第3話 トイレの紙さま(3)

 翌日、生徒たちは全員、体育館に集められた。七美が襲われた事件について、警察が生徒たちから話を聞きたがっているというのである。

 体育館内には机と椅子とが並べられ、制服姿の警官たちが生徒の話を聞きながらしきりとメモを取っている。生徒たちは一列に並び、空いた席へと順に進んでいった。

 手招かれ、空が着いた席の刑事は安達と名乗った。三十代後半、剛毛のくせ毛、小粒で眠たげな目の間隔がやや開いている。愛嬌を感じさせる顔立ちだが、その目の奥には厳しい光があった。安達は他の警官たちとは異なり、制服を着ていなかった。

「事件のあった日のことを朝から順を追って話してもらえますか」

 空の名前と学年、クラスを聞いた後、安達は抑揚のない調子で言った。すでに何十人もの生徒に同じ質問をし、返ってくる答えも似たり寄ったりなのだろう。メモを取るまでもないと言わんばかりに安達は机の上に片肘をついて、欠伸をかみ殺した。

「あの日は――」

 いつもと同じ一日だった。月曜日から金曜日まで、判で押したように同じ日が続く。決まった時間の電車に乗り、毎日ほぼ同じ時間に正門をぐぐって守衛の小野に挨拶をする。まさか友達が殺されるとは考えもしなかった一日だった。週末を楽しく過ごしてまた月曜日から学園生活が始まる。いつもと変わらぬ未来を少し退屈に思いながらも、その未来を疑ってもみなかった。

「何か変わったことは? 学園の周りを不審な人物がうろついていたとか?」

 これも定型文句なのだろう、安達は早口に言い進め、語尾は欠伸で聞き取れなかった。聞き取れたとしても、空の返事は変わらなかっただろう。空は黙って首を横に振り、安達は思った通りだといわんばかりにため息をこぼした。

「では、金曜日の午後一時から一時半までの間、どこにいましたか?」

「アリバイですか? 私、犯人だと思われているんですか?」

 思わずはしゃいだ声をあげ、空はとっさに口を塞いだ。

 期待していた応えとは違うものが返ってきたので眠気が一気に吹き飛んだのか、安達は小さな目を見開いていた。

「皆さんに聞いているんです。事件のあった時刻に誰がどこにいたのかを確認しておく必要があるので」

 安達はようやくペンを回す手を止めた。

「七美は一時から一時半の間に襲われたんですか?」

 空の質問には答えず、安達は手帳の上にペンを持った手を置き、自分の質問に対する空の返答を待っていた。

「一時から一時半なら――午後一限目の授業中でした」

「何の授業ですか?」

「英語です」

「というと、担当は――」

「白石先生ですけど、その日は教育実習生の大塚先生が授業をしてました。気がつかなかったんですけど、白石先生は教室を抜け出していたらしくて、校内放送がかかった頃に戻ってきました」

「ああ、職員室にいたとかいう先生だね。それで、英語の授業を受けていた教室は?」

「一年C組の教室です」

「高等部一年の教室というと……」

 かたわらにあった学園の見取り図を引き寄せ、安達は教室の場所を確認していた。

「叫び声のようなものが聞こえませんでしたか?」

 音は下のものが上へと響く。七美が襲われたのは新校舎一階のトイレ、空がいたのは二階とあって、わずかな望みをかけただろう安達が尋ねた。

「いいえ、何も。授業が始まってすぐ眠くなって、たぶん、居眠りしてたと思うから……」

「昼の後の授業は辛いもんがあるからね」

 まるで自分の高校時代を思い出したのか安達は苦笑いを浮かべた。それまで決まりきったフレーズしか口にしなかった尋問ロボットのようだった安達が人間性を垣間見せた瞬間だった。

「私と同じクラスで、叫び声を聞いた生徒がいるんですか?」

 安達の気のゆるんだ隙をとらえ、空は尋ねた。警察の事情聴取と聞いて、それなら逆に情報を収集してやろうと企んだ空は、事情聴取に素直に応じるふりで自分が質問する隙をずっとうかがっていたのだった。

「今のところは誰もいないけど、誰か何か聞いたという生徒がいたら、教えてくれると助かるよ」

「はい、もし何か知っている子がいたら刑事さんにお知らせします。あの、それで、目撃者とかいないんですか? 七美は学園内で襲われたんですよね? いくら授業中で教室の外には誰もいなかったとしても、誰か何か見ていそうな気がするんですけど」

「今のところは目撃者という人物はいないけど、犯人ではないにしろ、何かを見ている人間はいるだろうと思っているよ。ただし、見た人間はそれが事件と関係があるとは思っていないだろうね。だから、こうしてみなさんに話を聞いて、何でもいいから思い出してもらっているんだ。どんなつまらないことでも、もしかしたら事件と関係あることがあるかもしれないから」

「ああ、それで、おもしろくもない私たちの学園生活の話をきいているんですね」

「おもしろくもない、か。まあ、そうだね」

 苦笑いをかみ殺し、安達は剛毛のくせ毛をしきりに撫でつけた。

「刑事って、もっと刺激的な職業なのかと思ってましたけど、ひたすら人の話を聞くだけだなんて、案外地味な仕事なんですね」

「参ったね。まあ、犯人を取り押さえたり、カーチェイスだとかそういう派手なことはテレビや映画の世界の話でね。実際は地道に人の話を聞いて情報をひたすら集めるのが仕事のようなもんだよ。話のうまい人ばかりとは限らないし、ゴミみたいな情報のかたまりから重要な情報をさがしだすのは一苦労なんだ」

「あーわかります、その気持ち。私、マスメディア部で、生徒や先生にインタビューをする時なんか、相手が話上手とは限らなくて、後で記事にする時に困るんです。何かいっぱいしゃべってくれたけど、実がないなーっていう」

 ツボにはまったらしく、安達は涙がにじみ出るほどの勢いで笑い出した。

「実がないか。こりゃいい。声がでかい奴の話ほど中身はすっからかんってことも多いしな」

 独り言のように言って、安達は腹を抱えて笑った。思い当たる人物がいるので余計におかしいといった感じだった。

 空は津田沼校長を思い出していた。津田沼校長も声が大きく、何だかいろいろと語る人間だったが、中身はうすっぺらだった。

「あの、事情聴取はもう終わりですか」

 いくら何でも笑い過ぎだと空がむっとしていると、安達は目尻をぬぐいながら首を横に振った。

「君は亡くなった生徒と同じ学年だけど、その子とは親しかったのかな?」

「仲は良かった方だと思います。学園はエスカレーター式で、幼稚舎で入ってきて、初等部、中等部、高等部、長くて大学までの付き合いになるし。中等部では入試で入ってくる生徒もいますけど、七美とは幼稚舎からの知りあいだから」

「そう。それで、相馬七美さんて、どんな子だった?」

 最初の頃に比べれば人間味のある訊き方になったとはいえ、やはり安達は刑事に違いなかった。

「どんな子だったって……」

 あらためて聞かれると返事に困ってしまった空だった。

「普通の女子高生でした、としか。七美のことなら私より聖歌に聞いてください。すごく仲が良かったから」

「サヤカ?」

 口の中でつぶやきながら、安達はメモを取っていた。

「山下聖歌。サヤカは聖なる歌と書きます。私と同じクラスの子です。七美が死んだのがショックで今日は休んでますけど」

「そのサヤカって生徒だけど、襲われた生徒と一緒にトイレに行くぐらい仲がよかった?」

「はい。聖歌は一人ではトイレに行けなくて、トイレに行く時はいつも七美と一緒でした」

 妙な質問だなと思いながらも空は律儀に答えた。

「聖歌って子に『トイレに行きたい』と頼まれたら、襲われた子は授業中でも一緒についていってあげたと思う?」

「たぶん」

 少し考えた後、空はそう返事をした。七美と聖歌の親密な関係を考えたら、そうしない方が不自然だった。

「その子にも話を聞くとして。君の知っている範囲でいいんだが、襲われた生徒の子がいじめられていたとか、逆にいじめる側だったとか、何か知っているかな。誰かに恨みを買われるようなことをしただとか」

「いじめとか恨みを買うだとか、そんなこと……」

 空は膝の上で両手をぐっと握りしめた。

「刑事さん、一体何が知りたいんですか? 恨みを買っていたかって、まるで……まるで七美が狙われて殺されたような言い方じゃ……」

「殺されるような理由が被害者にはあったのかな?」

 あたかも逃亡者を探しあてようとするサーチライトのように、安達の目は空をじっと見据えていた。しかし、空が嘘をついている様子がないとわかると、安達はあっけなくスイッチを消し、少し間の抜けた感じのする中年男の顔に戻ってしまった。

「七美は狙われて殺された、警察はそう思っているんですか?」

 今度は空がサーチライトで安達を探る番だった。

「あらゆる可能性を否定せずに捜査しているだけの話だよ。だから何か思い出したことがあったら、いつでも警察に連絡してください」

 急に事務的な口調に戻り、安達は連絡先を記した名刺を差し出した。

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