第3話 嘆きのマリア(3)

デジャブだった。


 制服姿ですすり泣く生徒たち、遺族にむかって深々と頭を下げる学園関係者たち……。何もかもが七美の葬式を思い起こさせた。聖歌の遺影でさえ、七美を思い出させた。長い黒髪、蕾のような可憐な笑顔――仲のよかった聖歌と七美は姉妹のようだった。


「自殺なんかじゃない」


 聖歌の遺影を遠くに見つめながら、空は呟いた。


 親友の死にショックを受け、その後を追った自殺だった、聖歌の死はそう結論付けられた。七美が死んでからというもの聖歌が学園を休んでいたのは周知の事実だったから誰も自殺という見方を疑わなかった。


 聖歌は両手首と首の頸動脈を鋭利な刃物で切って死んだ。


 しかし、空は、聖歌は殺されたのだと考えていた。聖歌自身が殺されたのだと空に訴えていた。礼拝堂で見た聖歌の死に顔が空はいまだに忘れられない。聖歌は当惑したような表情を浮かべていた。なぜ自分が死んだのか分からずに混乱している、そう言いたげな死に顔だった。


「聖歌がは自殺なんかしない」


 焼香の列に一緒に並んでいた生徒たちの何人かが空を振り返った。


「空、ここじゃなんだから」


 海にたしなめられ、陸に促されて、空は焼香の列を離れ、境内隅の燈篭の陰に身を寄せた。


 苔むす燈篭の足元からはひんやりとした空気がせりあがってくる。強く漂ってくる線香の香りも湿り気にかき消されていた。新鮮な空気を貪るかのように空は何度も深呼吸を繰り返した。


「聖歌が自殺なんかするはずない」


「まさか、お前まで怪談の呪いだって言い出すんじゃねえだろうな」


 陸の言う通り、聖歌の死に関しては奇妙な噂がたっていた。聖歌は怪談に呪い殺されたという噂だ。聖歌が死んでいた礼拝堂には血を流すマリア像の怪談が存在する。マリア像が聖歌の血を求めたために聖歌は死んだのだと生徒たちは口さがなく噂した。


 動く石膏像の怪談のある美術室での津田沼校長の事故死、トイレの紙さまがいると噂のトイレで襲われた七美、そして礼拝堂での聖歌の自殺。事故、他殺、自殺と、死因はそれぞれ異なるものの怪談にまつわる場で死んだという事実が怪談の呪いという噂に拍車をかけた。


 三人は怪談の禁忌にふれ、祟られたという噂はあっという間に学園中に広まった。退屈しのぎに面白半分に噂話をしている生徒たちを学園内のあちこちでみかける。焼香を待っている今も、時間つぶしにとばかりに聖歌の死に関してあれこれと言い立てている生徒たちの姿がどこかしらにあった。


 尾ひれのついた話もいろいろと耳に入ってくる。七美、聖歌共に茶道部員だったため、茶道部員だと呪われるだとか、女子高生だと狙われるだとか、七美と聖歌とに共通していた点を取り上げ、次の犠牲者も長い黒髪の持ち主で、色白な人間が選ばれると言われている。


「聖歌は自殺したんじゃない。もちろん、怪談の呪いでもない。聖歌自身は怪談の呪いを怖がっていたけれど……」


 生きている聖歌に最後にあった時のことを空は思い出していた。七美はトイレの紙さまに殺されたのだと聖歌は本気で信じていた。そして次は自分が殺されると怯えていた。死にたくないから学園に行かないと言っていた聖歌が自ら命を絶つはずがない。


「聖歌は自殺にみせかけて殺された。聖歌は呪いを信じていた。呪いを解く方法だって言われたら何でもしたと思う。だから、マリア像に血を捧げろと言われて手首を切った――」


「おい、その『血を捧げる』とかっていうのは何だ?」


 陸が身を乗り出してきた。


「聖歌は、怪談の呪いを解きたかったら礼拝堂のマリア像に血を捧げろという内容のメッセージを受け取ったんだって。私からってことになってるけど、私はそんなメッセージは送ってない。誰かが私のふりでメッセージを送ったんだと思う」


「おい、海。そんなこと、できんの?」


 陸は海を振り返った。自分のわからないことは調べるより先に海に尋ねる。


「他人になりすますなんてことができてはいけないけど、できないこともないだろう」


「聖歌のママからの電話を切って、ウェブコブのメッセージを送ろうとしたら、アカウント停止しましたってメッセージが出て使えなくなったんだ。ウェブコブの人に聞いたら、誰かが別のスマホから私のアカウントにアクセスしたからだって。七美が襲われた時は聖歌のアカウントが停止されたって聞いてる。誰かが聖歌のふりで七美にメッセージを送って教室の外におびきだした――やっぱり七美は狙われて殺されたんだ……」


 とっさに口を覆い、空は嗚咽を漏らした。


「なんで相馬と山下とは殺されなきゃなんなかったんだよ。二人とも普通の女子高生だったってのにさ」


 陸の左足がしきりに地面を削っていた。


「聖歌はあの日、美術室の前を通った。そして動く石膏像を見た」


「空、あの日って何時のことだ?」


 海の声が微かに震えていた。薄暗がりにほのかに浮かび上がるその顔色は血の気を失ってますます青白く見えた。


「津田沼校長が美術室で亡くなった日。陸、小野さんが言っていたこと、覚えてる? ほら、ちょうど津田沼校長が亡くなったと思われる時間帯に学園に戻った生徒がいるって話。あの生徒が聖歌だったってわけ」


 忘れ物を取りに学園に引き返したという聖歌から聞いた話を、空はかいつまんで語った。


「津田沼校長が殺されたぐらいの時間に茶道室の前にいたということは、山下は犯人を見たかもしれないのか。茶道室は美術室の隣なんだし」


「私も陸と同じことを考えて、何か見なかったのって聞いた。聖歌は動いている石膏像と目があったって言ってた。それで石膏像に呪われたと思い込んでいたけど」


「それって、もしかして犯人が石膏像を床に落としていたところか、下手すると津田沼校長を襲っていたところだったんじゃないのか?」


 興奮した陸の声がうわずっていた。


「動く石膏像の話を七美にもしたって言ってた」


「山下、犯人は見なかったのか?」


「私も気になって聞いたけど、他には何も見てないって……」


「そうか……」


 陸が落胆するのも無理はなかった。聖歌から話を聞かされた空もがくっと肩を落とした。そして今となっては何が何でももっと詳しく話を聞くのだったとひどく後悔した。


「山下さんは何も見なかったとしても、犯人が山下さんを目撃したとは考えられないか」


 海の冷静な分析に、空は眩暈のするほどの衝撃を覚え、思わず陸の腕にしがみついた。


「急いでいた山下さんを見て、犯人は犯行現場を目撃して逃げるところだと勘違いした」


「……それで聖歌を殺した――」


「ああ、そうだ。勘違いだ――」


 瞼を強く閉じ、海は灰色の空を見上げていた。

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