お姉ちゃん家においでよ

お姉ちゃん家においでよ(1)

               [二〇××年 四月某日]

       [午後三時四ニ分]

             [公立春日峰高校 一年一組教室]


 その日は雨が降っていた。

 しとしとと、草花を散らさずにうるおすような甘雨。

 それを天恵と捉えられる人間がどれだけいるかはさておき――すくなくとも、窓の外をながめる乙海いつみマユナの表情はどこか物憂げだった。

 マユナにしては珍しい表情である。

 マユナといえばだいたい笑顔。ちょくちょく変顔。あとはゴリラと、むやみに表情が多彩で普通にしている時の方が珍しい。

 それゆえ、帰り支度していた周囲の生徒にも「どうかしたのかコイツ」「珍しく静かだなコイツ」「黙ってれば美人なんだよなコイツ」などと、口には出さずともいらぬ心配をさせてしまうほどであった。


「……どうしたゴリラ」


 その中で唯一、「どうせ大したことじゃないんだろうな」と思いながらきざみランセはなんとなくマユナに声をかけた。


「…………」


 声をかけられ、無言のまま視線だけランセに向けるマユナ。

 ランセをすこし見やってから、再び窓の外へ視線を戻したマユナは静かにつぶやいた。


「……ここでお姉ちゃん、心の一句」




 春雨や

 傘を忘れて

 Godゴッド isイズ deadデッド




 ――添削する気も起きない。

 そう言わんばかりにため息をつくランセ。

 要約すると「この雨の中、傘なしで帰るのユーウツだなー」といった程度の愁傷であり――実際、大したことはなかった。


「……ランセちゃんよォ……お姉ちゃん知ってるんだぜェ……? ランセちゃんが傘を持ってるってことをなァ……!」


 小悪党のような卑屈な笑みを浮かべながら、がっしとランセの肩に腕を回すマユナ。まるで陳腐な恐喝カツアゲだった。


「それがどうした」

「――あいあい傘してくださいお願いします」


 一転、マユナは素早くランセの目の前で土下座――ではなく五体投地を決めた。

 マユナの切なる祈りに対し、ほんのすこしだけ考えるランセ

 出した答えは、


「嫌だよ」


 神は死んだゴッドイズデッド


「ホントランセちゃんそーゆートコあるよね! いいよいいよアマネちゃんに頼むから! アマえもーん! 傘持ってるならお姉ちゃんも入れておくれよゥー!」


 神に背を向け、マユナは異星から来た留学生――陽村ひむらアマネに泣きついた。


「うむ。傘ならコマリに持たせているが」

「やったぜ!」

「しかし……悪いなマユナ。その傘は二人までしか入れんのだ」

「ですよね!」


 嫌味ではなく、申し訳なさそうに単なる事実を口にするアマネ。マユナはそれを肯定するしかできなかった。

 三人入れるような大きな傘は実際に存在するものの、それをわざわざ持ち歩く人間などあまり多くはない。


「いや……お姉ちゃんまだ諦めない! 傘に二人までしか入れないのは平面のみを利用した場合! それならば! お姉ちゃんがコマリンを肩車して、その上でさらにコマリンがアマネちゃんを肩車することによって三次元でのスペース確保を実現した新たな陣形フォーメーション――あいあい傘ならぬトリプレット傘をここに提案したい!」


 力強い握り拳を作りながら、傘の常識を覆す新たな陣形フォーメーションを提唱するマユナ。確かにそれなら普通の傘でも三人入れるだろうが、人としての体面はまったくもって考慮されていなかった。

 マユナの熱き思いに対し、ふむ、とほんのすこしだけ考えるアマネ。

 出した答えは、


「それはそれで面白そうだが……そもそも私の寄宿先とお前の自宅は反対方向ではなかったか?」

「バッチキショォォォーーーーーーーーーー!!」


 号泣しながらずばーん!と机を叩くマユナ。どれだけ熱き思いを叩きつけても、現実という名の壁はそう簡単に砕けるものではない。

 一方でランセには、なぜマユナがそこまでしてあいあい傘にこだわるのかさっぱり理解できなかった。


「……コンビニで傘でも買えばいいだろゴリラ」

「それはそうなんだけどさー……コンビニ傘一本がアマネちゃんのおやつ五食分って考えると結構高い買い物のような気がして…………むむっ、お姉ちゃんのスマホがブルブルしておる」


 言いかけたところで、制服のポケットからスマートフォンを取り出すマユナ。

 発信者の名前は――『ユアナ』


「――灼熱の時間ときっっっ!!」


 瞬間、マユナは両眼を光らせながら全身の関節を同時に加速させ音速に迫る速度の指さばきで画面をスワイプした。


「もしもしィ!? どしたのユアナ! …………うん。そうそう。傘持ってないから今お姉ちゃんのココロはまさしくレイニーブルー…………えっ、ホント!? ………………あああああユアナ愛してる! じゃあお姉ちゃん昇降口で待ってるから! うん! それじゃね!」


 てし、と丁寧に画面をタッチして通話を切るマユナ。

 なにを話していたのか、その顔は満面の笑みだった。


「昇降口で待つって……もしかしてユアナがここに来るのか?」

「そのとぅーーーり!! あのね! ユアナがね! 傘持ってきてくれるって!」

「……アイツ、ホントいい子だな」


 感心したかのようにつぶやくランセ。

 それだけ優しい、よくできた妹であるなら目の前のゴリラが溺愛するのも無理はないか――と改めて納得する。


「そうと決まればお姉ちゃん、昇降口にて正座で待機する所存! さぁついてまいれ皆の衆! 我らはこれより――死地に入るっっっ!!」

「笑顔で言うセリフじゃない」


 妹が来るのが嬉しいあまり、妙にキレのいい阿波おどりを踊りながら教室を出ていくマユナ。ランセもユアナが来るなら――とそれに続こうとするが、


 そこで、尋常ならぬ殺気がランセの背を刺した。


「――っ!?」


 素早くランセが振り返ったその先には――アマネ。

 腕と足を組みながら椅子に座り、その背後ではアマネの侍従・遠見とおみコマリがアマネの髪を無言でブラッシングしていた。

 紅い瞳は闘志を静かにたぎらせ、その眼差しはまだ見ぬ剛敵の幻を見据えているかのよう。

 さながら合戦直前の武将だった。


「……なんだ。いきなりどうしたチビスケ」

「……ユアナが来るらしいな」

「まぁ、らしいな」

「ふふ……こんなにも早く相見あいまみえようとは……よほど天も識りたがっているらしい。真にかわいいのはどちらかということをな……」


 くつくつと笑うアマネに、「コイツなに言ってるんだろう」と冷めた目を向けるランセ。


「先に行け。なに――逃げはせん」


 瞑想にふけるかのように目を閉じるアマネ将軍。

 そんなアマネに、一から十までついていけないと悟ったランセはなにも言わず教室を後にした。




[午後四時一二分]

[公立春日峰高校 中央昇降口]


 昇降口のガラス扉の前で、マユナはゴリラ顔のまま正座していた。

 道行く生徒たちの何人かが「このゴリラなにしてんの?」「新しい罰ゲーム?」などとランセにたずねるが、ランセはただ「気にしなくていい」と返すだけだった。

 待つこと二〇分あまり。


 マユナにとっての天使がやって来た。


 短く切りそろえられながらも、髪質が柔らかいのか綿のようにふわりとしたショートボブ。

 つぶらな瞳はマユナとよく似ているが、太陽のような光を放つマユナのそれとは正反対――穏やかに光る月の瞳。

 袖に小さいフリルが付いた白いブラウスと紺のジャンパースカートに包まれた細い体は、簡単に触れてはならないような繊細さをまとっていた。

 マユナのように目立つタイプではない。

 どちらかといえば――大樹に寄り添うように咲く小さな花。


 それが乙海ユアナという少女だった。


「――ユアナ~~~~~~~~~~~~っ!!」


 その姿を捉えるやいなや、思い切りその名を呼ぶマユナ。

 ユアナもそれに気付き、すこし恥ずかしそうにひらひらと小さく手を振って応える。


「――おまたせ、おねぇちゃん。あ……ランセさん、こんにちは」

「うん……元気そうだな」


 昇降口のひさしに入り、傘を閉じながらぺこりと頭を下げるユアナ。仏頂面のままではあったがランセの眼はどこか穏やかだった。


「おねぇちゃん、もしかしてずっとここで……正座で待ってたの?」

「そのとぅーーーり!! しかしなんということでしょう! わずか二〇分程度の正座でお姉ちゃんの両脚はまるで石像のように…………っ……しびれて……っ…………タスケテ………………」


 風船がしぼんでいくかのように急激にトーンダウンするマユナ。ランセはツッコむ気も起きなかった。


「……もう、わざわざそんなことしなくていいのに……ほら、おねぇちゃん、立てる?」

「ユアナさん……」


 自分の分とマユナのために持ってきた傘を置いて、マユナを支えようと近付くユアナ。その優しさにマユナの瞳が涙でにじむ。

 それが罠だとユアナに悟らせないように。

 ユアナがなんの警戒もなく射程圏に踏みこんだ瞬間、マユナの両目がビカーと光った。


「――スキありぃっ!!」

「っ!?」


 がばっ、とベアハッグのごとくユアナを抱きしめるマユナ。まさにグリズリーか、もしくはゴリラだった。


「あーーーユアナすき! お姉ちゃんのために傘を持ってきてくれるなんて! お姉ちゃん三国一の幸せモンだァ!」

「やっ……ちょ、ちょっと、おねぇちゃん……! ひ、人前でベタベタしちゃダメって……言ってるでしょ……」


 幸福のスケールが大分小さいにもかかわらずバイブスがブチ上がったマユナに、ユアナはその拘束から逃れようと身をよじらせる。

 しかしその筋力差は言うなればゴリラ対ハムスター。勝負になるはずがなかった。


「えー? じゃあなにかねユアナ大佐。人前じゃなければベタベタしてもいいの?」


 ユアナを体から離し、その目をまっすぐ見つめるマユナ。


「…………」


 その問いに、頬を赤くしながらこくりと小さくうなずくユアナ。

 言葉よりも雄弁な返答だった。


「……――」


 みるみるうちにマユナも赤面し、ユアナを直視できずに顔を背ける。


「……じゃ、じゃじゃ、じゃあ、その、えっと、おっ、お家で、ベタベタしよっか」

「お前、自分からは直球ばかり投げるクセに他人の直球はてんで受けられないよな」


 明らかに動揺を隠せないマユナに、ランセは呆れるほかなかった。

 周囲にはあまり知られていないが――マユナは意外と照れ屋で、ランセが言った通り他人から直接的な好意を向けられるとあっさり平常心を失ってしまう。

 マユナが人に笑われるのは得意である一方、人から純粋に褒められることに慣れていないためである。


「――貴様がユアナだな」


 そこに、満を持さなくてもいいのに持してしまったアマネが現れた。コマリもアマネの側についている。

 一人でカチコミをかけてきた不良かヤクザよろしく、アマネの剣呑な雰囲気を感じ取ったユアナはビクリと身を震わせた。


「は、はい……」

「我が名は陽村アマネ。なるほど、マユナが言うだけのことはある」


 じろりと頭から爪先までユアナを睨め回すアマネ。

 幼くも整った顔立ち、ガラス細工のような華奢な体、品の良さをうかがわせる服のセンス――アマネの眼は瞬時にユアナの戦闘力かわいさを読み取る。


 結果――アマネの本能はユアナは相当なかわいさを備えたかつてない強敵であると結論した。


「だが、天上天下において最もかわいい者は二人も要らん。至高の頂に座するのは――私ただ一人」

「……??」

「お前たちに問おう――どっちがかわいい!?」


 頭上にクエスチョンマークを浮かべたままのユアナをよそに、ユアナの隣に立ちながら腕を組むアマネ。

 マユナとランセは、たがいに示し合わせたわけでもなく同時に口を開いた。


「「ユアナ」」

「――――…………」


 返答までたったニ秒。

 無情なる宣告に、アマネは無言で眉間を押さえた。


「うむ……ランセは解る。大方私への当てつけだろうからな。かわいい奴め」

「前向きな誤解はやめろ」


 なんとか平静を保とうとするアマネに対し、ランセはどこまでも冷徹かつ正直だった。


「それよりも……マユナ! お前裏切ったな!?」

「す、す、すまねぇ! けど堪忍やで! お姉ちゃんも人の子やねん! 結局身内が一番かわいいんや!」


 明確な怒りをあらわにしながらマユナの頬をぷにーとつねるアマネ。立った状態では身長差があるため、アマネのために屈んでわざわざつねられにいったのはマユナの誠意である。


「裏切り者には相応の罰をくれてやる。お前にはしばらく私との接触を禁ずる」

「アバーーーーーっ!? そっ、そんなコトされたら『ちっちゃくてかわいい子にベタベタしてないと死んじゃう病』の重篤患者であるお姉ちゃんは……し、死んでしまうぞ!」

「――いかんか?」

「エドワード一世みたいな冷たい目!」


 世界でも数少ない(極めてどうでもいいという意味での)奇病を抱えるマユナにとって、アマネとの接触禁止令は死刑宣告同然。


「どうか! どうかご再考を! 慈悲を!」

「…………」


 半泣きになりながらアマネに抱きつこうとするマユナだったが、それをコマリが無言で阻む。厄介なファンからアイドルを守るイベントスタッフのようだった。

 そこで、ふとあることに気付くマユナ。

 わちゃわちゃとアマネに抱きつこうとするのをピタリと止め、一転してアマネの壁となっていたコマリを逆に抱きしめた。


「――コマリンあったけぇナリ」

「…………」


 あっさりマユナによって捕獲されるコマリ。

 コマリもはたから見て充分に『ちっちゃくてかわいい子』であるため、マユナは無事一命を取り留めるに至った。


「コマリ……お前もか……」

「……さっきからなにやってるんだお前ら」


 最後の味方だと思っていたコマリまでも敵の手に落ち、孤立するアマネを見るランセの目は冷ややかだった。茶番にしか見えなかったゆえに。


「ワケが解らないからユアナが困ってるだろ。いい加減にしろ」

「いえ、あのっ……そ、その、ランセさん……っ」


 いつの間にか背後からランセに優しく抱きしめられ、赤面しながら困惑するユアナ。ランセにしては珍しく平然と自分を棚に上げていた。


「ぐむむ……ランセの様子が普段と違う気がするが……ユアナの前だとこうなのか?」

「こうだね。ユアナはランセちゃんの数少ないお気に入りだから」


 歯噛みするアマネに、コマリの頭をなでながらマユナは応えた。

 ユアナもランセのことが嫌いどころか、その中性的で冷然とした風貌と落ち着いた物腰にある種の憧れを抱いていることをマユナは知っているため、ランセを咎めはしなかった。


「あ、そーだ! ねぇユアナ。ママって今お家にいるよね?」

「う、うん……今日はお家でお仕事してるって……」

「よーしよし……時にアマネちゃん、今日ってこのあと用事とかあったりする? また宇宙に行ったりとかさ」

「む……いや、特に予定はないな」

「ほーん。オッケーオッケー」


 ユアナとアマネの返答に、満足気にうなずくマユナ。


「ランセちゃんは……このあとお家に帰って剣の稽古だよね。しってる! しかれども! 今日はそんなつれないこと言わずにお姉ちゃんについてきてほしい!」

「…………」


 返答を待つどころか先回りして逃げ道を潰しにかかってきたマユナに、ランセは閉口するしかなかった。


「……なにするつもりだ、お前」


 呆れ顔になるランセに対し、にぱーと明るい笑顔を浮かべながら、


「みんな、これからお姉ちゃん家においでよ!」


 マユナは自宅への招待を提案した。

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