第3話「厄介な客」
「時間を超えるタクシー」というものがあるとしたら、あなたは何に使うだろうか。おそらく誰もが考えつくものであり、実際に有効な利用法がある。そして、僕は今そんな厄介な客の相手をしている。
「うっし、メモしてきた。運転手さん、もう戻っていいぜ」
「はい……」
お客さんが乗り込んだのを確認して、僕は競馬場の駐車場からタクシーを出す。彼は「“明日”のレース結果」をメモし、その馬券を買うつもりなのだ。たった1万円で翌日のレースを確実に当てられるというのだから、安いなんてもんじゃない。この方法なら未来に飛ぶ際の制約も無関係だし、過去を変えるわけじゃないから記憶も残り、何度でも利用できる。まさにノーリスク・ハイリターンの錬金術というわけだ。
では、何が厄介なのか。こんな使い方をしていたら、確実に誰かに目をつけられるということだ。毎回レース結果を的中させていたらどこかのタイミングで怪しまれるし、その理由を探られれば、この時空タクシーの存在がバレてしまうかもしれない。あくまで都市伝説としてひっそりと活動しなければならない時空タクシー過去線の運転手にとって、かつてないほどの危機なのだ。
彼は、レース前日にいつも僕を呼び止めた。「もうやめませんか」とは言い出せない、満面の笑みだ。彼の服装や持ち物は次第に高価なものになり、目に見えて金持ちになっていった。話によると、今度「必ず予想を的中させる男」としてテレビに出演することが決まったらしい。時空タクシーのことは話さないだろうが、一体何を語るつもりなのだろうか。
ある時、いつものように競馬場の駐車場で待っていると、彼は魂の抜けたような顔で戻ってきた。
「な……何があったんですか?」
「……ジンセーサイオーが……故障した……」
──話によると、ジンセーサイオーというのは彼が競馬にハマるきっかけになった馬らしい。それほど有名ではない親から生まれた身でありながら、名だたる名馬たちに並んだり、時には打ち破ったりするという、奇跡のような馬だった。それが今回のレースの最中に骨折し、予後不良と診断されたそうだ。
「それは……お気の毒でしたね……」
「ああ……故障自体もショックなんだが、どうせなら“こんな形”じゃなく、リアルタイムで知りたかった、という気持ちがあるな……」
彼はぐったりと座り込み、顔を覆いながらそう言った。
「もう、戻られますか?」
「……なあ、運転手さん」
「はい」
「過去の俺を、止めてくれないか。初めてこのタクシーを使った時の俺を……」
「……そうすると、これまでお客さんが得たものは失われますが、よろしいですか?」
「冗談じゃねえ。こんな思いをするくらいなら、普通に勝ったり負けたりした方がよっぽどマシだよ。考えてみりゃ、俺は競馬の臨場感、馬たちが全力で疾走する躍動感に惹かれてハマったんだ。それが、いつの間にか数字しか見られなくなっていた……」
彼の声は、次第に小さくなってゆく。
「かしこまりました。では、まずお客さんを“昨日”にお連れします」
「時空タクシーの利用を止める」というケースの場合、通常の過去改変とは事情が異なる。何しろ相手は「時間を超えるタクシー」を前にしており、それを使って未来から来た自分に「使うな」と止められるのだ。普通の人間であれば、納得できるはずがない。だから、こういう場合は本人は連れて行かず、運転手である僕だけで処理をするのだ。
彼は競馬で稼いだ金から、初めて時空タクシーを利用した日までの料金を支払った。タクシーを使って得た大金の最後の使い道がタクシーの利用阻止とは皮肉なものだ。
僕はそれを受け取った後、彼が初めて時空タクシーに乗る夜まで飛んだ。そして無線機を手に取り、こう告げた。
「こちら朱鷺尾。今夜0時、明日に行こうとする客が現れるが、断ってくれ」
『こちら朱鷺尾。了解』
無線の相手は、あの日の僕だ。これで彼は乗車拒否される。とはいっても、「乗らないでくれ」と断られるのではない。行き先の日時を聞いた後に「そんなことはできない」と断り、普通のタクシーのフリをするのだ。これは、時空タクシーが都市伝説としてその存在を確認されずに運行できる理由でもある。
僕は“今日”に戻り、そこにいたもう一人の僕に今やってきたことを伝えた。“彼”が過去に飛ぶと同時に“僕”の存在は消滅し、「あの日に乗車拒否をした僕」になる。そうしなければ、僕と時空タクシーがツーペアになってしまうのだから。いや、本当に……厄介な客だよ。
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