第5話 消える人々(5)

八角の間で幽霊を見たという噂話は七美が襲われたその日から流されていた。メッセージの送り主などに誰から聞いたかを地道に尋ね続けて空は中等部一年にたどり着いた。次はクラスを割り出していかなくてはならない。


 昼休みも残り十分という時間に空は中等部の教室を訪れた。その時間なら大体の生徒が教室に戻ってきているからだ。


「あの、ちょっといいかな」


 廊下近くにいた男子生徒に空は声をかけた。つい数か月前まで小学生だったあどけない幼さが残っている少年だった。


「八角の間で幽霊を見たって子を探しているんだけど、誰だか知ってるかな」


「あー……」


 声変わりもまだしていない男子生徒は言い澱んだ。知らないと否定されるよりはよりは脈があると空は踏み、教室に一歩足を踏み入れた。


「記事にするんですか?」


「え?」


「マスメディア部の人ですよね? 八角の間の幽霊の話、メルマガの記事にするんですか?」


 空は明言を避けた。


「記事にするつもりならやめた方がいいと思います」


 丁寧な言い方だったが、男子生徒は強い調子で言った。


「どうしてかな?」


「怪談の呪いが怖くないんですか? 怪談の通りに人が死んでいるし、八角の間で幽霊を見たっていってた奴も八角の間で消えてしまったし」


「え?」


 膝がガクガクと鳴り、立っていられなくなった空はドア枠につかまって何とか倒れる体を支えていた。


「それってもしかして、中山くん?」


「はい、そうですけど」


 一歩遅かった。


 幽霊――もしかしたら七美を襲った犯人――を見たかもしれないその生徒こそは八角の間で行方不明になった中山淳だった。殺人事件を目撃したかもしれない人物が行方不明になった。偶然とは思えない出来事に空は愕然となった。


「あの、大丈夫ですか?」


 男子生徒が心配して声をかけた。


「大丈夫、ちょっと眩暈がしただけだから」


 空はやっとのことで息を整えた。


「幽霊の話、中山から直接聞きたかったんですか?」


「そうしたかったんだけど、無理だよね」


「僕でよかったら、話しますけど」


 抱きつかんばかりに空が感謝してみせると、その男子生徒はうっすらと頬を赤めてみせた。


「みんな知っている話なんで、誰に聞いてもらっても同じだと思いますけど」


 そう断ってから、男子生徒は話を始めた。


「僕ら、あの日は技術の授業だったんです。授業が始まってから十分か十五分ぐらいしたら、中山の奴、腹が痛いって言って、先生の許可をもらってトイレに行ったんです。それから五分もしないうちに教室に戻ってきて、真っ青な顔で震えていたから、気分でも悪いのかって聞いたんです。はじめのうちは、何でもないって言ってたんですけど、新校舎で生徒が襲われたから教室で待機するようにって校内放送が入って、授業どころではなくなったぐらいの時に、『俺、幽霊を見た』って、あいつがぼそりと呟いたんです」


「『幽霊を見た』って、それだけ? 男の幽霊だったとか、女の幽霊だったとかは? 八角の間には、創立者や日本軍兵士の幽霊が出るって怪談があるけど、どんな幽霊だったとかは?」


「すいません、そこまでは……」


 空の矢継ぎ早の質問に、男子生徒は首を横に振ってみせるだけだった。


 顔をとは言わないまでも、せめて男女のどちらかであったかぐらいは知ることができたら犯人を絞り込めるかもしれないとの空の期待は粉々に打ち砕かれてしまった。


「トイレに行こうとしたら、八角の間に消える白い影が目に入ったんだそうです。その白い影は一瞬で消えたので、中山の奴、霊が出たと思って、トイレに行くのが怖くなって、慌てて教室に戻ってきたそうです」


「白い影ね……」


「はい。幽霊って、白っぽいらしいから。それに八角の間で見かけたから幽霊でしかありえないって言ってました。あいつ、連れていかれちゃったのかなあ……」


 礼を言い、空は中等部の教室を後にした。


 長谷部を幽霊と見間違えた時のことを空は思い返していた。あの時、白い影がゆらめいたと見えたのは実は白衣だった。白衣を着ている人物は何も松戸だけではないが津田沼校長殺害に関して動機はあったこと、そして何より、警察が事情を聴こうとした矢先に姿を消している点が怪しまれた。やましいことがあるから姿を消したのだろう。七美を襲ったにしても、不倫相手の白石に一緒に職員室にいたことにしてくれと頼めばアリバイ工作は可能だ。津田沼校長を殺害した現場を目撃したかもしれない聖歌も自殺にみせかけて殺す。七美を襲った時の目撃者は都合よく「行方不明」になっている。もしかしたら生きてはいないかもしれない……。 


「おい、気をつけろ」


 怒鳴り声にはっと顔をあげると、目の前に篤史が立っていた。二階の教室に戻ったつもりでいたが、中等部の教室の前の廊下を歩き続けていつの間にか旧校舎に入ってしまっていたらしい。ちょうど図書室から出てきた篤史と危うくぶつかるところだった。


 篤史は両手で分厚い本を何冊も抱えていて身動きが不自由だった。


「ごめん、ちょっと考え事をしていたものだから」


「なんだ、空か」


 崩れかけたバランスを整えようとして、篤史は本の塊を胸近くに抱えなおした。


「幽霊を見たって生徒が誰だか、わかった。でも遅かったみたい。行方不明なんだって。多分、七美を襲った犯人に殺された――寺内くんもそう思っているよね」


 篤史は意味深な微笑みを浮かべるだけで否定も肯定もしなかった。


「詳しい話は聞けなかったけど、彼が見た幽霊というのは白衣を着た人物じゃないかと思う」


 空は海に語った推理を話してみせた。その間中、篤史は一言も口を挟まなかった。


「星野にしちゃ、上出来だよ」


 篤史は本を抱えたまま、両手の指先をあわせてみせた。称賛の拍手のつもりらしい。かえってバカにされたようで空はむっとした。


「白衣となると、やっぱり松戸先生が犯人ということになるのかな」


「白衣を着ている人間なら、松戸以外にも何人もいる。そんなことは海にも指摘されただろ?」


 むっとしたままの空を放っておいて、篤史は続けた。


「まあ、まだ白衣と決まったわけじゃない。ただ単に白っぽい服を着ていただけということだ」


 篤史は再び本を抱え直した。ざっと見て、軽く五冊は超えていた。それぞれ結構な厚みがある本なので、相当な重さが手にかかっているのだろう。図書室で借りてきた本らしく背表紙にラベルが貼られてあった。


「八角の間で幽霊を見た生徒が行方不明になっているって話、ちゃんと海に伝えておけよ。犯人捜しの勝負は公平に決めたいからな」


 入り口を塞いでいるような格好の空に邪魔だと言い、重そうに本を抱えながら廊下をゆっくり歩きはじめた篤史だったが、数歩行ったところで空をふりかえった。


「そうだ、忘れるところだった。七つ目の怪談が何か、怪談の七つ目を知ると死ぬという呪いの正体もわかった、とも伝えておいてくれ」


 篤史は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「どういう意味? それって事件と何か関係がある?」


「塩は十分に贈ったつもりだ」

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