第6話 トイレの紙さま(6)

 事件以来、聖歌は学園を休んでいた。幼稚舎の頃からずっと一緒にいて人生の半分以上の時間を一緒に過ごしてきた親友が殺されたのだから、ショックを受けて不登校になるのも無理もない。

 聖歌の様子が気がかりで、放課後、空は聖歌の家を訪ねた。

 雨戸を閉め切った聖歌の部屋は闇に支配されていた。パジャマ姿でベッドに上半身を起こしている聖歌の姿を照らす明かりはあちこちに点けられたロウソクの炎だけだ。部屋には教会を彷彿とさせる香りが漂っていた。

 もともと色白の聖歌だが、しばらくみないうちにさらに白みが増していた。大きな瞳が今は眼窩に落ち込んで、顔に開いた大きな二つの穴のようにみえる。まるで生気を抜けとられたかのようで、呼吸する動き一つをとっても緩慢で、今にも掻き消えてしまいそうに弱々しかった。

「わざわざありがとう」

 まるで一トンの鉄でも扱うかのように、聖歌は授業で配られたプリントの束を机の上に置いた。

「学園はどんな感じ? みんな元気にしてる?」

「まだ少し落ち着かない。犯人がまだ捕まっていないからピリピリしてる。登下校の時間帯には正門に先生たちがいて、変な人がいないかチェックしてるんだ」

 かつて両方開けられていた正門の柵は今は不審者の侵入を防ぐためとして片側しか開けられていない。入り口が狭まったことで登下校には倍の時間がかかるようになってしまった。

「学園に行かないといけないってわかってるんだ。体が覚えていて、毎日起きないといけない時間になると目が覚めるんだけど、制服を着た途端、まるで制服が何キロにも感じられて体が動かなくなる……」

「あんなことがあった後だから、学園に行きたくなくなって当然だよ」

「犯人はまだ捕まらないんだ?」

 そのまま二度と目を開けないのではないかと不安にかられるほど、聖歌はゆっくりと目を伏せた。

「この間、刑事がきて、事件のあった日のことについて訊かれた」

「私たちも。全員、体育館に集められて、事件のあった時どこにいたとか、何か変わった事を見たり聞いたりしなかったかって」

「七美についていろいろ訊かれた――どんな子だったとか、七美を恨んでいるような人間はいるかだとか」

「まるで、七美が狙われて殺されたみたいな言い方だよね」

「狙われて殺されたのはその通りなんじゃないかな」

 聖歌の大きく見開かれた瞳には怯えが光っていた。

「あの日、七美はトイレに行くために教室を出たんだって。刑事さんの話だと、私がトイレに行きたいけど、一人で行くのは怖いから付き合ってって言って呼び出したって」

「聖歌が七美をトイレに呼び出したってこと?」

 安達の奇妙な質問を空は思い返していた。聖歌にトイレに行きたいと頼まれたら七美なら授業中でもついていくかと訊かれたのだった。やけに具体的な質問の内容だと思っていたら、警察は聖歌が七美をトイレに誘い出した証拠を握っていたとみえる。

「でも、聖歌、そんなことしてないよね? だって授業中で、スマホの電源は切ってたはずだし」

「うん。校内放送を聞いてから、七美に連絡しようと思って電源入れたけど、ウェブコブのアカウントが停止されちゃって、七美にはメッセージが送れなかった。でも、刑事さんが言うには、確かに私から七美にメッセージが送られているって」

「変な話」

 一瞬、聖歌が嘘をついているのかと疑った空だが、アカウント停止の文言は空自身も目にしていた。

「刑事さんは、もしかしたら誰かが私のふりをして七美を教室の外に呼び出したんじゃないかって。そんな事をする人に心当たりはないかって訊かれた」

「それで、聖歌は何か心当たりがある?」

 聖歌の胸が激しく上下し始めた。

「……空。私、刑事には言わなかったけど、七美が死んだことと、津田沼校長が死んだこととは関係があると思ってる」

「関係があるって、どんな?」

「二人とも、呪い殺された……」

 冗談にしては性質が悪く、そして冗談を言っている聖歌の顔つきではなかった。

「七美はトイレの紙さまに、津田沼校長先生は石膏像に殺された……。美術室の動く石膏像の怪談は知ってるよね?」

「メルマガに書いたくらいだから」

「津田沼校長の事故が実は石膏像による殺人じゃないかって噂については?」

「聞いてる。だけど、石膏像が動くわけないじゃない。津田沼校長は地震で倒れてきた石膏像に運悪く押しつぶされたんだよ……」

 空はやんわりと呪いを否定してみせたが、津田沼校長の事故が殺人事件である可能性については口を閉ざしておいた。

「七美も空と同じことを言ってた。津田沼校長は事故死、怪談なんてただの作り話だって。でも、あの日の地震の揺れ程度で二メートルもあるビーナス像が倒れたりするのかな? 私、あの地震のあったすぐ後に茶道室に入ったけど、どこも変わった様子はなかった。ビーナス像が倒れるくらいなら、茶道室なんか、めちゃくちゃになっていてもいいはずだけど。だから――」

「ちょっと待って、地震のあったすぐ後に茶道室に入ったって?」

 すかさず空は聖歌をさえぎった。

「あの日、部活が終わって学園を出て駅まで行ったところで、帯留めを茶道室に忘れてきたって気がついたんだ。ママに内緒で持ち出したものだったから、どうしても取りに戻らなくちゃいけなくて、守衛の小野さんに頼んで学園に入れてもらった。でも茶道室の鍵がかかってて中に入れなくて。走って職員室に行ったんだ。職員室に誰か先生がいたら鍵を借りられるかと思って」

「職員室に誰かいた?」

「うん、松戸先生が残ってた。朝返してくれたらいいからって言われて鍵を借りた。後で知ったんだけど、私が茶道室に戻った時間って、ちょうど津田沼校長が美術室で動く石膏像に襲われた頃だったんだってね……」

「ねえ、聖歌。その時、何か見なかった?」

 茶道室と美術室は隣合わせに位置している。すっかり頭に入った学園の見取り図を思い浮かべながら、空は高まる期待を胸に尋ねた。

 聖歌はゆっくりとうなずいてみせた。

「津田沼校長を殺そうとする石膏像と目があった……。職員室にむかって走り出した時だった。白い物が目の端に見えたなと思ったら、石膏像が美術室の小窓をスッと横切っていった。七美に話したら、ちょうど地震で棚から石膏像が落ちた瞬間を見たんじゃないかって言われたけど。でも、そんな動きじゃなかった。あれは、意思をもって動いている――跳んでいるっていう感じの動きだった……。石膏像が動く所を見ちゃったから、私、呪われたんだと思う。動く石膏像の話を七美にしたから、七美も呪われて、それでトイレの紙さまに殺された……。次は私だって思うと、怖くて学園に行けない……」

 取り乱して泣きじゃくる聖歌からはそれ以上の事は聞き出せなかった。

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