだけで、ずいぶん慰めになるだろう。


「なんだか本当につまんないよな。熊谷の授業、冗談の一つも言わないしさ」


「しっ、そろそろ前むけよ。教師だってただの仕事だろ。給料が出ればそれでいいんだよ」


 ぼくは下敷きで体を扇いだ。

 外の運動場を見ることができない代わりに、ぼくの席からは廊下を見ることができた。

 この高校ではエアコンがついていないので(いまどき)教室の後ろで扇風機をまわし、後ろのドアを少し開けて風通しを良くしていたのだ。

 授業中に廊下が見えたところで、なんのメリットもない。なんの変哲もない廊下を見たってしかたがないし、たんに集中力がそがれるだけだ。

 それでも授業のあまりの退屈さに、なにかないかと期待して廊下をちらちら見てしまう。


 二人の女生徒が廊下を歩いているのが見えた。

 そのうちの一人の具合が悪いのか、肩をあずけて上履きを引きずっていた。

 女生徒たちが真横を通る。具合が悪い方の女子と目があった。一ノ瀬美矢だった。

 彼女はぼくの存在にまったく気がつかなかった。

 それぐらいに具合が悪いのか、それとも怒っていて無視したのだろうか。

 まさか雨の中、ずっと待っていたのか?

 そんな大昔のドラマみたいなことをしたというのか?

 ぼくは早くチャイムが鳴るように祈った。

 授業の時間はまだ三十分も残っていた。

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