第八章 呪いの謎解き

第1話 呪いの謎解き(1)

海に呼び出され、八角の間にむかうと、すでに何人かの関係者が集まっていた。


 富岡校長はイライラと足を踏み鳴らしている。何の用なのかと富岡に詰め寄られた安達刑事は、自分も海に呼び出された口だからと困った表情を浮かべるばかりだ。佳苗と希美は互いに寄り添い、胸の前で組んだ両腕をしきりにさすっている。玲子と幸子、奈穂の事務員グループは三人でかたまっていたが、もうすぐ退職する奈穂は幸子たちとは少し離れた所に立っていた。市川は絵の具の飛び散った白衣のポケットに両手をつっこみ、八角の間を落ち着きなく歩き回っている。


「手短にお願いしますよ」


 守衛の小野が小走りにやってきたところで、それまでベンチに腰掛けて黙っていた海が立ち上がった。


「全員そろいましたね」


 海は全員の顔を見わたした。


「御藏くん。何だって私を呼び出したのかね。私はね、忙しい身なんだよ。津田沼校長が亡くなって、その後の事件のこともあって、こんな所で油を売っているわけにはいかないんだ」


 富岡は威圧的な物腰で海を睨みつけた。富岡をかわきりに、希美、幸子たちも、柔らかい口調ではあったけれど、口ぐちに文句を言い始めた。


「先生方をお呼び立てしたのは、相馬七美を殺した犯人を捕まえるのにご協力いただきたいと思ったからです」


 物おじしない海の凛とした声に、その場にいた全員が一斉に口を閉じた。


「海くん、犯人が誰だかわかったのね」


 希美の目がきらりと光った。不倫相手の松戸は津田沼校長を殺した犯人ではないかと疑われ、姿を消したといわれている。松戸の無実を信じているのは、希美だけだ。


「はい、白石先生。津田沼校長たちを殺したのは松戸先生ではありません」


 とたんに希美は膝を折ってその場に崩れ落ちた。佳苗が支えてくれなかたらそのまま床の上に倒れ込んでしまっていただろう。佳苗に支えられ、希美は辛うじて立っていた。


「犯人がわかっているなら、さっさとそこの刑事に引き渡せばいいじゃないか」


 むすっとした表情で富岡は顎で安達をさした。


 安達はむっとした顔で富岡を睨み返した。


「その前に、もうひとつの殺人を解決しないとならないんです」


 全員が驚きの表情で海をみやった。


  別の殺人事件があったとは知らなかった空と陸もとびあがるくらい驚いた。


 殺人事件と聞いて一番驚きが大きかったのはやっぱり安達だった。別の殺人事件とは寝耳に水だったらしい。血相変えて海に詰め寄った。


「もう一つの殺人事件とは穏やかじゃないなあ。警察は何も聞いてないぞ」


「二十年ほど前に起きた事件なんです、安達刑事。それに当時は誰も殺人事件だなんて思ってもいませんでした」


「そんな古い話が今回の事件と何か関係があるのかな?」


 市川の口調は怒っているようだった。無理もない。誰も、昔物語を聞きたいわけではなく、今回の殺人事件の犯人を知りたいのだ。


「二十年前の殺人事件だかの犯人が今回の事件の犯人と同一人物ってことは?」


 希美を抱えたまま、佳苗が怯えたように尋ねた。


「だったら、松戸先生は犯人ではありえないわ! 二十年前、彼はまだ学生だったもの!」


 あたりを見回しながら、勝ち誇ったように希美は叫んだ。松戸を犯人だと噂した人々へのあてつけだった。それから海にすがるような目線をおくった。


「海くん、さっき、今度の事件を解決する前に、もう一つの事件を解決しないとならないと言ったわよね。それって、二十年前の事件と今回の事件の犯人は同一人物ってことなのじゃないの?」


「いいえ、白石先生。今回の事件と二十年前の事件の犯人は別人です。別人ですが、今回の事件にまったく関係がないわけでもないんです」


「その二十年前の殺人事件とやらについて、はやいところ話を聞かせてもらえるかな」


 安達に促され、海は話し始めた。


「ここ、八角の間では不思議な出来事が語られています。創立者の幽霊が徘徊するだの、日本兵が周回するだの、異次元につながっているだの……。八角形の広間という珍しさも手伝っているのでしょう。二十年前、中等部一年の笹木弘明くんが行方不明になった時も、ここ八角の間に彼の上履きが片方落ちていたことから、異次元に連れていかれたのだという噂がたちました」


「その事件なら覚えている。だが、殺人事件ではなくて、ただ行方不明になったという話だったはずだが」


 富岡が口をはさんだ。二十年前、学園にいたのはこの場では富岡と幸子だけだ。


「笹木弘明くんは行方不明になったのではありません。殺されたのです」


「どうしてそんなにはっきりと殺されたなんて言い切れるのかね。死体でも見つかったのかね?」


 富岡は海に食ってかかった。


「いいえ、死体は見つかっていません。でも、どこにあるのかはわかっています」


「死体を発見していないのに、殺人だと断定するのかね? それはちょっと――」


「見当がついているというのなら、その場所を教えてもらおうか」


 富岡を遮って安達が身を乗り出してきた。海は大きく息を吸い込んだ。


「笹木弘明くんの遺体は開かずの間にあります」


「でも、開かずの間……地下倉庫にはそれらしいものは何もなかったけど?」


 同意を求めて空は陸を振り返った。


 その空と陸を、他の全員が振り返った。


「君は地下倉庫に入ったのかね? 確か、入り口は閉じてしまって誰も入れないはずなのだが?」


 富岡が怪訝な表情で尋ねた。


「俺たち、もう少しで開かずの間――地下倉庫に閉じ込められて殺されるところだったんです」


 目を見開いたり、顎が外れたかのように口を大きく開けたりと、さまざまな驚愕の表情が浮かび上がった。


「待ちたまえ。地下倉庫、かつてのボイラー室への入り口は壁に埋め込んでしまったんだぞ。その地下倉庫にどうやって閉じ込められて、脱出できたっていうんだね?」


 両腕を組み、富岡は右足の膝から下をしきりと揺らしていた。


「別に入り口があるんです」


 八角の間に全部で四つある柱のうち、中央階段の左脇に佇む柱にむかって海は歩いていった。


 柱の中央部分は飾り棚になっていて、往時の学園の姿をとらえた写真やトロフィーなどが飾られている。柱の足元には作り付けのベンチがある。時代を経て、漆を塗りこんだように艶めいて深い飴色になった木製のベンチだ。


 ベンチに近づいていった海は、一メートルはあろうかというベンチの背もたれに手をかけ、手前に引き寄せようとしていた。どうやら、ベンチを柱から引きはがそうとしているらしい。


「八角の間には幽霊が出るという怪談があります。行方不明になっている中等部一年の中山敦くんも幽霊を見たと言っていました。幽霊など存在しませんから、中山くんが見たのは人間だと僕は考えています。突然姿を消したものだから幽霊だと思いこんだのでしょう」


「でも実際には、本当に人が姿を消していたってわけだ」


 陸は海と一緒になってベンチを引きはがそうとし始めた。この頃になると海のしようとしていることが明らかになってきて、誰もがその瞬間を今か今かと待ちわびていた。


「戦時中、学園は日本軍に接収されていました。そのせいで日本軍の兵士の霊が出るという怪談が出来たと考えられますが、この怪談のもとは、八角の間で消える軍人たちの目撃談ではないかと考えてみたんです」


 カチッと何かが外れる音がした。微かな音だったが、全員が息を殺して海と陸を見守っていたものだから雷鳴のように八角の間に響きわたった。


 海と陸は、柱から外れたベンチの背もたれと柱の間に体を入れ、ベンチを押し始めた。ベンチはゆっくりと回転し、柱の足元にはぽっかりと暗い穴が開いていた。


「ここが開かずの間への入り口です」


 富岡が覗き込んだのを皮切りに、各々は恐る恐る穴をのぞきこんだ。冷たくて黴くさい空気が穴の奥から漏れ出してきている。


「学園の地下には地下壕が存在しています。八角の間の柱は地下壕への入り口となっているんです」


「地下壕……何だってそんなものが学園に……」


 そう呟いたきり、富岡は絶句してしまった。

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