暴風(2)

          ☆    †    ♪    ∞


             [同日]

   [午後三時五六分]

      [公立春日峰高校 一年一組教室]


「使いを頼みたい」

「……あ?」


 終業を迎え、教室の掃除も終えて帰り支度を始めていたランセに、アマネはいきなりかつごく端的に用件を口にした。


「今夜の夕食に必要な食材の調達をコマリに頼んであるのだが、コマリ一人では心配でな。お前にも同行してもらいたいのだ」

「断る」


 即答にして即断。露骨に嫌な顔をしながらアマネの要求を容赦なく切り捨てるランセ。


「小学生じゃあるまいし、そんなの遠見一人で充分だろ。オレはこれから帰って父さんと」

「――コマリはお前が思っている以上に幼い」


 静かに、しかしランセをさえぎるようにはっきりとアマネは言った。

 炎に似た紅い瞳の刺すような視線が、ランセに二の句を継がせない圧力を放つ。


「お前に頼まずとも、私が帯同し監督できるならそうしている。が……あいにく私はこれから所用のために宇宙へ行かなければならん。帰りは一九時以降になるし、その後わざわざコマリとともに食材の調達に向かうのもいささか面倒だ。よって、私が不在の間にそれを済ませておいてもらえると助かる。それに――」


 ふと、アマネはちらりとコマリを見やった。


「――お前がコマリを識るのにちょうどいい機会だと思ってな」

「……なんだそれ」


 微笑むアマネの意図がさっぱり読み取れない、というより読み取る気がないランセは怪訝そうに眉をひそめる。


「あのな。そんなことならオレより適任がいるだろ。部活もやってないヒマそうなゴリラが。そこに」

「はいはいはーい! ぶっちゃけお姉ちゃんうなるほどヒマだね! って誰がゴリラか!」

「お前しかいないだろ。黙ってろゴリラ」

「ウ、ウホ……」


 ランセの有無を言わさぬ鋭い眼光に気圧され、ゴリラのような顔になりながらたじろぐマユナ。その様はおおむねゴリラだった。


「……えーと、とにかくコマリンといっしょにおつかいに行けばいいんでしょ? それくらいお安い御用だけど」

「うーむ……確かに大した用事ではないが、私としてはランセの方が……お前は面倒見が良すぎるというか、コマリ相手でも上手くやれそうなのが面白味に――」


 アマネが言いかけたその時、マユナの上着から断続的に小さな振動音が鳴りはじめる。


「やや、ちょっとゴメンね。お姉ちゃんのスマホみたい…………ってユアナからだーーーーーーーーーっ!?」


 制服のポケットからスマートフォンを取り出して画面を見るなり、いきなり奇声に近い叫び声を上げるマユナ。すぐさま画面をスワイプして応答する。


「もしもしィ!? どしたのユアナ! ……うんうんだいじょぶだよ? …………あー! オッケーオッケーお姉ちゃんにまかせて! ……うん! すぐそっち行くから! 光の速さで! …………だいじょーぶだって! それじゃね! ユアナ愛してる! ホントすき!」


 なにやら後半は一方的にまくしたてながら極めて幸せそうな笑顔でマユナは通話を切った。

 誰となにを話していたのか解らず、アマネは小首をかしげる。


「……ユアナ?」

「ああ……こいつの妹だよ」

「我が家の天使でっす!」


 代わりに答えるランセの言葉を継ぎながら、マユナはでへー、と頬をゆるませる。

 その表情を見るに、妹を心底溺愛しているであろうことは誰の目から見ても明らかだった。


「ふむ……お前に妹がいたとは。そんなにかわいいのか?」

「かわいい! どれくらいかわいいかって言うとね! 自分にも他人にも厳しいランセちゃんが思わず優しくなっちゃうくらいかわいいよ!」

「……小学生相手に厳しくしてどうするんだ」


 アマネに問われて興奮を隠さないマユナとは対照的に、ランセは呆れ顔だった。

 が――ほんのわずか、その目に穏やかな光が灯る。


「でもまぁ……実際ユアナはかわいいよな。お前と違って大人しいし、それでいてお前と違ってしっかりしてるし、まだ小学生なのにお前と違って家庭的だし」

「でっすよねー! ランセちゃんワカッてるゥ!」

「ユアナを見習えって言ってるんだよゴリラ」

「………………め、面目ないウホ」


 再びランセに気圧され、ゴリラ顔になりながらしゅん……とあからさまに小さくなるマユナ。

 一方、アマネはどこか不機嫌そうに口を引き結んでいた。


「あれ? アマネちゃんどしたの?」

「……マユナ。そのユアナとやらに伝えておけ。いずれ――そう、遠くない未来……雌雄を決するとな」


 まだ見ぬ強敵へと向けた、あまりに唐突な宣戦布告。

「いきなりなんだコイツ」と言わんばかりに顔をしかめるランセに対し、マユナは数秒考え込んだ後――


「――受けて立つぞォォォォォォォっ!!」

「勝手に受けて立つな」


 当人でもないのになぜだか気勢を上げるマユナに、「コイツもコイツでなに言ってんだ」とばかりにランセはため息をつく。


「……それよりお前、ユアナと用事でもあるんじゃないのか」

「はぁぁぁそーだった! ごめんアマネちゃん! お姉ちゃんもこれからユアナといっしょに晩ごはんのお買い物に行ってきまっす!」


 ランセに言われてようやく用事を思い出したマユナは、アマネに向き直りながらばちーんと威勢よく合掌した。


「む……そうなのか?」

「ウチはねー、ユアナとパパはそうでもないんだけどお姉ちゃんとママがものっそい食べるから。お買い物の量も多くなっちゃうんだけどユアナ一人じゃ荷物を運べないのだよ」

「じゃあだいたいお前のせいだろ」


 しみじみ語るマユナに、ランセはサラリと刺さずにいられなかった。


「とゆーワケで! お姉ちゃんはユアナを助けに行かなければ! これにて御免っ!!」


 疾風のごとく駆け出すマユナ。騒々しいのがいなくなってようやく静かになったとランセは一息つくが、そこである事実に気づく。


(……遠見もいっしょに行けばよかったんじゃないのか?)


 時すでに遅し。ハッと顔を上げるランセだったが、アマネは当初の希望通りの展開になったことに微笑みながら、コマリは無表情のまま二人してランセを見つめる。

 獲物を追い詰めた獣のような構図だった。


「……なんだお前ら。オレは断るって言ったぞ」

「お前は目を背けているようだが、そもそもお前に拒否権などないのだ。偽脳環それがある限りな」


 ぴっ、とランセの首根を指差すアマネ。そこにあるのは銀の首輪――思念誘導式強制装置・偽脳環レギアス

 以前、ランセとアマネが立ち合った末にランセが敗北した際、アマネが服従の証としてランセに装着した物だった。

 一見すればなんの変哲も装飾もないシンプルな首輪だが、ひとたび装着すれば首輪から形成される極小機械の疑似神経素子が装着者の中枢神経と強制結合し、結果――外部からのあらゆる命令を認識/執行するようになってしまう洗脳受信機と化す。

 これを外すにはアマネが自分の意思で装着を解除するか、アマネの生命活動を停止させるかのどちらか。恐るべき異星技術の一つである。


「お前が強情を張るなら仕方ない。安易に偽脳環それを頼るのは私としても気が進まないが、ここは一つ警戒音を発するアルプスマーモットにでもなってもらおうか」

「なんだ……マーモットって……!」

「哺乳綱ネズミ目リス科マーモット属……平たく言ってしまえば、大きなリスだな。ずんぐりとした体格が中々かわいいぞ。私ほどではないが」

「ぐ……うう……!」


 ふふん、と鼻を鳴らしながら小さな胸を張るアマネに対し、マーモットという動物が今ひとつ理解できないままランセは歯噛みした。

 偽脳環レギアスを装着している以上、アマネが軽く指を鳴らすだけでランセは自我を失い傀儡となってしまう。

 ランセからすれば自我を失う、というのが極めて厄介だった。

 アマネの好き勝手にされるのは当然嫌だが、それ以上に自分がなにをしたのか解らないというのはランセにとって耐えがたい拷問と同義。

 特に、今は同級生の衆目もある。

 他の同級生が全員制服を着ている中において唯一ジャージ姿でいることにまったく抵抗がないランセでも、唐突にアルプスマーモットになってしまうという事態は別格。

 多分、というか間違いなく変な目で見られる――

 それだけは確信していた。


「………………行けばいいんだろ! 行けば!」

「うむ。やっと決めたか。ではコマリ、私が不在の間はランセに命令権を移譲する。ランセの言うことをちゃんと聞くのだぞ」


 自暴自棄気味に吐き捨てるランセに満足しながら、コマリの頭をなでるアマネ。まるで幼稚園に子供を送り出す母親のようだった。


「それと――いいかランセ」

「……なんだよ」

「多分無いとは思うが……万が一、怪人や星人……もしくはそれらと比肩する脅威と交戦する事態に直面したら、コマリを犠牲にしてでも絶対に退避しろ」


 一転して、アマネの視線が真剣のように鋭くなる。

 冗談ではない本気の言葉に、ランセは思わず一瞬だけ呼吸を忘れた。


「……本気か?」

「コマリには悪いが……優先順位はお前の方が上だ。お前になにかあった場合取り返しがつかないからな。ただの地球人であるお前が怪人や星人と戦うということはあまりにも危険なのだ」

「……言う割にこの前オレを怪人と戦わせたよな」

「それはお前とともに私が現場にいたからだ。私さえいれば最終的にはどうとでもできる。責任も取れる。だが……逆に私がいなければどうすることもできない。私の目が届かない場所で勝手に命を落とされるのは……


 言いながら、ランセから視線を外すアマネ。

 どこか――ランセに向けているのではなく、自分自身に言い聞かせているようだった。


「戦闘力はさておき、こと生存力にかけてはお前よりコマリの方がはるかに高い。だから……もしその時が来たら振り返るな」

「…………」


 アマネの言葉に、ランセはしばし押し黙った。

 理解はできる。それが安全で確実な道なのだと。

 しかし――それは果たして正しいのだろうか。


「……自分の身くらい、自分で守る」


 納得がいかないというランセの返答をある程度予想していたのか、アマネはしかたなさそうに目を閉じた。


「お前の手に負えるのならばそれでもいいがな……では、私もそろそろ行くぞ。二人とも、仲良くな」


 言って、スタスタとアマネは教室から出ていった。その小さな背を、一礼しながら見送るコマリ。

 そうして、コマリの昏い瞳がランセに向けられる。


「――よろしくお願いします」

「………………とっとと行くぞ」


 不機嫌であることをまったく隠さず、コマリと目を合わせないまま教室を出るランセ。そんなランセになにも思うところがないコマリは、影のようにその後へ続いた。

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