つるぎとくれない(5)

   [およそ一〇分後]

                [津雲市 山野井駅高架下]


《いやあの、ホント、すいませんでした》


 地面に正座したまま、心底申し訳なさそうに怪人は陳謝した。


「……フツーに喋れたんですね」

《あ、いや、アレはその、雰囲気出そうと思って。ホントすいませんでした》


 とろんとした生温かい目を怪人に向けるマユナに対し、再び陳謝する怪人。加工されたような肉声はそのままだが、口調はいたって普通の――むしろ普通よりかは気弱そうな、若い男のようだった。


「……学校で事情を聴取した時点で引っかかってはいたのだ」


 目を閉じたまま、アマネは静かに言った。


「――なぜお前だけが怪人の被害に遭っていなかったか、な」

「…………」


 半眼の視線をスミに突き刺すアマネ。スミは怪人に寄り添いながら、目を伏せていた。


「……スーミン。できればここで……全部話してほしいな」


 スミと目線の高さを合わせながら、優しく先をうながすマユナ。

 数秒の沈黙のあと、スミは重々しく口を開いた。


「――わたし、志島さんに脅されてたの」


 スミの告白に、表情を曇らせるマユナ。

 悪い予感が当たってしまった――と顔に書いてあるようだった。


「あー……どーりで……」

「……お前、なにか知ってたのか?」

「んーにゃ。そーゆーワケじゃないけどさ……ただお姉ちゃんには――」


 ランセに答えながら、脳裏で学校でのことを再生するマユナ。


『あっ、ついでにお姉ちゃんビミョーに気になってたんだけど、ミハルちゃんとスーミンっていっしょに遊んだりするんだね。付き合い長いの?』

『……長いってほどでもないけど、中学で知り合って……それからよ。ね、スミ』

『え? ぁ、う、うん……』


「――ミハルちゃんとスーミンが仲良さそうには見えなかったんだよね」

「……そうか」


 残念そうにつぶやくマユナに、ランセはそれ以上なにも言わなかった。


「……で、なんで脅されてたの? もし言いたくないならムリして言わなくても――」

「……バイト、してるの」


 マユナをさえぎるように、スミは目を伏せたまま言った。

 唇は震えていたが、なけなしの勇気を振り絞っているように。


「バイトって……ウチの学校は禁止されてないだろ。それくらい――」

「――まさか」


 怪訝そうに顔をしかめるランセより先に、ある答えに行きつくマユナ。


「…………………………………………リフレ」

「あー…………」


 顔を赤くしながらポツリとつぶやくスミ。マユナも手で両目を覆った。

 スミとマユナの間でなんとも言えない微妙な空気が流れ始める中、ランセとアマネは二人そろって頭上に疑問符を浮かべる。


「なんだ、リフレって」

「うむ。私も知らん」


 リフレとはなにかを知らないのんきな二人に対し、ぎぎぎと首を軋ませながらマユナは顔を向けた。


「えーとね……おんなのこがおとこのひとにそいねしたり、マッサージとかしてあげるおしごとだよ」

「……ちょっと待て。成人ならともかく、田沼は……」

「ふむ。なにかと思えばただの違法ではないか」

「アマネちゃん言い方ァ! ってゆーかリフレは知らなかったのにその点はちゃんと知ってるんだね!?」


 口から出かけたランセの句を継ぎながらも、スミの前であるにもかかわらず「違法」とはっきり言ってのけてしまうアマネ。それをマユナは顔を青くしながら制止する。

 そんなマユナを見ながら「その前になんでお前はリフレなる仕事を知ってるのか」――とランセはツッコみたかったが、今この場においては関係のないことなので流すことにした。


「違法なのはわかってる……!」


 スミの目から涙の雫が散った。

 あわあわと平常心を失っていたマユナも、ピタリと押し黙ってスミへと向き直る。


「でも……お金が必要なの……! 家族のためにっ……どうしても……!」

《ああ……泣かないでスミちゃん……!》


 涙声になりながら震えるスミの肩を怪人が優しく抱きしめる。


「……読めたぞ。貴様、スミの客だな?」

《は、はい……》


 アマネの指摘に、怪人は遠慮がちにうなずいた。


《……ここ最近、スミちゃんの元気がなかったから事情を聞いてみたら……リフレでバイトしてることが同級生の子にバレて、強請ゆすられてるって……そんなの、酷いじゃないですか。俺、スミちゃんにはいつも元気もらってるし、なんとかしてあげたいって……》

「……なんか、ものすごくイヤな予感がするんだけど……それじゃ、もしかしてあなたはスーミンのために……?」


 地雷原を進むかのように、恐る恐る怪人にたずねるマユナ。


《……はい。その、スミちゃんの同級生を懲らしめるために怪人になりました》

「あー…………」


「やっちまった」と言わんばかりに、マユナは天を仰いだ。


「……なるほどな。オレとの立ち合いでやる気を感じなかったのは、そもそもやる意味自体なかったからか」

《いやあの、またスミちゃんがイジめられてるのかと勘違いしちゃって……でも暴力はいけないし、ビビらせれば逃げてくれるかと思ったんですけど、でもその……あなた全然ビビらないし、逃げるどころかめっちゃ強いし、めっちゃ怖いし、なんかもう途中から引くに引けないというかヤケクソっぽくなっちゃって……ホントすいません……》


 うんざりといった風に肩を落とすランセに、言い訳するごとにどんどん小さくなっていく怪人。外見から受ける異形の恐怖と威圧感はすでに微塵もない。


「……一ついいか」


 小さく頬をかきながら、ランセは口を開いた。


「アンタ、もしかしなくてもバカだな?」

「ランセちゃん言い方ァ! ホントもうっ……ランセちゃんそーゆートコあるよね!」


 剣士としての性か、あるいは自身の持って生まれた性か――ランセの真剣じみた鋭い物言いに泣きそうになりながら、ランセの口をふさぐマユナ。

 ランセはそれを雑に払いのけながら言葉を続けた。


「田沼のためになにかしてやりたいって思うことは結構だ。だけどその程度じゃ根本的な解決にはならない。まず田沼に今の仕事を辞めさせて、警察か弁護士に相談すべきだ」

《……言葉もありません……》


 ランセの正論に、怪人は正座したままがくりとうなだれた。


「で、でも……今の仕事はお給料が良くて……」

「違法は違法だ。それ自体がお前の隙になるし、足かせにもなる。たとえ志島をなんとかしても別の奴につけ込まれたらどうする」

「は、はい……」


 ランセの正論に、スミは怪人に寄り添ったまましょんぼりとうなだれた。

 その切れ味はまさに真剣そのもの。瞬く間に二人を斬り捨てるランセ。

 口論においても容赦しないランセを「まぁまぁ」と軽く押しやりながら、マユナはスミに一歩だけ近づいた。


「スーミン……一度、シヅカちゃん先生に相談してみようよ」

「え……? 芥葉、先生に……?」

「うん……お姉ちゃんの目に狂いがなければ、シヅカちゃん先生はきっとデキる先生だと思うんだよね……多分相談したらしたですごいグチりそうだけど」

「……大丈夫なの……?」

「……大丈夫だろ」


 不安そうに眉を寄せるスミだったが、意外にもマユナの提案をランセは支持した。


「こいつは基本的にバカだけど、人を見る目はある。とにかく……警察にしろ弁護士にしろ先生にしろ、頼れるものを頼れ。お前一人でどうにもならないならそうするしかない」

《あの……俺は……》

「……アンタはやり方を間違えただけだ。また別の形で……犯罪にならない範囲で田沼を支えてやればいいだろ」

《……!》


 怪人の六つ目が大きく開く。

 暗闇の中で一つの光明を見つけたかのように。


《ス、スミちゃん……俺……ノリと勢いでこんなんなっちゃったけど……その、またスミちゃんの力になってもいいかな……俺、頑張るからさ……》

「秋野さん……ありがとう……ございます……」


 スミと怪人――秋野という名前らしい――が見つめあう。

 その様を見て、マユナは安堵のため息をついた。


「一件落着……じゃないけど、とりあえずこれで一段落かな」

「徒労だった」


 たった一言で今回の出来事に結論するランセ。その表情には不満の色しかない。

 だが、そのランセを見るマユナの顔は明るい。


「……なんだよ」

「ランセちゃんはなんだかんだやさしい」

「……黙ってろゴリラ」


 にぱ、と明るく微笑むマユナに対し、ランセは視線を外した。


「うむ……もういいか? こちらの目的を果たしたいのだが」


 そんな中、あくびを噛みながらアマネが切り出す。

 ようやく落着の目が見えてきたこの件に関して、まるで関心がないという様相。


「……アマネちゃん? 目的って……その、だいたい済んだんじゃないの? とりあえずこの人……秋野さんだっけ? 思ったより悪い人じゃないみたいだし……ミハルちゃんの下着の件は、警察に行かないまでも示談でなんとか――」

「――スミが脅迫されてるだの、その怪人の善悪だのは私には関係ない」


 ぴしゃりと、アマネはマユナの言葉をさえぎった。


「問題は――


 アマネが冷たく告げた瞬間、いつの間にか秋野の背後に回っていたコマリが秋野の左腕を関節の可動範囲外に締め上げ、組み伏せる。

 あまりに無駄のない、機械的な制圧だった。


《げぅッ!?》

「秋野さん!?」


 潰れたカエルのような悲鳴を上げる秋野に、声を上げるスミ。


「ちょっとコマリン……! ア、アマネちゃん!? 別にもう乱暴する必要は……!」

「怪人が居る――ということはな、その者を怪人へと改造した星人がこの街のどこかに潜んでいるという証左だ」


 説明を求めようとするマユナを気にも留めず、アマネはコマリに組み伏せられた秋野に歩み寄った。

 紅い瞳が、秋野を冷たく見下ろす。


「一つ聞くぞ。貴様……一体いつ、どこで、誰に、どのようにして改造された?」

《え……? あ、えーと、その……》


 アマネの問いに、秋野は数秒考え込んだ。

 しかし――


《……あれ? どう、したんだっけ……?》


 その答えは出なかった。

 虚偽ではなく、本心からの困惑が秋野の脳裏を埋め尽くす。

 アマネは小さく嘆息した。


「やはり、改造に関する記憶が丸々消去されているか」

「……!」


 その事実に、マユナは息を呑んだ。

 証拠を残さない――ということは、それを行った存在には明確な悪意があるということ。

 そしてその悪意が身近に潜んでいるとすれば、次にその餌食になるのはマユナのもっと身近な人間になる可能性もゼロではない。

 マユナの背骨が、だんだんと熱を失っていく。


「――心配するな。ゆえに怪人は拘束、確保し、星間連盟で徹底的に解剖して犯人の痕跡を洗い出す」

「《……解剖?》」


 案ずるマユナを察してか得意げに微笑むアマネの言葉に、ランセと秋野は二人揃って引っかかった。


「生体改造技術にも様々な体系があってな、それさえ判別できれば星人の特定も――」

《あ、あのっ、すいませんちょっと待ってください》

「……解剖って言ったなチビスケ。それは……この人の命を保証した上での話だよな?」


 焦燥を声色ににじませる秋野。

 それを代弁するかのように、ランセは重い口調でアマネにたずねた。

 その問いに、アマネはきょとんと――外見相応の無邪気な顔で、


「――? なんだそれは。生かしておく理由などないぞ?」


 さも当然と言わんばかりに、アマネは秋野の未来を閉ざした。

 何気なく羽虫を潰すような気軽さで。


 ――刹那、ランセは木刀の一閃をアマネに放った。


 一切の躊躇がない縦一文字。常人相手であれば完全に虚を衝いた回避不能の一撃。

 それを、たった半歩ほどの後退で躱すアマネ。

 すかさずマユナはランセを抑えた。


「ま、待ってランセちゃん!」

「地球人の命なんて秤にかける必要すらない――それが星人おまえの判断か」

「地球人すべてという訳ではないが……なるほど、たとえ怪人でも人命は尊重する――それが地球人おまえの判断なのだな」


 ランセの刺すような言葉と、アマネの好奇に満ちた言葉が交差する。

 アマネはともかく、ランセはアマネを快く思ってはいない。

 その関係は言うなれば短すぎる導火線であり――なにかのはずみで着火すれば即座にこうなってしまう。

 単なる短気、ではない。

 譲れないものがあればこそ。

 いきなり斬りかかってきたこともふくめて、面白い奴だ――と、アマネは笑った。


「アマネちゃん……生かしておく理由がないって……どういうこと?」


 憂いを帯びた目をアマネに向けるマユナ。

 アマネの発言をあまり信じたくないといった、哀色の目。


「うむ……怪人への改造は不可逆でな。一度改造されたらもう元には戻らん。以上を踏まえた上で問うが――只人ただびとの道を外れた存在が、お前たちの社会に復帰できると思うか?」

「「……!」」

《あ……ッ》


 解りやすい言葉だった。

 それゆえに――ランセとマユナは鉄槌で殴られたような衝撃を受けた。

 秋野にいたってはアマネに言われるまで自分が犯した過ちの重大さに気づかなかった。


「まぁ……無理だろうな。そもそもお前たち地球人同士でさえ二〇〇〇年以上の時を経てなお満足に共存できてないのだ。仮に怪人をも受け入れられる社会ができたとして、それはいつになる? いつまで待てばいい? 私を始めとした星人観光客が最大限地球人に配慮しているのも、裏返せばお前たちの文明に


 笑みを浮かべたまま、よどみなく、なめらかに語るアマネ。

 ランセとマユナと秋野は、なにも言い返せない。

 スミだけは――なにか意を決したかのように唇を引き結んだ。


「付け加えて、星人の立場からすれば怪人を地球人社会に復帰させる訳にはいかなくてな。怪人は地球人からすれば歩く超技術の宝庫だ。その原理を現時点での地球人に解析、解明できるとは思えんが……万が一、それを可能とする異才がこの時代に存在するなら……その接触は地球史における文明転換点になりかねん。お前たちの社会は一変するだろう」


 言いながら、アマネはランセとマユナに詰め寄った。


「社会復帰できなければそれを許すこともない。その命に行場があるとすれば――この街に潜む悪への道を指し示すことだけだ」


 冷徹なまでの合理。分厚い氷壁のような主張。

 それを打ち破るには、ランセとマユナはまだ――幼い。


「――言っておくがな、責めている訳ではないぞ?」

「え……?」


 打ちのめされかけたランセとマユナを眺めるアマネの表情は、柔らかなものだった。

 意外な言葉に、思わず顔を上げるマユナ。


「私は私の主義が間違っているとは思わん――が、もしお前たちが私の主義を覆せるなら、私はそれを見てみたい」

「……っ」


 アマネの瞳が、ランセを見据えた。

 アマネの行動方針は基本、現実的かつ合理的な判断に基づく。

 が、その根底にあるのは、時に現実と合理を上回る旺盛な好奇心。

 ならばこれは責めているのではなく――のだと、ようやくランセとマユナは理解した。

 だがそこまで解った所で、二人にアマネの主張を覆す材料はない。

 怪人が元の姿に戻れないのであれば、本当にどうしようもないのだ。

 仮に生かしておいても、怪人の存在そのものが技術の粋であればそれを欲する者たちから命を狙われるという展開もありえる。

 アマネの言う通り、怪人である以上人間社会に居場所はない。

 社会から離れ世を捨てたとしても、それは恐らく時間稼ぎにしかならない。

 思考が氾濫しつつあるランセとマユナ。

 その一方で――スミが口を開いた。


「生きる理由なら――あります」

「……む」

「スーミン……?」


 コマリ以外の視線が、一斉にスミへと注がれた。

 スミは秋野を組み伏せたままのコマリに目をやる。


「コマリちゃん……秋野さんを離して。逃げないから……」

「…………」

「うむ……いったん離してやれ。コマリ」


 アマネに言われ、コマリは無言であっさりと秋野の拘束を解く。

 コマリに締め上げられていた左腕をかばいながら、ようやく秋野は上体を起こした。


《あー痛かった……ス、スミちゃん……?》

「秋野さん――」


 スミの両手が、秋野の頭に伸びる。




「――――――――好きです」

《え》




 言って、スミの唇が秋野の口――正確には牙――に触れる。


 紛れもない、キスだった。


「「「――――――――――」」」


 ランセとマユナ、そればかりかアマネでさえも驚愕し、目を丸くする。


《――――――――》


 当の秋野も、突然のスミのキスによって完全に忘我した。

 コマリだけが無表情を崩さなかった。キスの意味を理解していないがゆえに。

 時間にしてたった二秒ほど。ゆっくりと秋野の牙から唇を離すスミ。

 頬は紅潮していたが、その目に迷いはなかった。


「……元の姿に戻れなくても……社会に居場所がなくても……わたしは、秋野さんと離れたくない」


 それはもはや理屈ですらない、感情を叩きつけるだけの主張だった。

 現実的に、合理的に判断すればなにも解決していない。

 だが、その主張はあまりにも力強かった。


「スーミンつよい……」

「……つよいな」


 なかば茫然自失となりながらつぶやくマユナとランセ。マユナはさておき、ランセにとっても充分な衝撃であった。


「……………………くはっ」


 ダムが決壊したかのように、吹き出すアマネ。

 そして、


「――っはははははは! なるほどな……! そう来たか……!」


 大笑した。

 少女、というよりは大男のような豪快な笑い。


「まさかお前がそんな大胆な手を打ってくるとは思わなかった。しかも本気とはな……」

「……お願い。陽村さん」


 まっすぐにアマネの目を見て切願するスミ。

 満足げに、アマネはうなずいた。


「――いいだろう。私もこのまま強引に二人の仲を裂くという空気の読めない悪者になりたくはない。秋野といったか。解剖には協力してもらうが……スミに免じて、


 力任せの主張に対する、力任せの報酬。

 それはまさに現実と合理を凌駕する、好奇心からくるものだった。


「……んん?」


 アマネの言葉のある部分に、首をかしげるマユナ。


「ちょっと待ってアマネちゃん……怪人になったら人間には戻れないって……」

「嘘は言ってない。怪人と化した肉体を元に戻すことはできない――が、改造の影響が薄い遺伝子や細胞片さえ残っていれば、改造前の肉体に近い新たな肉体を用意することはできる」

「……とゆーことは……」


 マユナはほんの数瞬思案にふけり、


「――も~~~~~~~アマネちゃんのイジワルぅぅぅぅぅっ!!」


 泣きながら、思いきりアマネに抱きついた。


「よかったねスミちゃん! 人間に戻してくれるって!」

「う、うん……! 秋野さん……!」


 マユナにつられて安堵の涙を流すスミ。秋野に呼びかけながら、その肩を揺する。


《――――――――――――――あ? え? なに? ごめん今ちょっと意識が死んでたから聞いてなかった》


 スミのキスからようやく蘇生した秋野は、本当に状況がつかめていなかった。

 今度こそ本当に事態が収束したと見て、大きく息を吐くランセ。


「おい、チビスケ」

「む……なんだ」


 マユナに抱きつかれたままのアマネに、ランセは静かに声をかけた。


「お前の頭、いずれカチ割ってやる」

「やれるものならな」


 刃のような目を向けるランセに、余裕たっぷりに微笑むアマネ。

 主従関係というにはあまりに遠い――対極に位置するような二人だった。


《――ええええええええええ!? お、俺ッ、人間に戻れるのォ!?》


 スミから事情を聞いて、大分遅れて驚愕の声を上げる秋野。

 なんとも間の抜けたありさまに、アマネは嘆息した。


「……今回限りの特別な措置だからな。直截ちょくさいに言わせてもらうが、怪人のために改造前の肉体を再現した新しい素体をいちいち用意するなど……資産がいくらあっても足りん」

「あー……お金かかるんだ」


 なんとなく、異星人の超技術ならば新しい肉体もスナック感覚で用意できるのでは……と適当に想像していたマユナは意外といった風につぶやいた。


《……あのーすいません。一応、聞いておきたいんですけど……それって、おいくらかかるんですか?》


 おっかなびっくりと、挙手しながらアマネにたずねる秋野。

 ふむ、とアマネは顎に手をやって、


「日本円に換算すると……およそ二億円ほどだな」


 ――なんの悪意も遠慮もなく、秋野の脳天を粉砕する勢いで現実を叩きつけた。


《…………――――》


 一瞬で真っ白な灰のように全身から血色を失い、卒倒する秋野。


「あ、秋野さん!? しっかりしてください……!」


 涙目になりながら呼びかけるスミの声も届かないほどの死相だった。


「……? なぜ死んだのだ?」

「……お前のせいだろ」


 秋野が卒倒した理由がよく解らず頭上に疑問符を浮かべるアマネに対し、ランセはうんざりしながら吐き捨てた。



                     [つるぎとくれない:終]

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