つるぎとくれない(4)

        ☆    †    ♪    ∞


               [同日]

       [午後一〇時一二分]

               [津雲市 山野井駅高架下]


「で、ミハルちゃんとスーミンが怪人とバッタリ会ったのがココ?」

「う、うん……」


 先日ミハルとスミが怪人と遭遇したという高架下――そこにマユナとスミは来ていた。


「んー……たしかに人気もないし、危ない場所だよねぇ。ココ」

「……ねぇ、あの……マユナ、ちゃん……」


 周囲を見回すマユナに、おずおずと声をかけるスミ。


「も、もし怪人を見つけたら……ホントに退治、するの?」

「ん? まー……とりあえずほっとけないでしょ。どう対処するのかはアマネちゃんとランセちゃんにおまかせしちゃうけど」

「……マユナちゃんは、怖く、ないの?」

「そりゃまー……怖くない、ワケじゃないよ。この件はアマネちゃんに『来るな』って言われたけど……でもお姉ちゃんの知らないトコロで身近な人が怪人とか、悪い人になにかひどいことをされる方が怖いよ」


 スミの目をまっすぐに見据えながら、マユナは問いに答えた。


「だから……お姉ちゃんになにかできることがあるなら、それをしたいな、ってね」


 照れくさそうに微笑むマユナ。表情はくだけていたが、その言葉には静かな決意が込められていた。

 なぜこの時間、この場所にマユナがいるのか――それは自ら囮を買って出たからである。

 犯人とされる怪人の目的はまだ明確ではないものの、仮にそれが『女子高生』の『下着』であるとするなら、先日の犯行と同じ時間、同じ場所であればあるいは犯人を釣れるのでは……とマユナは考えた。

 では誰を囮にするか。

 アマネとコマリでは幼すぎる。ランセはことから恐らく犯人も襲いづらい――消去法の結果、マユナは自分が囮になることを決めた。

 アマネはその提案に反対したが、最後はマユナの決意を尊重する形で折れたのだった。


「それより、スーミンの方がわざわざ来ることなかったんじゃない? この場所まで案内してくれたのは楽だったけど……それなら場所だけ教えてくれればよかったのに」

「あ……あの、わたしも、ほっとけない、というか……」

「――待って」


 口ごもるスミをいきなり手で制するマユナ。

 微弱な電流に似た直感がマユナの脊髄を走る。

 表通りの喧騒も、街灯の光も遠いこの高架下の静寂において、ほんのかすかに混じる雑音のような気配。

 表情を険しくしながら、マユナはゆっくりと視線を上に向けた。

 高さ三メートルはある高架。その線路下――光の届かない影に潜むように。


 人の形をしたなにかがへばりついていた。


「――っ!」


 息を呑みながらも、マユナはすぐさまスミの盾になった。

 ひゅとん――と、そのなにかはマユナとスミのすぐ近くに着地する。

 身長は一八〇センチ以上はあろうか、安物のジーンズに色あせたパーカーと、あまり金を使ってなさそうな服装。大柄な割に、着地音はやけに静かだった。


「……どちら様?」


 一歩二歩、静かにスミと一緒に後退しながらなにかに問うマユナ。


《――――  シタギ ――――  ヨコセ   ―――》


 肉声ならざる加工されたかのような声とともに、それは上着のフードを下ろした。

 現れたかおは――異形。

 深い緑に変色した硬質な肌。不規則に並んだ六つ目。歪に発達した牙。

 人の形をしながら、人の生態を外れたモノ。

 地球人類史に現れるはずのない、異星技術による改造生体。

 ――怪人。

 ミハルの下着を無慈悲にも奪い去った元凶が、マユナとスミの前に姿を現した。


(ホ、ホントにホントにホントにホントに怪人だー……)

「…………っ」


 こめかみのあたりに冷や汗を一筋流すマユナと言葉を失うスミ。

 意を決して、マユナは口を開いた。


「えーと、その……お姉ちゃんの今の下着は地味ーなスポーツブラと地味ーなボクサーショーツでして! ってもあんまりおいしくはないと思いますが!」


 この怪人とは会話/意思疎通の余地があるのか、それを確かめるための言葉。


《――――     ――――   ソレハソレデ》


 返答は、あまりにも残酷だった。


「……なんだろう、この絶望感は」

「マ、マユナちゃん……! どうするの……!?」


 渋い顔をしながら目頭を押さえるマユナに、スミは焦燥を隠せなかった。

 しかし、マユナはそれ以上動じない。


「――大丈夫。この展開は予想通りというか、むしろ期待通りだから」


 力強いサムズアップ。その目に灯るのは強い確信の火。

 ひゅ――と軽く息を吸い込んで、マユナは声を張り上げた。


「ランセちゃーーーーーーん!! カムヒアーーーーーー!!」

「――うるさいぞゴリラ」


 その時、怪人の数メートル後方。

 なにもない空間から凛とした声が響き――頭から爪先まで空間に直接プリントアウトされたかのようにランセとアマネが出現した。

 マユナとスミにはもはや魔法にしか見えなかった。


「おおー……! 隠れて待機してるとは聞いてたけどそんなトコにいたんだね! なんなのそれ? ステルス迷彩?」

「うむ。次元迷彩だ。地球製の光学迷彩とは比較にならんぞ。稼働時間はあまり長くないが使用者の存在次元をずらすことによってあらゆる環境でも完璧な――」

「自慢はあとにしろチビスケ。それより……初めてだな。怪人なんて」


 興奮するマユナに対しえっへんと小さな胸を張るアマネを押しやりながら、怪人へと歩み寄るランセ。その手にはすでに木刀袋から抜き放った木刀が一本。

 すでに姿勢と意識は臨戦。

 怪人と言葉を交わす気すらなかった。


《――――!》


 怪人である己にまったく臆することなく迫るランセと、なにもない空間からいきなり現れたアマネ。即座に、怪人は二人を未知の脅威と認めた。

 空気の壁を破る勢いで怪人の体が瞬発する。

 選択はこの場からの離脱/退避。いきなり逃げの一手を打った怪人に、ランセの反応も一瞬の後れを取る。

 だが、アマネは悠然とその名を呼んだ。


「――逃がすな。コマリ」


 瞬間、怪人の行く手を阻むかのように小さな黒い影が落下した。


「――――っ」


 落下してきたのはコマリ。そのまま怪人に右の回し蹴りを放つ。

 ずどんっっっ――と、コマリの白く細い脚からでは考えられない重音が鈍く響いた。


《――――!?》


 丸太か鉄骨でも直撃したかのような衝撃。それを腹部にもらった怪人は三メートルほど押し戻された。


「…………」

「コマリンカッコいい! ってゆーか今までどこにいたの? 高架の上?」


 無表情のままマユナとスミの側につくコマリ。マユナに頭をなでられてもなおそれは崩れなかった。

 前門のランセ。後門のコマリ。

 二人の少女にはさまれる形で、怪人の退路は完全に断たれた。


「……星間連盟の認可を受けてない非合法の改造生体は地球への文明干渉の危険性が高い。地球観光条約を遵守し、貴様の身柄を拘束させてもらう。おとなしく降参するならよし。抵抗するならば――このランセが貴様を叩き伏せる」

「オレ任せのくせに偉そうにするなチビスケ」


 堂々とランセを押し出すアマネに、ランセは心底面倒そうに吐き捨てた。


《――――……  ………………ゥ》


 怪人が上体をたわませる。


《ゥゥ――  ……――ウウウウゥゥウウゥウウゥゥウ――!!》


 獣の唸りとともに、怪人の筋肉と骨格が震えだす。


 めり、ぎぎ、めりりぎめりぎぎぎめりりりぎぎめりぎぎぎぎぎぎ――

 ――――――――――ず、ぎゅ。


 一回り膨れ上がった両の前腕の肉を突き破って出てきたのは、骨の刃。

 刃渡りおよそ五〇センチ、幅およそ六センチはあろうか、ノコギリ――もしくはカマキリの鎌のように粗い凹凸が並んだ刃列しれつ

 腕の中に元々収まっていたものではない。それは質量保存則を無視した怪成長。

 まさに怪人と呼ぶにふさわしい異容の凶器。


「……三分もあれば片付くか?」


 ふと、ランセに問うアマネ。ランセが勝つことをすでに確信した問い。

 ふん――と小さく鼻を鳴らしながらランセは怪人との間合いをさらに詰めた。


「一分も要らない」


 一足一刀。たった一歩踏み込めば木刀が当たるという近距離。

 そしてそれは相手も同様の斬撃圏内。

 ランセと怪人の視線が交錯する。


「オレはアンタに私怨も興味もないが、そのナリを見るにアンタを野放しにするのもイマイチ後味が悪い。そっちがやる気なら――」


 言って、木刀を正眼に構えるランセ。

 攻防一体。基本にして最強の構え。


「――加減はしないからな」


 木刀を構えた少女――常人にはそうとしか見えないし、そうとしか形容できない。

 ランセと対峙する怪人も同じだった。それ以上でもそれ以下もなく、ただ単に怪人にとってのランセは木刀を構えた少女に過ぎない。


 ――その時点で、勝敗は決した。


 アマネとマユナにとって今のランセはそんな風に見えてはいない。

 腕と一体化した抜き身の白刃。

 豹にも似たしなやかで強靭な足腰。

 未来をも見通す隻眼。

 それはまるで名刀と融合した二足の獣。

 今眼前にいる怪人よりも、はるかに洗練された武力を備えた怪物――

 アマネとマユナにはそう見えていた。


 ――刻ランセの剣才は本物である。


 アマネに敗れはしたが、それはアマネが次元違いの実力を有していただけの話。

 決してランセの弱さを証明するものではない。


《――    ―――――   ―――ッッッ!!》


 猿叫えんきょうのような甲高い叫び声を上げながら、怪人が仕掛ける。

 大上段から力任せに振り下ろされる骨の刃。


「――――」


 ランセの木刀が疾る。

 横一文字に放たれた、一切のブレも迷いもない美しい孤閃。


 ――音もなく、怪人の骨の刃は真っ二つになって吹き飛んだ。


 それはもはや骨刃と木刀の衝突、ではなくだった。


 剣術において肝要なのは、速度はやさ技術わざ


 速度はやさとは、動作の速度。並びに思考と決断の速度。

 技術わざとは、刀剣を操作し、刃を正確かつ最適な角度で刀線――対象物の構造上の急所となるもっとも切断しやすい箇所――に通す技術。

 速度と技術がなければ剣は剣として機能しない。仮に素人が日本刀を手にしても、それはただの刃物でしかない。

 しかし速度はやさ技術わざがあれば、剣は鉄をも断つ武器となりうる。

 そしてランセのそれは木刀の性能を真剣並に引き上げるほどであった。

 怪人の骨の刃における刀線を直感のみで瞬時に把握し、そこにではなくを通して木刀でもって骨の刃を両断する――果たして、これと同じ芸当ができる剣士が地球上に何人存在するのか。


 六つ目が驚愕によって見開く――と同時に、怪人はその顎も大きく開けた。

 ぼしゅ――と怪人の口から白煙が噴出する。

 ミハルを眠らせた睡眠ガス。

 一息でも吸えば神経機能が抑制され、一瞬で睡魔の餌食になる地球外物質。


 ――が、睡眠ガスを噴出したその直後にばくんっっっ、と怪人の顎が跳ね上がった。


 怪人の顎が大きく開いた時点でランセの全身は地を這いかねないほど深く沈み込み、低い姿勢のまま繰り出した突きが怪人の顎を跳ね上げていた。

 相手の一動作に対して回避と反撃の二動作を行う動作速度と、相手が未知の手を打ってきてもそれを「なんとなく危ないかも」という勘だけで躱しきる危険察知能力。

 すべて、六年の鍛錬で培ったもの。


 普通の少女として穏やかに生きる道を捨て去って得たもの。


(……中々に、興味深い)


 怪人を圧倒するランセを見ながら、アマネは小さく感嘆の息をもらした。

 アマネの目から見てもランセの剣才が本物であることは疑いようがない。

 まだ年若いにもかかわらず、その卓越した速度はやさ技術わざを得るのにどれだけ血肉を削り捧げてきたかもしかと見て取れる。

 だが、そこでアマネには一つの疑問があった。


 ――なぜ、そこまでして強くなったのか。


 剣才は確かにある――が、それは別にもっと時間をかけてゆっくりと練磨してもいいはずである。

 しかしランセの強さは、時間以外の代償を払いすぎている。ランセの右目に巻かれた包帯もその代償の一つであろうことはアマネにも容易に想像できた。

 ついでに――もし自分がランセに「どうしてそこまで強くなったのか」と聞いても絶対に答えは返ってこないこともあっさり想像できて、わずかに口端をゆるめるアマネであった。


《~~~~~~~~~ッ!?》


 顎に刺突が直撃し、牙を二、三本へし折られてたたらを踏む怪人。

 全身を深く沈めたまま、ランセは木刀を構える。

 ――霞の構え。

 渾身の一撃を叩き込むための、ランセにとっての必殺型。

 通常であれば直立した状態で取る構えだが、全身を沈めたままでのその構えは獲物を仕留める直前の肉食獣にも似ていた。


 そして――ランセは弾丸と化した。


 全身のバネから生み出した推力はやさと、

 体重と命と覚悟をふくめた重量おもさを、

 余すことなく木刀の切っ先ただ一点に乗せた刺突。


 ――――――――っっっっっぎゅ、


 それは怪人の胸、真芯に突き入り、


 ぼっっっっっ――――――――


 大気を巻き込みながら、怪人の全身を突き飛ばした。

 暴風のような一撃。

 飛距離は五、六メートルほどか。なすすべなく高架の柱に叩きつけられた怪人はそのまま糸が切れた人形のようにぐったりと沈黙した。


「…………っ」


 深く息を吐きながら、ゆっくりと構えを解くランセ。

 受けた傷は木刀もふくめて皆無。完勝であった。


「ランセちゃんカッコいい!」

「黙ってろゴリラ。それにしても、アンタ――」


 勝利を祝福するマユナを雑に制しながら、ランセは怪人に歩み寄った。

 もう警戒はしていない。

 それは決着が付いたからではなく――


「――やる気あるのか?」


 ランセは、疑問を口にした。

 侮蔑ではない。実際に戦闘したランセだからこそ得られた確信。


 この怪人からは、殺意を感じなかった。


「――もうやめて!」


 突如、沈黙した怪人に覆いかぶさるようにスミがその身を投げだした。

 その目に涙を浮かべながら、


「……………………は?」


 まったく予想し得なかった展開に、ランセは思わず首をかしげた。

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