つるぎとくれない(3)

        ☆    †    ♪    ∞


                     [二〇××年 四月某日]

                      [午後一〇時二三分]

                   [津雲市 山野井駅高架下]


「――いいから、とっとと出しなよ」

「……っ」


 街灯の光もあまり届かない、薄暗い高架下。

 そこに二人の少女がいた。

 かたや流行りの服に身を包み、ほどよい薄化粧で美貌を整えた小奇麗な少女と、もう一人は対照的に地味な服装に化粧もしていない、素朴な少女だった

 小奇麗な少女に詰め寄られた素朴な少女は、ためらいがちにハンドバッグから封筒を取り出した。

 すかさず、小奇麗な少女がその封筒を奪い取る。


「……あのっ……お願い、だから……それで最後にして……」


 震える声で素朴な少女は懇願した。その目は伏せられていて、小奇麗な少女に目を合わせられない。


「なに言ってんの。アンタそんな事言える立場じゃないでしょ」


 小奇麗な少女が笑う。

 羽根をもがれてのたうつ鳥を、無様だと嘲るような――冷たい笑みだった。


「別に口止め料が出せないならそれでいいわよ? そしたら私の口が滑っちゃうだけだから。学校か警察、どっちがいい? 別にどっちでもいいわよね?」

「ぅ……っ……」


 それ以上、素朴な少女はなにも言い返すことができなかった。

 心臓をつかまれているような錯覚。できることは細い肩と薄い唇を震わせることだけ。

 その様を見て、小奇麗な少女は鼻先で小さく笑った


「それじゃ、私行くから。これからもお仕事頑張ってね」


 こいつにこれ以上はない――そう確信した小奇麗な少女は悠々ときびすを返し、


 どす――と、誰かとぶつかった。


「っ……ちょっと、なに――」


 小奇麗な少女が誰かを見上げる。

 ――男、のようだった。

 身長は一八〇センチ以上はあろうか、安物のジーンズに色あせたパーカーと、あまり金を使ってなさそうな服装。

 しかし、その目深にかぶられたフードの奥――


「――――――――――――ぁ」


 次の瞬間、小奇麗な少女が上げた悲鳴は、奇しくも同時に高架上を通過した電車の音によってかき消された。


                [翌日]

     [午前一二時五八分]

                   [公立春日峰高校 中庭]


「「――下着を盗られた?」」

「……恥ずかしいからわざわざ口に出して再確認しないでほしいんだけど」


 声をそろえるアマネとマユナに対し、志島しじまミハルはいまいましげにつぶやいた。

 午前の授業を終え、昼休みを迎えたばかりの中庭にちらほらと集まる生徒たち。その一角に六人の女子生徒がたむろしていた。

 ベンチに座っているマユナ。その膝の上にはアマネがぬいぐるみのように抱きしめられている。隣には木刀袋を抱えたままコンビニで買ったおにぎりを黙々と食べているランセ。コマリはベンチに座らず、マユナとアマネの側で直立不動のまま待命していた。

 その四人の前には志島ミハルと田沼スミ――二人とも一年一組の生徒である。

 二人はアマネに相談すべき一件があった。


「うーん……昨日の夜一〇時過ぎ、二人で遊んでたトコロに怪人が来て、ミハルちゃんはガスで眠らされて、スーミンは気絶して……その間にミハルちゃんは下着だけ盗られたと……アマネ警部、この場合における怪人の狙いとは一体……」

「ふむ……その真意はまだ計りかねるが、今はそれよりお前たちの身にそれ以上のことが本当に無かったかが気がかりだ。他の被害――怪我や精神汚染はなかったか?」


 ドラマに出てくるような刑事さながら、芝居がかった神妙な面持ちでなぜかアマネの髪をいじりながらたずねるマユナ。

 アマネはそれに応じながら、視線をミハルとスミへと向けた。


「盗られたのは……それだけ。あとはなにも怪我とかしてないし……まぁ、しいて言えばしばらく一人じゃ夜に出歩けなくなったくらい」


 アマネの問いに、とつとつと返すミハル。

 きれいに整ったセミロングの黒髪に、元より端正な顔立ちはナチュラルメイクでより美しく仕上がっている。

 おしゃれに気を遣える、今時のクールな女子高生――ではあるが、その涼しげな目は外見だけでなく内面の冷たさも表しているようだった。


「あ……わ、わたしはその、気絶した以外は、なんにも……」


 ミハルに続いて、スミは尻込みしながら答えた。

 ややほつれ気味の三つ編みに丸眼鏡。しゃれっ気はなく、よく言えば純朴、悪く言えば地味な風貌。ミハルと並ぶとなんとも対照的だった。


「うむ。念のため、あとで星間連盟所属の医術家を手配しよう。そこでお前たちは必ず検査を受けろ。検査自体は五分もかからんし、地球人体に悪影響もない」

「……ちょっと待って」

「む……検査費用の心配か? それなら私が持つから気にするな」

「そうじゃなくて……アンタ、疑わないのね。我ながら突拍子もない話なのに」

「わざわざ星人である私に相談を持ちかけてきたのだ。頼られたなら応えるまで」


 ミハルの言葉にアマネはほとんど間を置かず答えた。

 ここまでのミハルに偽りはないという確信が、その紅い眼に灯っていた。


「……こっちはできれば関わりたくなかったけどね。怪人にも、星人にも」

「……一ついいか?」


 嘆息しながらアマネから目を切ったミハルに、ランセが声をかける。


「その……怪人にせよ変質者にせよ、そんな被害に遭ったならこのチビスケじゃなくてまず警察に行くべきじゃないのか」

「……刻さんってそういうトコ、あるのね」

「ランセちゃんはそーゆートコあるねー……まーね、ランセちゃんのパパが警察官っていうのもあるんだろうけど」


 至極真っ当な意見を口にするランセだったが、ミハルとマユナの反応は微妙だった。

「……なんだよ。何が言いたい」

「ランセちゃんは間違ってないけど、実際それをやるにはちょーっとハードルがあるんじゃないの? ってコトだよ。仮にこの件で警察に行ったら多分聞かれるんじゃないかな……『盗られたのはどんな下着ですか?』ってさ」

「う……」

「いわゆるセカンドレイプ……に近いかな。直接下着が盗られたなんて、そのコトについて詳しく話さなきゃいけないとなると……ねぇ。しかもそれが表沙汰になったとしたらマスコミがなんて取り上げるやら。プライバシー保護とか最低限のハイリョがあればいいけど」


 マユナの返答に言葉をつまらせるランセ。ミハルはマユナに意外そうな目を向けた。

 マユナの口から性犯罪に関する専門用語が出てきた上に、それに関する危惧も認識しているとは毛ほども思っていなかったからである。


「アンタって頭いいの? それともバカなの?」

「えーと……ATMって『アトミックサンダーマウンテン』の略だよね?」

「……基本的にバカでいいわね」

「ああ。基本的にバカだ」


 いぶかしげにたずねるマユナに対し、ミハルとランセは辛辣だった。


「あっ、ついでにお姉ちゃんビミョーに気になってたんだけど、ミハルちゃんとスーミンっていっしょに遊んだりするんだね。付き合い長いの?」

「……長いってほどでもないけど、中学で知り合って……それからよ。ね、スミ」

「え? ぁ、う、うん……」


 ミハルに振られて、舌をもつれさせながら答えるスミ。


「あー、同中オナチューだったんだね。ちなみにお姉ちゃんとランセちゃんも同中だよ!」

「聞いてないわよ」

「お前との出会いをたまに後悔する時がある」

「ひどい」


 余計な情報を差し込んできたのが気に入らなかったのか、やはり辛辣なミハルとランセ。マユナはしょんぼりとうなだれた。


「とにかく――あんな怪人が野放しになってたんじゃ一人で外も歩けないわ。なんとかしてくれるんでしょ? あの時の言葉がウソじゃなければ」

「うむ。ランセに任せろ。その怪人は必ず退治させよう」


 冷めた目を向けるミハルに怯むことなくアマネは得意げに断言する。

 当のランセが一瞬呆けるほどの、あまりにも堂々とした人任せであった。


「――ちょっと待てチビスケ。ドヤ顔で勝手なことを言うな」

「お前に拒否権はない。その首輪がある限り――お前は私の剣だ」


 ぴっ、とランセを指差すアマネ。

 その指はランセの首根に光る純銀のような首輪――先日、ランセがアマネに敗北した際にかけられたモノ――に向けられていた。

 ランセの細い首に巻き付いた、なんの意匠もない円環。ランセはそれに手をやりながら顔をしかめた。


「コレがどうしたっていうんだ。っていうかコレ外せ」

「それは思念誘導式強制装置……『偽脳環レギアス』といってな。装着することによって極小機械で形成された疑似神経素子が装着者の中枢神経と強制的に結合し、装着者の意思に依らないもう一つの命令系統となる装置なのだ」

「……つまり?」

「お前は私の意のままになる」


 言って、アマネは薄い笑みを浮かべながらぱちんと指を鳴らす。

 瞬間――ランセの目から光が消えた。


「――――…………」


 すちゃ、と両手をそろえて地面に付ける、俗にいう「エジプト座り」の姿勢を取り――


「なーお」


 ――猫のように鳴いた。

 ように、というよりもはや猫だった。

 アマネとコマリを除いた全員が言葉を失う。


「思考と行動形態を。催眠などではなく生体電気信号による脳への直接強制――すくなくとも現段階での地球人が『偽脳環』に抵抗できる手段はない」


 ちょいちょい、とランセの喉を指先で軽くなでるアマネ。人の皮をかぶった猫と化したランセは「ふにーごろごろ」と気持ちよさそうに目を細める。

 ある意味では、地獄に似た光景だった。


「あああアマネちゃん! これはこれでかわいいけど! でもその、ランセちゃんのイメージがマッハで崩壊するからもうやめてあげて!」

「む、そうか? 他にも色々とできるが……まあいい」


 顔面蒼白になりながら訴えるマユナの意を汲んで、再び指を鳴らすアマネ。

 目に光が戻り、ランセは我に返った。


「――ん? あれ……オレは……なにをしてた……?」


 先ほどまでのことが記憶になく、やや放心しながら周囲を見回すランセ。


「……しらないほうがいいとおもう」


 なんともいえない微妙な顔をしながら、慰めるように言うマユナ。


「今の、動画に撮っておけばよかったわね」


 ミハルの冷めた目は相変わらず。


「…………」


 スミは無言でランセから目を背けていた。


「『偽脳環』を外す方法は二つ――私と勝負して敗北を認めさせるか、私の生命活動を停止させるか……好きな方を選べ。現時点のお前の力量ではどちらも不可能だがな」

「……なるほど。よくわかった」


 アマネの言葉に目を閉じながらうなずくランセ。そしておもむろに立ち上がりながら、常に持ち歩いている木刀袋からずるりと木刀を抜く。


「――今この場で、お前の息の根を断つ」


 憤怒と恥辱が入り混じった鬼の形相で、ランセは明確な殺意を口にした。

 自分が意識を失っていた数秒間――言葉にならない辱めを受けたのだと、周囲の反応から察してしまったがゆえに。


「退くぞコマリ!」

「承知しました」


 アマネに呼ばれ、すぐさまマユナからアマネをひょいと抱え上げるコマリ。そのまま脱兎のごとく中庭から走り去った。


「逃がすか……!」


 コマリとともに逃げたアマネを追い討つべく、ランセも全速であとを追いかける。

 そうして、その場にマユナとミハルとスミが取り残された。


「――本当に、大丈夫なんでしょうね?」


 念を押す、と同時に釘も刺すような圧を声に込めるミハル。

 マユナは「んー……」とひとしきり唸ってから、


「……トラストミー」


 苦し紛れの言い訳としては下の下である台詞をひねり出すことしかできなかった。

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