第3話 富永と転校

 ぼくは三週間前に羽原市に引っ越してきた。理由は父親の転勤だ。


 母と兄は兵庫県に残ったが、ぼくは父についていった。高校二年の六月という微妙な時期だったが、高校生活をリセットするのに、転校は願ってもない手段だった。


 贅沢をいうなら四月がよかった。もしくは夏休み明けの九月がよかった。六月上旬というのは微妙な時期ではある。クラス替えから二ヶ月。クラス内でのグループ分けはすんでいることだろう。


 転校初日の朝、ぼくは担任の唐沢先生と廊下を歩いていた。三十代前半の唐沢先生は声が大きく、いちいちリアクションも大げさだった。面白いかはどうかはさておき、グルメリポーターにむいているタイプかもしれない。


「ちょっと待っててな、いま話してくるから」


 これからぼくが過ごすことになる2年E組教室に、唐沢先生は入っていった。


「今日はみんなに重大なニュースがある」


 ぼくはドアの隙間から教室の様子をのぞいた。開口一番、唐沢先生は言い放ち、教室はざわめきだした。


「先生、ついに結婚するんですか」


 男子たちが冷やかし、教室に笑いが起こる。


「バカ言うなよぅ。その前に彼女見つけなきゃならねぇだろぉ。今日はな、このクラスに転校生がくるんだ」


 転校生という響きに、教室内がどよめく。


「先生、転校生は男ですか? 女ですか?」

 お調子ものっぽい男子がふざけるようなトーンで問いかけた。


「男子だぜ。なんだ川島ァ、がっかりすんなよ、おい」

 やたらと先生の前置きが長い! ぼくにとってはマイナスにしかならないよ! 早く呼んでください。頼むから。無駄に期待値をあげないで!


「よーし。じゃ、富永、入ってきなさい」


 およそ四十人の視線がぼくに集中した。人から注目されるのは怖い。ぼくはみんなの顔を直視することができず、うつむいてしまった。


「じゃあ、富永のほうから、みんなに一言よろしく」


「……えっと、兵庫県から転校してきた富永真沙紀です」


 気の効いたことを言わなければと思うけれど、言葉が続かない。


「よろしくです……」


「本当に一言で終わっちゃったよ」

 一人の男子が茶化し、教室に笑いが起こる。


「茶化すな、バカ。みんなも同じ状況だと気の利いたことなんて言えないだろう? 挨拶なんだから普通でいいんだ。普通で」


 なんだか意識が遠くなりそうだ。担任の声がずいぶん遠くで響いている。


 空いている席は最後列の廊下側だった。どうせなら外が見れる窓際が良かったけど、前方の席にならなかっただけ幸運だ。


 はじめての休み時間、物珍しさからクラスメイトに囲まれるかと思っていたが、そうでもなかった。


 数分間、一人でポツンとしていると、二人の女子が近寄ってきた。


「ねぇねぇ、富永君って兵庫に住んでたんでしょ? 兵庫って関西でしょ?」


「こっちでは関西弁は使わないの? なんでやねん、とか本当に言うの?」


 東日本に転校するにあたって覚悟はしていたが、さっそくきたか……。


「自己紹介の時、標準語だったよね。関西弁、使ってみてよ」


 まわりに生徒たちが集まってきた。期待されている。少しくらいはサービスしないとノリの悪いやつだと思われてしまう。


「急に関西弁をつこてやなんて、そんな殺生な! 無茶言わんといてーな。堪忍しておくれやすぅ!」


 一瞬、取り囲んだ生徒たちは口をぽかんとあけていた。


「関西弁、使ってんじゃん!」

 一人の女子が指摘し、まわりは爆笑した。


「すげぇ。初めて生で聞いたよ」


「やっぱ関西人、ノリがいいわな」


 そんなに面白いか? ウケてはいたが、ちょっと目立ちすぎたかも。ぼくはこの学校では基本的に関西弁を使う気がないことを伝えた。


「ねぇ、どうして関西弁使わないの? 個性的でいいじゃん」


「テレビの人らって関西弁を誇張していて鼻につくよ。それに、郷に入れば郷に従えって言うしさ、標準語も練習しとこうと思って」


 兵庫に住んでいたとき、東日本からの転校生が来たことがあった。転校生は標準語をしゃべっているだけなのに、気取っているだの、言葉が変などとバカにされ、軽くいじめられたりした。最初は歓迎されていても、誰が不快に思っているかわからない。


「なんや転校生、関西弁使わへんのかいな」


 黒板手前で騒いでいた男女混合のグループから一人の男子が近寄ってきた。ゆるくパーマをあてたその男子はガムを噛みながらニヤニヤ笑っている。


「ええ、そないに使う気あらしまへんがな」

 ぼくは実際の関西人が使わないような、わざとらしい関西弁で返した。


 前の席では机に座っている茶髪の女子たちが「マジ、ウケるー」と、だるそうに言った。


「今日の放課後、こいつらとカラオケ行くんだけど、転校生も行かね?」


 黒板付近の生徒たちがスマホや鏡をいじりながら、ダルそうにこっちを見ている。男女混合のグループだった。みんな適度に髪を加工し、制服も上手に着崩して垢抜けている。


 一瞬、ぼくは迷った。家に帰ってからの予定などまるでなかった。


「ありがとう。まだ、引っ越しの荷物を開けてないから今日は遠慮しておくよ」


 それきり派手なグループはあまり干渉してこなくなった。


 あの手のグループに所属すると、クラス内での地位は保てるのだろうが、仲間内での力関係に気を使ったりして、気が休まらないだろう。わざと荒っぽい言葉使いをしてみたり、なめられる前に定期的にキレてみたりと、こまめなメンテナンスが大変そう。


 ぼくは前の席に座っていた小野寺という男子と仲良くなった。小野寺はジョン・レノンに似ている長身の男で、アニメオタクでもあった。昼休みには小野寺の友人の佐久間、堀川とも弁当を食べた。長身の小野寺にたいし、佐久間はデブ、堀川はチビで、見事に外見がわかれていた。


 深夜のアニメを二、三本録画している程度の準オタクのぼくには、ボックスを買ったりする生粋のオタクとの会話についていくのがしんどいときもあった。時々、話を聞き流していたり、黙っていたりもしていた。


 だが、オタクたちと過ごす時間は楽ちんだった。


 彼らは自分の悩み、コンプレックスについてはけして話さなかった。身の回りとは関係ないフィクションのことしか話さないので、落ち込まされることはなかった。


 ぼくは適度に周囲の生徒たちとも溶け合った。ただ、初日にカラオケに誘ってきた連中とは一定の距離をたもっていた。

 胸が弾むような楽しいことも、身を裂かれるように悲しいこともないけれど、ぼくの転校生活はおおむね好調なスタートだった。


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