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 女性の名前は『リーリア・ウォーレン』さん。

 年齢は二十四歳。この国の宰相をしているダニエルさんの奥様だそうだ。


 旦那様のダニエルさんは、晩餐会の時にヨハネス様から紹介してもらっていたから知っている。

 少し長めな薄茶色の髪を一つにして横に流した、青い瞳のイケメンさんだったが、身に付けていたモノクルのせいか冷たそうな印象が残っている。

 あのダニエルさんに、こんな儚げな美人の奥様がいたのか……。


 ダニエルさんとリーリアさんは、幼い頃から決められていた婚約者同士だったが、ダニエルさんが宰相を継いだ三年前に二人が結婚するまでに、順調に愛を育んで来た。

 そんな二人は一昨年前に第一子を授かったのだが……残念な事に、産まれる前にお腹の中で亡くなってしまったそうだ。


 悲しみに打ちひしがれているリーリアさんに向かって、『子供を産み落とす事も出来ない母親なんて失格だ』そう蔑む人間や離縁を持ち掛ける親族までいたらしい。


 失礼な奴らだな!!


 毛を逆立てながら憤慨する私に、リーリアさんは悲しそうな笑みを浮かべた。


「…私が悪いのです」


 いやいやいやいや!

 リーリアさんは全然悪くないから!

 そもそも子供が無事に産まれて来るのを、さも当たり前だと勘違いしている奴らに腹が立つ!!

 妊娠も出産もどれだけ女性の身体に負担をかけているか…。

 確かに、出産まで何もトラブルの無い人だっている。

 だけど、そうじゃない人だっているのだ。

 妊娠初期の悪阻つわりで苦しみ、安定期に入っても貧血が起こったり、ストレスが溜まれば尿に糖やタンパクが出る。中毒症になったりもする。

 また後期に悪阻が復活する場合だってあるし、お腹が大きくなるにつれて腰に負担は掛かるし、寝返りだって自由にうてない。夜中に足がつったりもする。

 これだけだって大変なのに、更に切迫流産や切迫早産で歩行禁止になる人だっているし、更にお産の時はお産の時で長時間の陣痛に苦しむ人もいる。出産時の大量の出血により生死の境をさ迷う人だっているのだ。

 帝王切開だってそうだ。肉体的、精神的に負担が掛かる。

 病院では血栓が詰まらない様にと、お腹を切った次の日に歩行の指示だってされる。


 舐めてる…。

 命を産み出す事がどんなに命懸けなのか全然分かってない!!

 それを子供を産んだ事のある女性にも理解してもらえない事が悲しい…。

 私はまだ子供を産んだ事が無いけど…周りの人達の妊娠・出産を見てきたから理解していると思う。


「リーリアさんは全然悪くないですよ!」

 考えている内に、キッとつり上がってしまった瞳をリーリアさんに向けない様に気を付けながら、私はそう断言する。


「…ありがとうございます。旦那様もそう言ってくれたのですが…」

 私的に冷たそうなイメージのダニエルさんだが、リーリアさんには普通に優しい旦那さんみたいだ。

 …良かった。

 リーリアさんを傷付ける様な人だったら、私の爪攻撃をお見舞いした所だ。


 嘆き悲しむリーリアさんを優しく支え続け、ようやく夫婦待望の第二子を授かる事が出来たのだが…リーリアさんは、最初の妊娠がトラウマになっていて、旦那さんにまだ妊娠した事を告げられていないという話だった。


 うーん…怖いよね…。

 ここは日本とは違って、医療技術は発展していないだろうし…そんな中で胎児の異変を感じ取る事なんて難しい。仮に異変が分かったとしても対処出来ないんじゃないだろうか?


 私はジッとリーリアさんのお腹を見ると、お腹の中からは『トクン…トクン』と小さいながらも力強い鼓動が聞こえて来た。


「お腹に触っても良いですか?」

 リーリアさんに許可を貰ってから、私は彼女の腹部にそっと手を当てた。


 当てた手の内側からは、『生きたい』という強い想いが伝わって来る。


(うん。良い子だね。優しいお母様が待っているから頑張って産まれて来ようね)


 そう心の中で語り掛けると…。


『うん!がんばる!』

『わたしもこんどこそ、かあさまにあいたいからがんばるよ!』

 小さな男女の声が聞こえて来た。


 こんどこそ…?

 ……『今度こそ』か!


「…リーリアさん。亡くなってしまったお子さんは女の子でしたか?」


「ええ…。良く分かりましたね?可愛らしい女の子でした」

 リーリアさんは寂しそうに笑う。


 やっぱり。


『今度こそ』そう言った女の子は、リーリアさんが亡くしてしまった子だろう。

 リーリアさんに…大好きなかあ様に産んで欲しくて戻って来たんだね。


「お腹の赤ちゃんは大丈夫ですよ」

「でも…ミーガルド様。……私は怖いのです」

「リーリアさん、赤ちゃんは『頑張る』って言ってます。『今度こそ母様に会いたいから頑張る』って」

「……え?……今度こそ…って?え……?」

 呆然と私を見るリーリアさんに向かって力強く頷き返す。


「そうです!あの時に亡くなってしまったあの子が、リーリアさんの所に戻って来てくれたんですよ!!」

「…そんな、まさか!?…で、でも…また産んであげられなかったら…私は…」

 リーリアさんの大きな瞳からはポロポロと涙が溢れている。


「『僕も一緒だから。僕が守るから大丈夫だよ』って、もう一人の赤ちゃんも言ってます」

「もう一人…?お腹の中の赤ちゃんは…双子なのですか?」

「はい。女の子と男の子の双子ですよ」

「……っ!!」

「大丈夫です。何かあっても私が助けます。だからリーリアさんは赤ちゃんを信じて、沢山の愛情を注いであげて下さい」


 胸を張った私は、ポンッと自分の胸を叩いて見せる。…リーリアさんを少しでも安心させられる様に。


「これでも私は聖獣ですからね!!」

「…っ…ミーガルド様!ありがとうございます…ありがとうございます…!」

 両手で顔を覆いながら大量の涙を流すリーリアさんの頭を優しく撫でていると…。


「…リーリア!?」

 驚いた様な声と共に、バタバタと駆け寄って来る足音が聞こえて来た。

 そちらに目を向けるとモノクルをかけた男性の姿が見えた。ダニエルさんだ。


「リーリア、どうした?!…それにミーガルド様まで?!」


 冷たそうな印象はどこへやら…オロオロと焦った表情を浮かべるダニエルさんには、とても好感が持てた。

 これだけで、どんなにリーリアさんをどんなに愛しているのかが分かるのだから。


 突然のダニエルさんの登場に驚いたリーリアさんは、愛らしい瞳を真ん丸にしている。



「……大丈夫ですわ。ダニエル様」

 リーリアさんはそうダニエルさんに返事をした後、私の方へ視線を寄越した。

 私は黙って大きく頷く。両手を握り締め、『頑張って!!』と心の中で応援しながら。


 リーリアさんは私に向かって頷き返した後に、目を閉じて大きく深呼吸をした。


「…実は……赤ちゃんが出来たのです」

「…それは本当か?!」

 瞳を見開き驚いた表情を浮かべるダニエルさん。


「…はい。でも…今まで言えずにいました」

「何か悩んでるとは思っていたが…これだったのか。一人で悩まずに、もっと私を頼って欲しいよ」

 リーリアさんを優しく抱き締めるダニエルさん。


「ダニエル様…すみません」

 ダニエルさんの胸に顔をうずめるリーリアさん。


 ……私、お邪魔じゃないかな?

 そーっと、その場から退散しようとした時。


「ミーガルド様が、お腹の中の赤ちゃんは…男女の双子で…女の子の方は…前に亡くしてしまったユリアだと…教えて下さったのです」

 リーリアさんがクルリと私の方を向いた。


「なんだと……?!」

 また瞳を大きく見開いたダニエルさんも同じ様に私を見る。


 バレた!!

 見つかった泥棒の様な格好のまま固まった私は……小首をコテンと傾げた。

 テヘペロ。


「ミーガルド様!!リーリアの話は本当ですか!?」

 ズズズイッとダニエルさんに詰め寄られる。


 近い!!近いから!!

 今は猫みたいな身体だけど、これでも私は妙齢の女性です!!!

 既婚者にトキメキたくないんですけど!!!

 ……的な事は全く無かった。


 アレアレー??不思議だなぁ?!心配して損した!


 …コホン。

「本当です。間違いありません」

 軽く咳払いを一つしてからダニエルさんに向かって大きく頷いた。



「リーリア!!」

 ギュッとリーリアさんを抱き締めるダニエルさん。


 おっと…『抱擁は良いけど相手は妊婦さんなんだから!』

 そう声を掛けようかと思ったが、私が言う前にダニエルさんが気付いた。

 リーリアさんに謝っている。

 良い夫婦じゃないか……。


 ……リーリアさん、幸せそう。

 私は二人が抱き合う姿を瞳を細めて見つめていた。


 良いなあ。私もそんな風に幸せになりたかった…。


 そう思った所で、私はハッとした。


 これ以上考えては…駄目だ。

 私はこの世界の聖獣として生きて行くのだから……。


 頭に浮かんだ事をブンブンと首を横に振って飛ばし、リーリアさんに話し掛けた。


「リーリアさん。また明日!あちらにある花畑の方でお会いしましよう?」


 リーリアさんの赤ちゃん達が無事に生まれるまで見守ろう。

 私は勝手にそう決めた。


「あ、でも、体調の悪い時は無理しないで下さいね!リーリアさんのお宅にお邪魔しますからね」

 ニコッと明るく笑う。


「「ありがとうございます!ミーガルド様!」」


 頭を下げる二人に手を振りながら、私はその場を去った。

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