オマケシモ(1)


       ☆    †    ♪    ∞


          [二〇××年 四月某日]

  [午後三時三九分]

          [公立春日峰高校 生徒指導室]


「……バイトがあるんで手短に済ませてもらえます?」


 生徒指導室に入るなり、志島しじまミハルは冷淡に言い放った。

「面倒だから早くしろ」――そんな副音声も聞こえてきそうな温度。


「――すぐ済むよ。お前がマトモな判断をしてくれればね」


 ミハルのクラスの担任、芥葉あくたばシヅカは気だるげに返した。

 ミハルよりもことさら明確に面倒だと言わんばかりのやる気のなさ。


「……どういう意味ですか」

「言葉通りだよ。まぁ……座りな」


 シヅカの言葉になにか引っかかるものを感じたのか目つきを鋭くするミハル。ミハルのにらむような視線をまったく気にも留めず、シヅカはミハルに指導室のソファに座るよううながした。

 テーブルをはさんで、ソファに腰掛けて対面する二人。

 冷たい視線と、生気のない視線が向き合う。


「バイトがあるって言ったよな。コレのことだろ?」


 言って、シヅカはややくたびれたスーツの内ポケットからL判の写真を取り出してテーブルの上に無造作に投げた。

 写真は全部で三枚。どれも似たような構図。

 場所は津雲市内の繁華街。

 身なりのいい中年男性と、それに寄りそう少女。

 男性の方はそれぞれの写真で別人だったが、少女は同一人物。


 ウィッグで髪の量と長さを増やしてはいたが、その写真に写っているのは紛れもなく――ミハルだった。


「――っ!?」


 ミハルの心臓が停止しかけて、整った顔立ちから急速に血の気が引いていく。


「えーと、この人が東和証券の執行役員で、この人は吉翔製薬の相談役。この人はオオタ自動車の常任監査役……結構な大物ばかりじゃないの。というかそろいもそろっていい歳だろうに女子高生大好きってむしろよく見つけてきたね。お前釣りの才能あるんじゃない?」


 皮肉を口にするシヅカだったが、表情は笑っていない。

 写真は全て援助交際の現場を収めたものだった。

 それだけでもミハルには充分な脅威だったが、それ以上にミハルが戦慄したのは写真を撮った手段――ではなく、写真を撮った時期である。

 三枚の写真のうち、二枚はごく最近――今月のもの。

 だが、うち一枚は先月のもの。


 ――ミハルがだった。


 ミハルの思考が混線して氾濫する。

 いつ、どこで、どうやってこの写真を撮ったのか。

 むしろこの写真はシヅカが撮ったものなのだろうか。そうでないとしたら誰の仕業なのか。

 自分が援助交際していることをどうやって知ったのか。いつから知っていたのか。

 他にもなにか知っているのだろうか。


 そもそも――芥葉シヅカとは何者なのか。


 ミハルの脳裏で疑問が山のように積み重なる。

 めまいを堪え、唇を震わせながらミハルはようやく口を開いた。


「………………なにが、目的なの?」

「話が早くて助かるよ。手短に済ませたいのはこっちも同じでね」


 嘆息しながら、ぎし、とソファに背を預けるシヅカ。

 完全に主導権を握ったにもかかわらず――態度は相変わらず、面倒くさそうだった。


「俺からの要求は三つ。一つは……田沼を強請ゆするのはもうやめろ」

「……!」

「……強請りに関しては田沼と乙海に言われるまで知らなかったし、知りたくもなかったけどな……でもお前がそうする可能性があるのはお前の家の事情を考慮すれば納得できるし、援交の件もふくめて遅かれ早かれこうして釘を打つつもりだったよ。それが今になっただけだ」


 ミハルは忌々しげにシヅカから視線をそらした。

 家の事情――ということは、自分の家庭が今どうなっているかもシヅカは知っているということになる。

 それはミハルにとって、もはやシヅカに心臓をつかまれていると同義だった。


「もう一つは……援交もやめろ。金が必要なのは解るけどな、援交はお前が思ってる以上にリスクだらけだし、前に俺が受け持ってた生徒も援交が原因で命に関わるトラブルに巻き込まれかけたし、お前もそうなる可能性があるってだけで正直面倒だ。代わりに稼ぎは落ちるけどもう少しマトモなバイトを紹介してやるからそれで我慢しろ」

「え……?」

「ちなみに田沼もリフレは辞めさせて別のバイトを紹介してある。それなりに好評だったよ」


 意外な言葉に、顔を上げるミハル。

 ただ援助交際をやめろというだけならともかく、シヅカが代わりの金策を提案するとは思っていなかった。


「最後は――」


 言いながら、ずい、とシヅカはソファから背を離した。


「――この学校を卒業するまでの三年間、おとなしくしてろ」


 澱のような暗闇に満ちた瞳が、ミハルを捉える。

 細い蜘蛛の糸でゆっくりと全身を引きちぎるかのごとき静かな威圧。

 その威圧いとが首を絞めたか、ミハルは言葉を失った。


「おとなしく学校に来て、勉強して、部活するなり友達と遊ぶなりして、家に帰る――ごく普通のサイクルを普通にこなすのであれば、俺もこれ以上お前には干渉しないよ。ぶっちゃけ面倒だし」


 ぎし、と再びソファに背を預けながら嘆息するシヅカ。

 ミハルを絞めつけていた威圧いとをあっさりと解き、ミハルも小さく息を吐く。ほんの数秒間ではあるが、呼吸をも忘れていた。


「でもな……俺に余計な面倒をかけるなら、この程度じゃ済まない。いいな? 解れ」

「……それって、脅迫ですか」

だよ。というか、田沼を強請ってたお前に言われたくないね」


 ミハルの言葉にもまったく悪びれず、シヅカは間髪入れず返した。

 はたから見ればほとんど脅迫で間違ってないが、ミハルにはそれ以上なにも言い返せなかった。


「……解りました。先生の要求を呑みます。これで……いいですか?」

「その言葉がウソじゃなければいいけどな。解ったなら話は終わり。もう行っていいよ」


 顔に血の気が戻らないまま、力なく腰を上げて生徒指導室から出ようとするミハル。


「あー……そうだ。お前を援助してたおじさん方には俺が話付けておいたから、お前が断りを入れる必要はないよ」

「…………」


 その背に追い打ちのような言葉をかけるシヅカに対し、ミハルは一瞥いちべつしただけでなにも言わず生徒指導室を後にした。

 深く、静かにため息をつくミハル。

 シヅカの目の前で混乱しなかったのは、冷静――というより諦観から思考停止しかけていたせいだった。


 ――芥葉シヅカ。


 ミハルにとって、最初はやる気のないくたびれた教師――そう思っていたが、

 すくなくとも善人ではない。こちらの弱みを正確に調べ上げ、そこを初手から突いてくる容赦のなさは教師というよりヤクザかマフィアのやり口である。

 かといって悪人でもない。スミだけではなく自分にも稼ぎ口を紹介しようとしたり、おとなしくさえしていればそれ以上の干渉はしないというのも嘘ではないだろうと、なぜだか信じられた。

 未だ混線が続く脳裏で、ミハルは捨て鉢気味に一つの結論を出した。


(……マトモじゃないわ)


 今までに見たことがない『大人』の怖さをその身で思い知りながら、おもむろにスマートフォンを取り出すミハル。

 電話帳に登録してある援助交際の相手の連絡先。それをくずかごにゴミを放るように淡々と消去していく。

 その行為に、なぜか――すこしだけ肩が軽くなったような気がした。



                     [オマケシモ(1):終]

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る