そらをたつ(2)

          ☆    †    ♪    ∞


      [三日後]

  [午前六時三一分]

                 [津雲市 愛摩川あまがわ 南深川橋みなみみかわばし下]


 津雲市に流れる一級河川・愛摩川。

 それをまたぐ国道である南深川橋の下に、ランセとアマネはいた。


 二人の目の前には誰かが乗り捨てた廃車が一台。右の前輪が破裂しており擱座かくざしていた。

 車の型も新しくはなく、外装の剥げ具合から数年は放置されていると見える。


 それだけならただの廃車である。大して珍しくもない。


 一点だけ、不可解な部分があった。


 右のヘッドライト――角が取られたかのごとく、そこだけ斜めに切断されていた。


 その切断面は綺麗……どころか、切られたというより最初から二つに分かれていたと目を疑うほど。

 鉄をも両断するウォーターカッターでもこれほどの切断面が出来るかどうか――無論、そんなものは今この場にはない。


「――この力をどう使うかはお前に任せる」


 静かに言うアマネ。その表情に、いつもの余裕のある微笑はない。


「…………」


 小さくため息をつくランセ。


 それは確かに自分が望み、欲していたものだった。


 だが、それを手にするということは同時にあるものも背負わなければいけない。


 責任――その重さが、ランセの両肩にのしかかっていた。




             [同日]

           [午後四時一七分]

    [津雲市 朝吹二丁目]


「――ランセちゃん、なんか今朝から元気ないよね」


 唐突に、マユナは核心をついた。

 マユナがここまでそこに触れなかったのは、ランセと二人きりになる学校からの帰り道まで待っていたからである。


「…………」


 どうしてコイツは自分の心境を正確に読んでくるのか――と、ランセは小さな溜息をつく。


「……そう見えるか?」

「なんとなく」


 ランセ自身顔には出していないつもりだったが、マユナはなんとなくというふんわりとした印象だけで核心にいたった。

 マユナは基本的にバカだが、人を見る目はある。

 人を見る目とは、その人物の人格、能力、精神状態などをふくめた総合的な観察眼と言い換えてもいい。

 マユナはその観察眼の精度が異様に高い。その理由に関してランセは特に興味もないため本人に聞くこともなかったが、理解していることはひとつ――マユナの前では嘘やごまかしは通用しないということ。


「お姉ちゃんでよければ話してごらん。ついでにこの胸に飛び込みたいなら特別に貸してしんぜよう」


 ランセとは同い年のクセに、ここぞとばかりに先輩風……というより姉風をふぶかせるマユナ。

 すこしだけイラッとするランセだが、仮に胸中を打ち明けた場合なんだかんだでコイツは真剣に聞くんだろうなという信頼もあった。


 マユナの言う通り、今朝からランセに元気がないのは理由がある。


 しかしそれは、


「………………悪い」


 マユナにも明かせないことだった。


「……そっか」


 ランセの絞り出すような一言に、これ以上踏みこんでいい話題ではないということを察するマユナ。

 ランセが他人に嘘をついたりごまかしたりする人間ではないということをマユナはよく知っている。ランセと知り合って三年目になるが、すくなくともそんな場面は一度も目にしたことはない。

 同時に、他人に対して素直に謝ることもない。そもそも他人に謝らなければならないようなこと自体しない。

 他人と関わらなければ、面倒をかけることもしがらみもないゆえに。


 そんなランセが、嘘やごまかしではないがなにか隠していることをマユナに詫びた。


 マユナにとっては初めての出来事だった。


 もしもマユナが野次馬根性にあふれていれば、ここでなんとしてもランセからその隠し事を聞き出そうと躍起になるだろうが――マユナはそんなことはしない。

 そんなことはしないが、正直な所は――悩みがあるなら頼ってほしかったな……と、すこしだけさびしい気持ちになった。


「んー……それじゃ元気がないランセちゃんのために元気が出るツボを押してあげよう。目頭あたりにある睛明せいめいっていうツボなんだけど……」

「遠慮しとく」

「じゃあおへそあたりにある天枢てんすうを……」

「ツボから離れろゴリラ」


 なぜか執拗にツボ押しを推してくるマユナにうんざりとするランセ。

 ちなみに睛明は眼精疲労、天枢は便秘や下痢に効くツボである。


「もーランセちゃんはワガママなんだから。それならえーと……二年前くらいに体育の課題に出された鉄棒の逆上がりを自主練習するユアナの映像でも」

「見たい」

「ランセちゃんはユアナのことになるとホント食い付きいいねー」


 やや食い気味に答えるランセに、マユナはケラケラと笑いながら歩道の端に寄った。


 そこに、


「あー! 刻先輩! マユちゃん先輩!」


 底抜けに明るい声がランセとマユナの二人にかかった。


 彫谷ナオエ。二人にとってはひとつ下の後輩である。

 制服姿にカバンと竹刀袋を持ち、下校の途中という様相だった。


「ん? ああ……彫谷か」

「おー! ナオナオ!」


 押していた自転車を停めて、ナオエに駆け寄り「うぇーい」と軽くハイタッチするマユナ。

 二人が妙に仲が良いのは、かつて剣道部の練習にまったく参加していなかったランセに「一度だけでいいから」と説得を試みたナオエに、マユナも協力したからであった。


「お二人とも、今帰りですか? あっ、刻先輩チョーカー着けてる! 意外ー! でもシンプルで似合ってますよ!」

「お、おお……」


 目を輝かせながらランセと会えた歓喜をストレートに叩きつけてくるナオエの勢いに、半歩だけあとずさるランセ。

 ランセを前にしたナオエはおおむねこうなる。


「ナオナオは元気だねぇ。あれ、部活は休み?」

「はい! 今日は部活ないんですけど、自主練はやっておこうと思いまして!」


 にっ、と白い歯をのぞかせながら手に持っていた竹刀袋をランセとマユナに見せるナオエ。


「この前、羽黒先生から剣道続けるべきだって……人からそんな風に言われたの初めてだったから、もうちょっと頑張ろうかなって……」

「へー……羽黒先生がねぇ」


 はにかむナオエに対して、マユナはわずかに眉をひそめた。


「剣道といえば、刻先輩は高校でも剣道日本一を目指してるんですか!?」


 その問いには、ナオエにとってすでに答えが決まっているものだという期待があった。

 ランセならばそうであろうと――さも当然のように「そうだ」と言ってのけるだろうという期待。


「――日本、一?」


 その期待を、ランセは意図せず裏切った。


「あれ……? あのっ、違うんですか?」

「あ……その、そう、だな……日本一は……もういいんだ」


 意外な返答に目を丸くするナオエに、ランセ自身もかつての目標を失念していたことに当惑した。


「……剣道を辞めるわけじゃない。どうしても、勝ちたい奴がいるんだ。そいつに勝つには多分……日本一になるより難しい」

「そんな……刻先輩より強い人がいるなんて」

「いるよ。父さんにも未だに勝てないしな」


 すこし肩を落とすランセだったが、悲観は感じさせない。

 そんなランセを見つめるナオエの目から、熱が引く様子はなかった。


「つまり、新しい目標ができたってことですね! 私も頑張らなきゃ……それじゃ私はこれで! 失礼します!」


 本当はもうすこしだけランセと話していたい感情を押し殺して、笑顔のままランセとマユナに別れを告げるナオエ。

 駆け足でその場を去る姿は突風を思わせる。


「ナオナオ、なんかいつにも増して元気だったね」

「……そうか?」

「あとランセちゃん、ユアナに限らず年下の子には基本的に優しいよね」

「黙ってろゴリラ」


 二人でナオエの背を見送るが、その表情はやや怪訝けげんそうだった。

 ――おたがいに、引っかかった点がひとつ。


「羽黒先生か……正直好きになれなかったな」

「ランセちゃんも? お姉ちゃんもちょっと」


 珍しく、二人の私見がすんなりと一致した。

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