第七章 開かずの間
第1話 開かずの間(1)
「開かずの間がどこにあるか、わかったぜ」
自信満々に陸がそう言うものだから、空はいそいそと後をついていった。真澄によれば、開かずの間、すなわち地下倉庫は旧校舎にあったという話だから旧校舎に向かうのかと思いきや、陸は昇降口で靴を履きかえた。どうやら校舎の外に出て行くつもりらしい。
「旧校舎じゃないの?」
「いいから、黙ってついてこいって」
野球部に占領されているグラウンドを、陸はボールと人とを器用に避けて横切り始めた。
「俺、例の学園の歴史についての本を読んだんだ」
「まさか、開かずの部屋について書かれてあったなんて言わないよね?」
「だったら苦労しねえっての。海にだってすぐにわかっただろうし」
「海が気がつかなかったってこと?」
「まあな」
得意げに陸は鼻を鳴らした。
「学園は当時、日本では珍しいセントラルヒーティングを完備していたけど、戦争中、金属供出によって設備はすべて日本軍に回収されてしまったんだと」
「セントラルヒーティングって何?」
「建物のどこか一か所で熱を作って、その熱を建物全体に放出する暖房のシステムのことなんだってさ」
「暖房設備を取り上げられたってこと? ひどい話。冬になったら寒いじゃん。国民を苦しませて何の戦争だっての!」
「そのセントラルヒーティングを支えていた施設がボイラー室。設備が取っ払われた後のボイラー室は地下倉庫として使われていたんだと。ってことは、地下倉庫のあった場所を探すにはボイラー室を探せばいいってわけだ」
「それで、そのボイラー室はどこ?」
「ボイラー室ってのは、熱を作り出して各部屋に送り出す、いったら暖房の心臓部みたいな場所なんだ。学園のシステムがどんなものだったかはわかんねえけど、温水とか蒸気がセントラルヒーティングの主な熱源なんだと。で、水を温めると出来るものは何だと思う?」
「湯気かな」
「その湯気がボイラー室に溜まったら、暑いだろ?」
「サウナ状態だね、きっと」
「その湯気を外に出す必要があるだろ。どうやって出したと思う?」
「換気扇?」
深く考えずに空はぱっと思いついたことを口にした。
「昔の話だから、煙突さ」
新校舎と旧校舎をつなぐ渡り廊下を横切ったところで陸は足をとめ、曇り空を見上げた。
「ずっと不思議だったんだ。これは一体何だろうって」
陸の視線の先に、天を突く細長い建物があった。建物の先は空洞になっていて、まるで帽子をかぶせたかのような小さな屋根が乗っている。煙突は旧校舎の壁に沿って地面から空へと真っ直ぐに伸びていた。
「煙突があるなんて、気がつかなかったな」
「まさか煙突があるとは思わないからさ。でもボイラー室があったっていう話を読んで、じゃあ、あの変な建物は蒸気を逃がす煙突じゃないのかと思ったんだ。なら、この煙突の真下にボイラー室、つまり地下倉庫があるってことだ」
陸は今度は頭を下げ、足元を見やった。つられるようにして空も足元に目をやった。その下に開かずの間があると思うと膝が震えた。
「地下倉庫っていうくらいだから、入り口は地下にあるんだ」
陸は角を曲がり、旧校舎の裏側へとまわった。校舎の壁に沿ってコンクリートの階段が煙突の根元にむかって降りていた。煙突もだが、階段も空はその存在に今の今までまったく気がつかなかった。
「見てるつもりで見てないものってのはあるんだな」
ひっそりと存在していた階段はところどころ苔に覆われていた。長い間、誰にも踏まれなかっただろうその石段を、陸は軽快に降りていった。
「んでもって、ここがその地下倉庫の入り口」
陸が指示した場所には壁しかなかった。
「入り口っていうけど、階段と……壁しかないけど?」
空の冷たい視線をものともせずに、陸は
「だから言ったろ? 開かずの部屋を見つけたって。開かずの間なんだから入り口がなくて当たり前だろ?」
「まさか、この壁が入り口だったって言うの?」
「あたり。浅見さんから聞いた話だと――」
「浅見さんに聞いたの?」
「ああ。俺だって、本気出せば怪談についての謎解きは出来るってーの。オヤジがいたころはまだ地下倉庫の入り口があった。二十年前だ。浅見さんはその頃にはもう事務員として働いていただろ? だから、浅見さんなら何か知ってるんじゃないかと思って。で、浅見さんによると、生徒が閉じ込められた事故があったんで――」
「二十年前、真澄さんが話してくれた通りね」
「そう。それで、危険だからって翌年にドアを取っ払って壁にしちまったんだと」
「開かずの部屋か……怪談の通り、入り口が閉じられてしまったってわけね」
かつて扉があったであろう場所の前に立ち、空は壁に手を押し付けてみた。そうしたところで入り口が開く訳でもないとわかっていたが、もしかしたら開くのではないかというバカげた考えもあった。
「入り口ならあるぜ」
そういうと、陸は降りて来た石段を駆けあがった。そして来た道を戻っていった。煙突の生えている根元にまで戻ってくると
「ここが入り口さ」
陸はいまにも雨粒の落ちてきそうな空を仰いだ。
「入り口?」
つられて空も天を仰いだ。
地下倉庫への入り口が天空にあるはずがない。あるのは天をつく煙突ばかりだ。煙突の先端には角帽のような雨避けが被せられてあり、煙突と雨避けの間に蒸気を逃すわずかな隙間があるばかりだ。
「ねえ、まさか……」
空は隣で天を仰ぐ陸を見やった。
「入り口って、蒸気が出てくるあの隙間のこと?」
「あたり!」
よじ登っていくつもりでいるのか、陸は煙突を下から上まで眺めまわしている。
煙突の高さは十数メートルほど、表面はつるりとして手をかけるような場所もない。肝心の“入り口”も、人が入れるほどの大きさがあるか怪しいものだ。」
「陸、まさか煙突から地下へ降りていくつもり?」
「サンタクロースはそうやって家の中に入るだろ? ああ、そうか。のぼるのはいいとしても、煙突の中を降りていくのが大変か。縄梯子みたいなんが必要か」
「そういうことじゃなくてね……」
「体育倉庫とかにありそうじゃね? 俺、ちょっと行って探してくるわ」
そう言うなり、陸は体育館目がけて走り出していた。
すぐに戻ってくるだろうと思われた陸はしかし、なかなか戻ってこなかった。
縄梯子だか別の何かを探して学園中を走り回っているのだろうか。連絡を取ろうとスマホを取り出した空は後頭部に強い刺激を覚えた。突然目の前が真っ暗になった。
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