天涯の夜明 5

「このれいもの! 大バカ! 断りもなくなんてことをするのよ!」

 まぶたを開いたイーリエから真っ先に投げつけられたのは、盛大なとうだった。

「仕方ないだろ! 急いでたんだ!」

 たまびしていたアズナは、握っていた手を離し、負けじとすぐさま言い返す。あの場では、自分が担いで走るのが一番早いと考えたのだ。少女の歩幅に合わせていては、坂の途中にまだいるだろう。

「だからってねえっ」

 おそらくは羞恥にか、ほおを染めたイーリエがさらに彼へ吠えかける。

 と、地鳴りとともに強い揺れが辺りを襲った。足もとをすくわれた者たちから悲鳴があがる。いきなり始まった言い合いに目をまるくしていた者たちも、よろめきながらそれぞれになんとか踏みとどまった。

 あちらこちらで嫌な音がする。建物の崩れる音だ。見える範囲でも、いくつかは完全に潰れ、辺りにつちぼこりを舞わせている。

「わかってるだろ、この状況。オレに突っかかる方が大事なら、あんた本物のバカだぞ」

 他の者同様よろめきながらも踏みこたえたアズナは、羽ばたく神使タキアに抱かれてひとり浮く少女を、抗議を込めてにらみつける。

 ぐ、とイーリエがはなじろんだ。

「わかっているわよ。約束だもの、守るわ」

 少女神は自らを抱き上げたままのタキアへ、おろしなさい、と声をかける。

「人手もるわよ」

「ああ」

 地を踏みしめた少女へうなずくアズナに、続く細かな揺れに耐える者たちのうちから、ほお刺青いれずみの有る男――イビアスが、「おい」と声をあげた。

「お前が何をしようとしてるかが、オレたちにはさっぱりわからん。説明しろ」

 そうだった、と思い至る。これから行うことを、みなにも伝えなければ。

 まっすぐに彼の目を見た。

「ケルス全島が沈むのを止める」

「できるのか?」

 うなずく。

ぎんを使う」

「『水上のぎん』かい?」

 翼をたたんだタキアが、げんな顔で口を挟んだ。

「そいつは伝説上のものじゃ?」

 いや、と答えたのはイビアスだ。

「復元されたものがある、おくみやに」

 根の柱クシドレンシスつぎしろである彼も、どうやら存在を知っているようだ。話が早い。

 ゴッ、と地鳴りとともにまた足もとが揺れ、何かが崩れる音がする。揺れのおさまりを待って、アズナは続けた。

「イビアスとロゼニアは、おくみやへの案内を。タキアさんは日の柱オルメサイアしん使たちといっしょに、できるだけ多くの人の救出と誘導を。この場で治療が難しい人は、とりふねを使って皇都ケルスタニアへ運んで欲しい。先に行くオレたちで受け入れを準備しておくから」

「わかった」

 うなずいて赤毛のしん使がイーリエへう。

日の柱女神オルメサイア、ご許可を」

ケルスの最高神イティ・ケルスとして命じるわ。アズナの指示にしたがい、日の柱の眷属を連れてくにたみを守りなさい」

命令を受諾しましたヤー・トゥリ・イティ・ケルス

 はばたき、タキアは空へと舞い上がった。戦場に散らばる眷属たちへ、しんりょくに乗って伝達が飛ぶ。

「ロゼニア」

 イビアスがあかがねの髪のクスビを呼ぶ。

のクスビとクシの民に伝達だ。の権限で命じる。根のクスビのうちハステア、ネイジア、リグリアの三体はオレたちとこうへ。念のため連れていく。残りの四体とクシの民はタキアの指揮下に。日の眷属たちと協力しろと伝えろ」

命令を受諾しましたヤー・トゥリ・ラン・ケルス

 あかがね色の髪に結ばれたあおしんじゅが輝きだす。鈴のに似た高い音があたり一帯を覆い、ほどなくロゼニアと似た顔立ちのクスビが三体、闇を越え姿をあらわした。

「手を」と、ともにこうへ向かう者たちにアズナは呼びかける。

「全員オレに触れてくれ」

 七本の腕が彼へ伸びる。両腕に触れる彼らの手のひらを感じ、〈あしたばづえの神〉たる青年は、ひとつ深呼吸する。そして、

「――ぶ」

 時空を開き、自らの力を展開した。


     *


 何かが入りこむみょうな感覚と、次いで襲ってきた強いゆれに〈根の柱神クシドレンシス〉は目を開いた。〈エンシス〉の状態を確かめる。修復の度合いからすると、まださほど時間はたっていないはずだ。現況ノ確認ヲ。しんりょくの糸を伸ばし、うろふねの外を探る。〈冥ノ女神まなりあ〉ノ存在ガ消エテイル。〈エンシス〉の修復に入る直前の状況からすると、暴走シタまなりあノ多重コンカクハ〈日ノ柱おるめさいあ〉ト争ッタ可能性が高い。

 地がゆれる。うろふねがミシリとりし、破損した天井からこまかな砂と木屑のいりまじったものがパラパラと落ちてくる。この場所の状態は、あまり良くはないようだ。

 ゆれのおさまりとともにを伸ばし、さらに広範囲を調べる。クスビや兵たちの動きがみょうだ。指揮しているのは――〈根の柱神クシドレンシス〉は眉を寄せる。全体を指揮しているのは日のしん使の第一位、赤毛の女武官だ。一帯には〈根の次代イビアス〉と〈根の一の首ロゼニア〉のけはいは無く、どうやら根の眷属たちは日の指揮下にいるらしい。

 の方向を変え、今度は地下へと潜ってゆく。岩の根よりもなお深く、〈鍵〉の反応する方向へ。ほどなくたどり着いた先、銀珠エンブリオの動作を確認した。休眠者たちに生命のけはいは無く、シェルの自壊機能が働いている。これは……。〈冥ノ女神まなりあ〉ヲハジメトスル管理者タチノコンカクハ消滅シタとささやきに確信する。

 両手足に力をこめ、まだ重い体をゆっくりと持ち上げた。〈冥の女神マナリア〉が消滅し、銀珠エンブリオが大地ごとくずれようとする今、あの野心強き〈日の柱の基礎魂核リトナジア〉はどう動くか。おそらくはもういっせきシェルがあるこうへ向かうだろうが……。だとすれば行カナケレバ。〈エンシス〉はまだ充分に修復できていないが、

 足元から立ち上げた竜巻に乗り、闇深き空へと浮かびあがる。クシドレンシスは、いまだ動作したままのとりふねへと急ぎ向かった。


    *


 こうをつつむ岩山の平らな頂きに降り立ったとたん、目に飛び込んできた景色に、アズナたちはあっけにとられた。

 いちめんのあしの原にかわってようをあらわしたてんきょくの周りに広がるのは、まるで野戦場のような光景だ。あちこちに置かれた人工の光が照らす中、急きょ集めたとおぼしきしきぬのの上に、岩山の内から続々とあがってくる者たちが、おのおの座りこみ、あるいは倒れ臥している。疲れと怯えの見える人々の間をめぐり負傷者の手当てに立ち働く者たちは、ほとんどがあさの帯とあさはなだの帯をしめる各みやの下働きやたちだ。ざっくりとながらも組織立った動きを見るに、だれか指揮する者がいるのだろう。

 地鳴りが聞こえ、少なくない者たちが、ハッと身をこわばらせた。次いでやってきた突きあげるゆれに、悲鳴こそあちこちからあがったが、おおむねみな混乱に陥ることなく安全なその場でおさまりを待つ。

「だれがここの指示を?」

 地のゆれが落ちつくや、イビアスが手近なつかまえて尋ねた。男はどうやらみやに仕える者だったらしく、一瞬ギョッとしたようすで彼を見、すぐさま片ひざついて返答する。

「ハッ。月の柱神オドメサイアスが。お戻りになりまして」

 あちらに、とふり返った先、みずを使い自ら人々をやしてまわる、金銀まじりの長い髪の青年の姿があった。

月の柱神オドメサイアス!」

 思わず走り出したアズナの声が届いたのだろう、はしらがみである青年はこちらへ目を向けると、足早に歩み寄ってきた。

「セアト、で」

「そちらこそ」

 向かい立ちあわく笑いうなずいた月の柱神オドメサイアスから、直後表情がかき消える。さっきよりも強いゆれにしんりょくが走った。そのままなら体ごと投げ出されていただろう激しい突き上げは、局地的な重力制御により、よろめく程度に弱められる。

 ほぅと息をつき、いくぶん青ざめたひたいに薄く浮いた汗を手の甲でぬぐうと、月の柱神オドメサイアスはアズナの背後に寄り立った者たちへ目を向けた。ちいさく首をかしげる。

「根のクスビたち、と……ほかのお二人は?」

ケルス王太子ラン・ケルスのイビアスと日の柱女神オルメサイアのイーリエです」

 危急時だ、れいをどうこう言っている場合ではないと個別のあいさつは抜きにし、ごく手短に二人を紹介する。

 地鳴りが聞こえる。またもや足もとからあがってきたゆれに、月の柱神オドメサイアスがあたりへしんりょくを走らせる。

てんきょくが使われたのが見えたから、先にこちらへ来てみたのだけど……正解だった」

 心やさしきがみは、身を寄せ合う人々を青ざめた顔で見渡しながらつぶやき、次いで、でも、と悲しげに付け加える。

「長くはもたない」

 月の柱神オドメサイアス、とアズナは呼びかける。

「約束は生きてますか。崩壊を止めます。新しいぎんを動かすために、あなたの力と〈鍵〉がいる」

 金銀の髪の月神と視線が合わさる。

おくみやへ。いっしょに来てください」

 言い切った。

「行こう」

 うなずきあい、身をよじる大地をもろともに足早に歩き出す。

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