暴風(3)

          ☆    †    ♪    ∞


                     [同日]

  [午後四時一二分]

                [津雲市 緋川五丁目]


 スーパーマーケット『ビオス』緋川ひかわ五丁目店。

 春日峰高校から徒歩一〇分。自転車ならおよそ五分。

 校舎から近い位置にある大型スーパーであり、物価も比較的安いことから昼食時には校舎を抜け出して弁当やパンを買いに来る学生もすくなくない。

 ランセとコマリはそこを目指していた。


「……で、夕飯の食材ってなにを買えばいいんだ?」

「こちらになります」


 自分から一歩後ろについて歩くコマリに目を向けるランセ。言われて、コマリは制服の胸ポケットから一枚のメモ用紙を取り出した。

 ランセはそれを受け取り、目を通す。


 プレミアム熟カレー(中辛)×1箱

 鶏もも肉×1パック

 人参×1袋

 玉葱×1袋

 アルフォート×2箱


 それはアマネが書いたメモで、少女らしからぬ達筆だった。


「なにを食べるのかと思えば、なんか……すごく普通だな」


 どこからどう見ても今夜の夕飯がカレーであることを示す内容。

 普段のアマネから受ける貴族然とした印象からどことなく高級/高価な食事でも摂っているのかと想像していたランセだったが、その予想はあっさりと、そして地味に覆された。


「……夕飯がカレーなのは解ったけど、このアルフォートってなんだ」

「それは首領お気に入りのお菓子です」

「………………首領?」


「お気に入りのお菓子」よりも「首領」という単語が引っかかり、思わず聞き返すランセ。


「首領です」

「……あのチビスケのことだよな」

「はい」

「なんで首領なんだよ」

「首領がそう呼べと」

「………………」


 淡々としたコマリの返答に、ランセは眉根を寄せた。

 アマネは恐らく――「首領と呼ぶがいい」とドヤ顔を決めながらぬかしたのだろうと、容易に想像できたからである。


「……遠見。お前、あのチビスケの侍従なんだよな」

「はい」

「アイツの世話をしてるってことだよな。普段なにしてるんだ?」

「登下校の際に荷物をお持ちしたり、帰宅の際に玄関で脱がれた靴を揃えて並べたり、就寝の際に布団をかけ直したりしています」

「……こき使われてるというよりどうでもいい使われ方をしてないか」


 まったく大したことのない仕事の数々に呆れかえるランセ。

 侍従と呼べば聞こえはいいが、コマリの言葉が事実ならばそれは侍従というより小間使いだった。


「……よくあのチビスケの言うことなんて聞いてられるな」


 コマリから一旦視線を外して、ランセは歩を進める。

 我が強く、やすやすと人に従うタイプではないランセにとってコマリの在り方は今はまだ理解の外。

 それは単なる疑問として口から漏らしたに過ぎなかった。

 が、


「命令であれば、完遂します」


 昏い瞳と血の通ってない冷めた言葉が、ランセの背を逆撫でる。

 ランセは足を止めて、後方のコマリへと首をわずかに傾けた。


「……確か、チビスケは自分がその場にいない時はオレに命令権を移譲するとか言ってたな」

「はい」

「じゃあお前、オレが今この場で裸になって犬のマネをしろって言ったらやるのかよ」


 憤りが挑発となって口をつく。

 人並みの常識があればできるわけがないと高をくくっていた。


「承知しました」

「――は?」


 なんの躊躇ちゅうちょもなく制服のスカートに手をかけるコマリ。

 ぱさりとスカートが落ちて、子鹿のような細い脚と白いショーツがあらわになる。

 よりによって――天下の往来で。


「バっっっっっ――――――!?」


 声を上げながら、凄まじい速度で踏み込みコマリが落としたスカートを再びコマリに着せるランセ。

 その速度たるや、ランセが得意とする霞の構えから放つ渾身の刺突に匹敵するほどだった。


「――――――っっっっっカかお前!? 本当にやる奴がいるか!?」

「命令ではないのですか」

「そんな訳あるかバカ! なんなんだお前……!」


 コマリではなく、ランセの方が顔を真っ赤にしながら取り乱す。


「――あ」


 ふと、周囲を見回すランセ。そこには何人かの通行人がランセとコマリに注目していた。

 その中には男性も数人。注視の理由は――言うまでもない。


「~~~~――――っ!!」


 舌打ちしながら、ランセは周囲に殺気を放った。

 白刃を思わせる鋭い左眼が、「これ以上見たら全身の骨をコナゴナに打ち砕く」と見る者の本能に直接警告する。

 実戦において攻撃的な感情の発露をあまり良しとしていないランセではあったが、さすがにこの時は手段を選んでいられなかった。

 ランセの殺気に当てられ、二人を注目していた通行人が視線を外しながら一斉に散る。何事もなかったかのように。

 かなり強引とはいえ、なんとか事態を収束させたランセはいつもより長めの――明らかに疲れが混じった溜息を吐いた。


「……お前な。すこしはおかしいと思わなかったのか」

「なんでしょうか」

「命令する奴の意を汲むというか……自分の考えとかないのかお前は。機械じゃあるまいし」

「――――自分――――」


 この短時間で神経を消耗して顔に疲弊の色を浮かべるランセに対し、ポツリとうわごとのようにつぶやくコマリ。

 ――異変は、すぐに起きた。


「――――――」


 無言のまま、いきなりコマリの鼻孔から一筋の血が流れる。それに続いて口端から薄い黄色がかった液体――胃酸も漏れはじめた。

 誰が見ても瞭然りょうぜんたる尋常ではないコマリの変調に、ランセの思考も瞬時に混線する。


「なっ!? ぁ、う、うぅ……っ!」


 言葉をつまらせながらも、急ぎコマリの手を引いて通行人の邪魔にならないよう歩道の端へと移動するランセ。

 それから自分のスポーツバッグからポケットティッシュを取り出し、コマリの鼻血と胃酸をティッシュでゴシゴシとやや強くぬぐっていく。


「今度はなんだ……!? なにがどうしてこうなった……!?」


 困惑するランセとは正反対に、鼻血の跡を残したままコマリは静かに口を開いた。


「――自分とは、なんですか」

「……っ!?」


 コマリの言葉に、ランセの目が見開く。

 すくなくともこれだけは理解できた。


 ――遠見コマリには自意識が無い。


 信じがたいことだが、もはやランセにはそうとしか思えなかった。

 命令であれば完遂する――とは言うが、むしろそうすることしか知らないのではないだろうか。言い換えれば他人から命令されなければなにもできないのではないか。


『――コマリはお前が思っている以上に幼い』

(あのチビスケ……!)


 脳裏でアマネの言葉を思い出し、苦虫を噛みつぶしたような顔をするランセ。

 コマリは幼いどころか――


「……解った。もうなにも考えるな。お前はこのままオレに付いてきて買うものを買ったらまっすぐ家に帰れ。いいな?」

「命令ですか」

「――命令だ」

「承知しました」


 どこか根負けしたようにランセはコマリに命令を下した。

 コマリの在り方に納得がいかない点はある――が、それは今論じる時でも、追及すべき時でもない。

 コマリのことをよく知らない現状では、先程のような地雷をまた踏んでしまう可能性もある。

 であれば、今は割り切るしかない。

 近すぎず、されど遠すぎず――コマリの負担にならない距離と態度で接する。


(……アイツも、こんな感じだったのかな)


 ふと、マユナの顔を思い浮かべながら小さく一息つくランセ。気づけばコマリの鼻血や胃酸の逆流はもう治まっていた。

 それを確認したランセは胸中で「落ち着け」と自分に言い聞かせる。


(遠見は確かに変だけど……やること自体は単純だ。普通に買い物して普通に別れればそれで終わるんだ……)


 目的地のスーパーはもうすぐそこにある。気を取り直し、ランセは歩を進めた。

 もうこれ以上はなにも起こらない。

 そう思っていた。

 ほどなく、二人は『ビオス』の目の前にたどり着く。三車線の車道をはさんだ向こう側――後は横断歩道を渡るだけである。


「……念のため聞いておくけど、買い物が終わったらお前一人で帰れるんだろうな? こっちは帰りまで面倒を見る気はないぞ」

仔細しさいありません」

「……ならいいけどな……」


 二人で横断歩道の信号を待つ。

 正直ランセはコマリの言葉を信用できなかった。ここまで自意識がないとすると、仮に――極端ではあるが、コマリが変質者の目に止まったらどうなるのだろうか。

 ランセとしてはあまり考えたくはないが、考えざるを得ない。

 恐らくは、――脳内にかかるもやのような悪い予感に、ランセの気が重くなる。


 ――その時だった。


 ぎっ――と、ランセとコマリの目の前で一台の乗用車が車体を揺らしながら急停止する。

 停止したのは横断歩道の上。停止線を完全に無視している上に、そもそも横断歩道の信号はまだ赤のまま。

 後続の車も急停止する。幸いあまり速度を出していなかったことに加え車間距離も空いていたため追突はしなかったが、代わりに「早く行け」とばかりにクラクションを響かせた。


 ――ずっ


 ランセとコマリの目の前で停まった車が動き出す。


 ――ずず  ずっ  ずぎゅ  ぎゅり ぎゅ  り――


 タイヤがアスファルトを擦りながら、ゆっくりと――


「……は?」


 目を疑うランセ。それも無理はなかった。

 その動きは普通の乗用車では不可能にして不自然であった。

 超信地旋回ちょうしんちせんかい――旋回距離を取らずにその場で車体を旋回させることをそう呼ぶが、それは基本的に履帯を装備した戦車やスキッドステアローダーといった重機が可能とする動きである。

 例外として超信地旋回が可能な乗用車も存在するが、それは自衛隊の六輪戦闘車であったり海外で試作されたが商品化されていないものであったりと、すくなくとも一般には出回ってないものばかり。

 ランセは車に興味がなく詳しくもなかったが、その動きが乗用車にしてはあまりにも不自然であることはすぐさま理解できた。

 その場できっちり九〇度旋回する車。向いている方向はちょうど目の前にある『ビオス』――

 直感と悪寒が、ランセを突き動かした。


「おい――」


 今この車になにが起こっているのか、それを確認するべく運転席に近づくランセ。

 車に乗っていたのは中年の男性。スーツ姿で、仕事中なのか仕事帰りなのかは定かではない。

 ただ明らかに解ったことは、男性はひどくうろたえた様子で、




 ごひゅっっっっっ――――――




 次の瞬間、その車が吹き飛んだ。

 まるで風に飛ばされる枯葉のようにあっけなく。重量も感じさせないほど軽やかに。

 きれいな放物線を描き、車は『ビオス』の壁面上部に激突した。

 コンクリートの衝突音とガラスの破砕音と鉄の屈曲音がいびつに重なり盛大に響く。

 相応の速度で車が吹き飛んだのか、あるいは壁面の強度が高くなかったのか、車体の半分ほどが『ビオス』の壁に突き刺さった。


「――――」


 あまりに唐突で不可解な事態に絶句するランセ。

 ところが、異常はそれに留まらなかった。

 もう一台――先に吹き飛んだ車のちょうど後続車が、またもやその場で旋回する。

 今度は一瞬で。

 車が『ビオス』へ向かって動き出す。

 ざりざりとタイヤが削れる音から、

 にもかかわらず、誰もなすすべなく、あっけなく――車は『ビオス』へと吸い込まれるように衝突した。

 店舗の前に停められている自転車をなぎ倒し、外から店内の様子がわかるガラス壁を遠慮なく粉砕しながら。

 店舗内から誰かの悲鳴が上がり、その恐怖が波及するかのごとく周囲が騒然となるまで時間はかからなかった。

 スマートフォンを片手に野次馬が集まってくる。

 その人波の中で、ランセは茫と立ち尽くしていた。


 突如として平穏が砕け散る光景。

 理不尽にされるがままの無力感。


 その感傷きずを、その心痛いたみを、ランセはよく知っている。

 忘れたくても忘れられない呪いに似た記憶。

 だからこそ、ランセはそれを許せなかった。


「っ…………!」


 ぎりり、とねじれるような胃痛をこらえながら携帯電話を取り出すランセ。迷いなく『119』とキーを押す。


「――すいません……救急、です……」


 この場での消防への通報はランセが最速だった。

 外出中における携帯電話からの通報は通報者自身が現在地を把握できない/しづらい場合もすくなくないが、不幸中の幸いか事故が起こったのが商業施設であるなら消防庁にも伝えやすい。

 冷静に通報を終えて携帯電話をしまうランセ。その表情からは血の気が失せていた。

 今は、これぐらいの事しかできない。

 一般人であるランセが採れる手段としては立派な正解ではあるが、それでも――ランセの胸中は晴れない。


「刻様」

「……あ?」


 ふと、コマリが背後からランセに声をかける。ランセとともに異常を目の当たりにしたにもかかわらず、その面は無表情のまま。


「澄み切った殺意を感じます」


 コマリの視線は上――『ビオス』の屋上駐車場に向けられていた。

 その言葉が意味するところはただひとつ。


「まさか……居るのか?」

「動く様子はまだありません」


 ――この事態を引き起こした存在がすぐ近くに居る。


 にわかには信じがたいコマリの言葉だが、ランセはそれを事実として受け入れられた。

 コマリに自意識がないとすれば、その言動は感情や認知のバイアスがかかっていない純然たる事実となる。

 感じたことを感じたままに。遠見コマリは嘘や憶測を言えない人間ではないのか――これまでコマリと一緒に行動したランセは、そう直感した。


『……万が一、怪人や星人……もしくはそれらと比肩する脅威と交戦する事態に直面したら、コマリを犠牲にしてでも絶対に退避しろ』


 アマネの言葉がランセの脳裏で再生される。

『ビオス』に激突した二台の車は、本来の仕様を逸脱した不自然極まりない挙動をしていた。

 不自然とは、言い換えれば作為的であること。ヒトの手による現象。

 つまり怪人か星人かはさておき、今目の前で起こったことは明らかに事故ではない。である。


 問題は――こんな芸当ができる存在であるなら、それは確実にランセの手に負える相手ではない。


 その事実はランセ自身が一番理解していた。

 しかし――


「……遠見。命令だ。買い物は中止。先に帰れ」


 血の気が失せた顔のまま、ランセはコマリを見ずに言った。


「オレは……できる限り犯人に近づく。これ以上はお前を付き合わせる訳にはいかない」


 恐怖はある。

 だがそれと等しいほどの怒りもあった。

 ランセはこの理不尽を他人事として見過ごすことができなかった。

 それを行った元凶がまだこの場にいるならなおのこと――たとえ手に負えなくとも、情報は集めておく必要がある。


 今は無理でも、次で止めるために。


「承服できません」


 そんなランセの覚悟など知ったことかと言わんばかりに、間を置かず命令を拒否するコマリ。

 ランセの左眼とコマリの昏い瞳が互いを捉える。


「すでに『この身を犠牲にしてでも刻様を守れ』という首領の命令を受けており、またそれは刻様の命令より優先されます」

「……!」


 余計なことを……と目を閉じながら嘆息するランセ。

 命令であるならコマリは意地でも折れない。

 正確には、折れるということを知らない――これ以上言い含めるのは無理だとランセはすぐさま諦めた。


「……勝手にしろ」


 絶対にコマリが付いてくるならば深追いはできない。

 ならばせめて犯人の姿だけでも確認し、その後速やかに退避する――ほんの数秒で最低目標と妥協点を設定したランセはすぐに駆け出した。

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