第4話 消える人々(4)
「そういえば、行方不明になった生徒ってまだ見つからないの?」
珍しく家族そろって夕食の食卓を囲んでいた時だった。母親の華がふと思い出したように空に尋ねた。中等部一年生・中山淳が行方不明になってから数日が経っていた。
行方不明というが、行方不明になった状況が普通ではなかった。どうやら学園内で姿を消したらしいのである。
学園から帰ってこない息子を心配した両親が警察に連絡、翌朝、登校してきた生徒が八角の間に落ちていたメガネと片方だけの靴を発見した。後に淳のメガネと靴だと判明し、警察が介入する騒ぎになった。警察は事件と事故の両方から捜査しているが、解決の見通しはまるでたっていなかった。
「学園内でいなくなったらしいじゃないか。この間も生徒が襲われたばかりだろう。立て続けに事件が起きてるなあ」
父親の明彦も華も聖ヶ丘学園に通っていただけに学園内で発生した事件に強い関心を寄せるのも無理はない。
「襲われたのは空の同級生だよね? 犯人はまだ捕まっていないらしいけど、まさか、その犯人がまた学園生を襲ったってことなのかしら」
「うーん」と明彦は腕を組んで唸った。
「可能性がないわけではないけれど、もしそうだとしたら、学園の生徒ばかりを狙う変質者がいるってことで、ちょっと危険な感じがするなあ」
「空」と、華は神妙な面持ちで空に向き直った。
「危険を感じたら、陸くんを頼るのよ。陸くんなら体力も無駄に余ってそうだし、暴漢に立ち向かえるだろうから。相手が知能犯だったら、頼りになるのは海くん。とにかく、何かあったら二人を頼るの」
まるで明日にでも誰かが学園を襲うかのように、華は真剣な顔つきだった。
「そういえば、僕たちが学園にいた頃も生徒が行方不明になったことがあったっけ。ママ、覚えてる?」
「そんなことあったかしら?」
小首を傾げ、華は遠い記憶を探った。明彦と華は同級生だった。
「確か、中等部一年の生徒だったよ。八角の間に靴が片方だけ残っていたんで霊に連れ去られたんだとか何だとか噂になったんだっけ」
「今回と同じ! 今回いなくなった生徒も靴とメガネを残していて、八角の間の霊に連れていかれたって噂なんだ」
「そうなの? 私たちが学園にいたころから八角の間には霊が出るって話だったから。八角の間で二人もいなくなったってことは、もしかして本当に霊がいたりするのかしら」
「そんなわけないだろう」
呆れた顔で、明彦は妻と娘を見ていた。
「その行方不明になった生徒というのが、いじめられっ子だったんだ。それで、八角の間に残されてあった片方だけの靴はいたずらされたものだと思われていて、行方不明だとか大事には考えられていなかったんだな。以前にもその生徒が体育倉庫に閉じ込められたことがあったんで、先生たちが学園内のいろいろな場所を探し回ったけど、見つからなかった」
「それで結局どうなったの?」
「行方不明のままだよ。ああ、思い出した。同じ年に異臭騒ぎがあってね」
「異臭騒ぎ?」
聖歌を発見した時を思い出し、空は胃のむかつきを覚えた。
「旧校舎中でひどい悪臭がしてね。生徒が行方不明になった直後だったもんだから、その子がどこかで死んでいて、その腐敗臭がしているんじゃないかっていう噂がたった」
「どこかに閉じ込められて、そのまま死んでしまったとしたらあり得る話だよね」
「空、人間ってのは飲まず食わずでも結構生きていられるものなんだ。異臭騒ぎは行方不明になった二、三日後だったと思うよ。そんな早くには死なないものなんだ」
父の明彦も母の華も医者である。明彦はスポーツの怪我を専門にみる整形外科医で、華は小児科医だ。
「じゃあ、異臭の正体は何だったの?」
「単純な話さ。下水が詰まっただけだった」
「なあんだ」
「なあんだって何だ。空は何を期待していたんだ?」
あからさまに落胆してみせた空を明彦はいぶかしがった。
「とにかく臭いがひどくて授業にならないから、旧校舎での授業は取りやめになった。業者が呼ばれてつまりを取ったけど、臭いはなかなか取れなくてね。一週間ぐらいは臭かったかな。鼻が臭いを覚えてしまっていて、実際には何の臭いもないのに、なんか臭うなって感じがずっとしたもんだ」
「思い出した」と華が割って入った。
「確か髪の毛が詰まってたのよ。それで女子生徒は嫌な思いをしたの。トイレはキレイに使ってくださいって言われて。髪の毛をトイレに流さないでくれって」
「髪の毛なんかトイレに流さないよね?」
「わざとはね。でも洗面台で髪の毛を梳かしていて、抜けた毛をそのまま流すっていう生徒ならいたから。一人二人分ぐらいならどうってことないのかもしれないけど、学園の生徒の数となると結構な量になるでしょ? それが年とともに積み重なってってことになったら下水も詰まるんでしょう。髪の毛って長いとお互いに絡まるからつまると厄介なのよ」
排水溝に詰まった髪を溶かす薬品のコマーシャルを空は思い出していた。
「あの年はいろんなことがあった年だったなあ。生徒がいなくなって、宮内先生も急にいなくなってしまって」
「宮内先生?」
「ママ、覚えてない? 英語を教えていた若い女の先生」
そうすれば記憶がよみがえるのか、華は目を細めてみせた。
「ノイローゼで休職したっていう先生?」
「休職じゃなくて、失踪したって話だよ」
「ああ、私たちが高等部三年だった時だから、二十年ぐらい前の話ね。パパ、宮内先生のことが好きだったんじゃない? だからよく覚えているんでしょ」
「男子生徒はほとんど宮内先生が好きだったと思うよ。教師になりたてて、僕たちと年も感覚も近かったからね。それに可愛い先生だったし。宮内先生に褒められたくて英語の授業を張り切っていた奴がいっぱいいたっけ。真澄もその一人さ」
「へえ、御藏くんが宮内先生をね。それで、パパはどうだったの?」
華は明彦を追及しはじめた。同級生だった二人が付き合い始めたのは大学に進級してからだ。中等部から二十年以上の知り合いだというのに、過去の話に嫉妬するほど二人の仲はいつまでも新鮮なままだ。華のやきもちに明彦は空に困ったような顔をしてみせるものの、その実、まんざらでもない様子であった。
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