暴風

暴風(1)


[二〇××年 四月某日]

[午後三時四五分]

             [津雲市 セブンイレブン松柄三丁目店]


「………………九〇」

「……じゃあ俺は八九」


 コンビニの雑誌売場で、一冊の青年向け漫画雑誌を並んで立ち読みしている男子高校生が二人。制服は公立松柄まつえ高校のものだった。

 二人が見ているページは、外国人女性モデルの巻頭グラビア。

 白人特有のシミ一つない白肌に、均整の取れた骨格と肉付き。そこにたわわに実る、大きさと形の良さを奇跡的に兼ね備えた果実のような胸が目を引くセクシーなモデルだった。


「……よし。答え合わせだ」


 雑誌を手に持つ、背の高い少年がページをめくる。

 グラビアの最後のページ――そこに書かれたモデルのスリーサイズに二人の視線が注がれた。

 ――バスト八九センチ。

 背の高い少年は「あっちゃあ」といった風に顔をしかめ、もう一人の中肉中背の少年は小さく安堵の息を漏らした。


「おー……やるな伊森。お前のおっぱいスカウターマジ正確だわ。一センチの誤差の壁が分厚いったらねーよ……」

「いや……お前も惜しかったよ」


 そのまま青年向け漫画雑誌を手にレジへと向かい、背の高い少年は会計を済ませた。


「巨乳で美人な外人と付き合うにはどうすりゃいいんだろな」

「外国行ったほうがいいんじゃない?」

「マジかー。スピードラーニングの教材っていくらぐらいだっけ?」

「それより真面目に英語の授業を受けるべきだと思うけど」


 高校生らしい、取るに足りない会話をしながらコンビニを出る二人。


「じゃあな伊森」

「ああ。またな」


 あっさりと、二人は別れた。


 中肉中背の少年――伊森いもりクロウは、普通の高校生である。

 松柄高校二年生。どちらかといえば文系。成績は中の下。

 勉強ができるわけでも、運動ができるわけでもない。

 顔立ちも女子に注目されるほどではない。

 クラス内での友人は二人。完全に孤立もしていない。

 どこにでもいる高校生である。


 ここまでは。


 友人とコンビニで別れ、そこから歩いて10分ほど。

 住宅街の中にある七坪ほどの二階建て狭小住宅。表札には『矢内やない』――そこがクロウの住居だった。


「ただいま。叔母さん」

「あら、おかえりクロウ君」


 リビングでテレビを見ていた叔母――矢内ミノリに短い言葉をかけ、すぐに二階の自室へと向かうクロウ。


 ――そこに、異形が棲んでいた。


「ただいま。待たせちゃったね」

《          》


 甲高く、か細い信号/電子音に似た音を上げる異形。

 全長およそ三〇センチ。動物というよりは昆虫――もしくは人間の背骨と肋骨をそのまま抜き出したような三対六肢の骨組みしかない、見るからに脆そうな躯体。

 ところどころ穴が空いて完全に色褪せたボロ布をまとい、なんの力か平然と宙空に浮かんでいる。

 その異形は不気味で、奇怪で、どこか頼りない――地球外生命体。

 そしてそれは、すくなくともこの場ではクロウにしか認識できない存在だった。

 同居している叔母も、叔父も、周囲の人間も知らない。知ることができない。明かしていない。

 クロウが地球外生命体と共存していることと――


「――じゃあ、今日は誰を殺せばいい?」


 ――その無垢なる殺意を。


          ☆    †    ♪    ∞


                      [同日]

            [午後一時四分]

      [公立春日峰高校 一年一組教室]


 昼休み、一年一組の教室で二人の少女がにらみ合っていた。

 一人は乙海いつみマユナ――長い黒髪に、制服の上からでもわかるほどの一〇代少女とは思えない健康的かつ魅力的な体曲線。

 顔立ちも整っており、脳内が常に快晴なためかその明るすぎる笑顔は下手な芸人よりも他人を笑顔にする破壊力がある――のだが、今は愛嬌がある美貌も一子相伝の暗殺拳伝承者を彷彿ほうふつとさせる厳つい顔つきによって、割と台無しになっていた。

 それに対するは陽村ひむらアマネ――赤い髪と紅い瞳が人目を縛り付ける、文字通り地球人離れした異星からやって来た少女。

 見た目は完全に小学生だが、その外見にまったくそぐわない大人びた物腰とどこか王族のように尊大でありながら真摯に同級生の面倒を見れる繊細さもあわせ持つことから、つい最近担任の教師から投げやり気味にクラス委員長を任されたばかりであった。


 そんな二人が、にらみ合っていた。

 椅子に座った遠見とおみコマリ――アマネの侍従である、寡黙で無機物を連想させる少女――を挟んで。


 漫画のワンシーンなら擬音で『ゴゴゴゴゴ』だの『オオオオオ』だの入ってそうな――加えて『Majiで殺りあう5秒前』といった仮題が付いてもおかしくない、謎の緊迫感。

 先に動いたのは――マユナだった。


【先手】

【乙海マユナ 七段】


 暗殺拳伝承者の顔つきのまま、「ひゅうぅぅぅ……」と静かに息を吐きながらコマリの背後に立つマユナ。コマリの髪はポニーテールいつものかみがたではなく、すべて綺麗に下ろされていた。

 目を閉じて、マユナはゆっくりと謎の構えを取る。強烈な闘気を放出して相手の秘孔を突きそうな様相だが、マユナにそんな能力や技術は一切ない。


「あぁぁたたたたたたたたたたたたたたたたたほぅあたァァァ!!」


 ――開眼。奇声を上げながらマユナの両手が疾る。

 高速の両手はコマリの髪を伸ばし、捻り、編み、新たな髪型を創造していく。

 速度は高速でありながら精度は巧緻。一見乱暴に見えるが、作業自体は実に丁寧だった。

 当のコマリは微動だにせず、まるで置物――マユナのなすがまま。

 そして――


「――っっっハイできた三つ編みお嬢様ヘアかわいいいいいいい!!」


 ――およそ数十秒で、コマリはお嬢様と化した。

 後髪の両側面で三つ編みを作り、それを後頭部で一つにまとめるという清楚かつ気品を感じさせる髪型。

 一般にハーフアップという髪型――の、三つ編みを絡めた変則型。さながら貴族や令嬢を思わせる可憐な形から、クラウンハーフアップとも呼ばれる。

 髪型が変わったことによって受ける印象も変わったコマリと、マユナの異様な手際の良さを見ていた数人のクラスメイトから歓声が上がった。


「うむ……やるな。さすがは七段」

「……なんの段位だよ」


 感嘆しながらスマートフォンのような端末でコマリを撮影するアマネに対し、それをはたから見ていたきざみランセはぼそりとツッコんだ。

 クラスの中で唯一、体育の授業の有無にかかわらず常に体操服とジャージ姿。右目に巻かれた白い包帯と少年と見紛う鋭利で端正な顔立ちが特徴的な少女である。


「フフフ……次はアマネちゃんの番だよ」


 コマリの髪を丁寧にほどき、ブラシでとかしながら不敵に笑うマユナ。応じて、アマネも笑みを浮かべる。


「……いいだろう。全霊をもって迎え撃つ」


【後手】

【陽村アマネ 五級】


 コマリの背後に立つアマネ。

 そのまま、よじよじと別段大したことのない普通の手つきでコマリの髪を左側頭部あたりでひとくくりにする。


「――完成だ」

「え~~~…………?」


 ドヤ顔を決めるアマネに、マユナは困惑した。

 所要時間、わずか六秒。

 左のサイドテール――ポニーテールの変則型。

 マユナがセットしたクラウンハーフアップと比べると、ほとんど手間いらずの髪型である。


「これ……コマリンのポニーテールいつものやつからちょっと位置を変えただけじゃないのさ……」


 がっくりと肩を落とすマユナ。アマネがどんな髪型をセットするのかと思いきや、悪く言ってしまえば手抜き同然の型を繰り出してきたことに落胆を隠せなかった。

 しかし、


「む……なんだ、かわいくないのか?」

「ううん。かわいい」


 即答して、マユナはスマートフォンでコマリを撮影した。

 髪型のクオリティや手間はともかく結局は「かわいい」という結論への着地――ランセにはマユナとアマネがなにをやっているのかさっぱり理解できなかった。


「……お前らは一体なにをやってるんだ」

「え? どっちがコマリンをよりかわいくできるかだけど」

「なら、勝ったのはどっちだ」


 ランセに問われ、マユナはランセから背を向けながらアマネと肩を寄せた。そして、先ほど互いに撮影したコマリの写真を見せあう。


「……どっちもかわいいよね?」

「うむ」


 すんなりと意見が合致し、二人はランセへと向き直りながらがっしと肩を組んだ。


「「やさしいせかい」」

「お前らそれがやりたかっただけだろ」


 完全に茶番だった。

 ランセは嘆息しながら、いまだ微動だにしないコマリに目を向ける。


「……遠見。お前がちゃんと『やめろ』って言わないとこいつらは好き勝手やるぞ」

「――構いません」


 視線だけランセに向けて、短く答えるコマリ。


「敵意も殺意も感じないので」

「……判断基準が物騒すぎる」


 ――ランセにとって、コマリはよく解らない少女だった。

 まず自分から喋らない。表情も変えない。アマネの命令がなければなにもしない。

 今でもマユナとアマネがやりたい放題してるのに、当の本人はどこ吹く風のなすがまま。

 一切の光がない黒瞳は、はたしてどこを見ているのか。なにを想っているのか――


(……変なヤツ)

「――っっっハイできたツインテールかわいいいいいいい!!」

「うむ……やるな。さすがは七段」


 コマリから視線を外して小さくため息をつくランセ。一方、マユナはそんなランセを気にも留めず今度はアマネの髪型を変えてイメージチェンジ遊びに興じていた。

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