天涯の夜明 4

 アズナが物心ついたころから、ときおり夢にうなされていると知っていた。夢の中で少年は、へと続くような暗い坂をくだり、とばりの内にめられた何者かに会いに行く。同じものをクラトも見るようになった。アズナが夢を見るたびに、彼もまた坂道をくだりとばりへたどり着く。どうやらアズナの近くにいるうちにができたらしく、流れこんでくるのだ、望むと望まざるとにかかわらず。

 同時期に、神籬ひもろぎの家系の能力が開花した。女神の力は正式な神籬ひもろぎとならなければ引き出せないが、家系の者に遺伝するさきの力は、男女大人子ども関係なく発現するのだ。

「『春先に東側の森が燃える』のが見えた。『大きな木とそのまわり』が」

「ええ。落雷があるのよ、杉の巨木に。まわりの木を少し切り倒しておくよう、みなに伝えましょう」

「次の三日月の日に、お祝いごとがひとつ。と、その次の夜に悲しみがひとつ。……『たまいろのない子ども』?」

「ウマシビのお産よ。かわいそうに……。子どもは生まれるけれど、すぐに亡くなってしまうのだわ」

 母ミトメの見るものと引き比べてみた結果から、クラトのその力は、時のてまで見通せるような強いものではないが、数年のうちに起こる程度のことがらなら、おおよそのところは読み取れると判明した。

 ――〈くら〉の女神が目覚め、ぎんを飛び立たせる鍵も、ぎんそのものもうしなわれる。そしてケルスの大地はすべて海に沈み、島々にてせいを営むものもまたことごとく水にまれるだろう。

 クラトの背をこごえさせたのは、ミトメもさきしたこのくつがえせない未来だ。見えていても避けられぬ滅びは、心をひどくすり減らせしょうすいさせる。

「心わずらわさずとも良いのですよ。慈悲はすでにもたらされているのですから」

 苦悩に寝床とこき、母になだめられるたびに、よけいに苦しくなった。それは続くげんのせいだ。

 ――なれど〈あしたばづえ〉が慈悲をもたらす。あしはらりる〈器〉がにえに立つ。かれはあまねく神々に身を明け渡し、地を支える柱となり、ケルスの大地と生きるものたちはながらえるだろう。

 アズナはうしなわれ、ケルスの大地は安定する。助かるのだ、みな。クラトの大切な友をせいにして。大切な友ひとりを、せいにして……。

 ほどなくクラトは、さきで意識して探すようになった。何を? アズナをせいにせず、すべての者が助かる未来を、だ。

 神籬ひもろぎの家系が闇として感じる時の流れは、押し寄せる大河の水流に似ている。戻るしおどきを見誤れば、枝分かれした先で流されたきり帰れなくなることもあり得るのだ。クラトもいく度かはおぼれかけ、母ミトメが伸ばした力に引きあげられた。

 これが最良と感じた流れを見つけたのは、何度目のさきでだったか。その未来を引き寄せるために必要なことがらをようやく知れたとき、クラトはひとり歓喜した。ああこれならすべてが救われる。自分はアズナをうしなわずに済む、と。さきから目覚めたやしろの中で、ひとり歓喜し、涙を流したのだ。


   *


「ひどいわ」と、ゆうあんの上り坂を体温のない少年に手を引かれて歩みながら、イーリエはむうと唇をとがらせた。

 ろうごくのようなとばりの内から連れ出してくれた少年は――おそらくはクラトという名の、顔を見せない少年は――彼女を連れ足を動かしながら、ひと時のまぼろしを見せた。ふしぎな感覚だった。まぼろしとはいえ、たった今までともにたどっていた幸福と悲しみの記憶が、クラトが感じたのと同じ感情が、自分の内側にもしっかりと根を張っている。

「こんなものを見せるなんて、ひどい」

 たった一度会っただけの少年アズナへ、大切な友なのだ、と本来ならいだくはずのない執着を感じる。なんとしても彼ごとケルスに生きる者たちを救いたい。そうイーリエの中にまでが宿っているのだ。

 前を行く少年――クラトの後ろ姿がけはいで笑った。

「そうだね、ごめん。だけど君には知っておいて欲しかったんだ。君もまた、多くを背負う人だから」

「それは」

 イーリエは言いかけて何を伝えるべきか見うしなう。続ける言葉を見つけられないかわりに、すこし、ほんのすこしだけ、つないだクラトの手を強く握った。

 互いに無言のまましばし足を進める。ゆるやかな上り坂はまだてが見えず、けれど前を行く少年の背は、わずかずつ色薄れてゆきながら、着実に闇の浅くなる方へと向かっているようだ。

 〈くら〉の目覚めをさきしたとき、とふたたびクラトが話しはじめた。

「『最初からすべて決まっているなら、どうしてぼくたちは生まれてくるんだ!?』って、思った。ぼくも、アズナも、きみも、代々の神籬ひもろぎも、自分では何ひとつ変えられないって、ずっとあきらめて生きるなんて、絶対におかしいから。それを変えられるなら、ぼくたまけしてもいいって」

「バカではないの」

 イーリエはうつむいて、またすこし強く少年の手を握る。確かにそこに有るのに、ずいぶんと薄くけてしまった手を。

「自分ならせいにしてもいいだなんてバカよ」

「うん。だけど僕は、どうしてもほかのだれかをせいにして助かりたいとは思えなかったから」

「バカだわ」

 くり返して顔をあげる。

「救われる中に自分も入れておきなさいよ」

 今度はかすかな笑い声が聞こえた。言われてしまったと笑っているらしい。

「ありがとう、あまとこわかイーリエ。ぼくはその言葉でじゅうぶんだよ。ねえ、地上に着いたら、アズナに協力してくれる?」

「なによ、それ」

「約束が欲しいんだ」

「なによ」

「ねえ、どうかな、とこわか。約束してくれる?」

 重ねて尋ねられ、イーリエは唇をかむ。

 わかる。わかってしまった。このおろかで身勝手な少年から植え付けられた感情が、何のためだったのか。わかってしまったから、腹立たしくて、悲しい。

「ひどいわ、わたくしに断れなくしておいて、そんな約束」

 また、少年のけはいが笑う。もうほとんどけて見えなくなってしまった少年の、体と同じく薄れゆくけはいが。

「そうだね、ごめん。本当は、ぼくがぜんぶ助けられれば良かったのだけど。でもぼくの力では、きみと彼をつなぐだけで精一杯だったから」

 つないだ手を今までにない強い力で引かれる。よろめいたイーリエは、声をあげる間もなく、姿の消えた少年の手からしっかりと存在を感じる青年の腕へ渡された。張りのある腕の輪郭を赤い光があわく縁取っている。生きているもののあかしこんかくが世界にまれ散ってしまわないために保護する薄い膜のような力に、彼女を受け止めた人物は包まれているのだ。

「ばかクラト……。いるんなら、オレに姿くらい見せろよ」

 知っているような、知らないような若い男の声がってくる。視線を上げれば頭二つ分は高い位置に、自分よりも三つ四つ年上だと感じる青年の顔があった。どこかで見た覚えのある面立ちだ。イーリエは記憶を探して、おもかげのある少年の名を口にする。

「アズナ? ……ではないわよね、子どもではないもの」

「成長したんだよ、こっちが本来の姿なんだって」

 ムッとしたようすで、青年アズナが応じた。

とりふねから出たときに一回見てるだろ」

「知らないわよそんなの」

「おまえなあ……。〈日の柱女神オルメサイア〉になってたときに、おれの方見て呼んだだろ、助けてくれって」

おぼえてないもの」

 イーリエは彼の腕から抜け出し、つんとあごらした。本当のところは、ぼんやりとした記憶はあった。とばりの内に押し込められ、ただ器を支えるためだけの柱となっていたなか、ふしぎとおぼえのあるけはいのようなものを感じて彼の名を呼んだのだ。けれど認めてしまうのは悔しかった。何かに負けるような気がしてしょうに腹が立つのだ。

 横目でチラリとアズナのようすをうかがう。「おい」と目を剥いている顔に、いくらか溜飲が下がった。

「でもアズナなのは認めるわ。こんな無礼者、ほかにいるはずがないもの」

「おい!」

 さらに眉をつり上げた青年に向き直り、それに、と付け加える。

「〈クラトあの子〉がつないだのだから、アズナのはずよ」

「――ッ!」

 青年が息をむ。思いがけず生乾きの傷に触れてしまったようだ。彼はそのままくしゃりと顔をゆがめ、

「オレは、こんなやり方は望んでない。望んでなかった……。だけど」

 クラトの頼みだから、と苦痛をこらえるように声をしぼり出した。

「お願いだ、協力してくれ。〈鍵〉を三つ集めて銀珠エンブリオを制御する」

 イーリエは首を振った。

「無理だわ」

旭日の柱オルフレイアの〈鍵〉ならオレがクラトから受け継いだ。月の柱オドメサイアスの居場所もわかってる。協力してもらえる。あとはあんたの持つ日の柱オルメサイアの〈鍵〉が有れば三つに……!」

「無理なのだったら!」

 重ねて否定した。

日の柱女神オルメサイアの……リトナジアの記憶で見たわ。自壊をはじめた航宙船シェルはだれにもとめられない」

「どうにもできないのか!?」

 アズナが悲鳴をあげる。

「だったらオレは、クラトは何のために――」

「少しは落ち着きなさいよ」

 ふんのあまりげっこうしかける青年を、イーリエはさえぎる。頭のしんが冷めている。はしらがみに甘やかされるばかりの心幼い娘、といくら陰で笑われてこようとも、彼女は日の柱オルメサイアつぎしろだ。いずれ民を率いる者として、それなりの教育は受けている。

「どうにもできないなんて言ってないわ。もういっせき有るのよ」

「なに?」

「もういっせきあるの。さんが新しく作った航宙船シェルが完成しているのよ。そのシェルなら、なんとかできるかもしれないわ」

 アズナが目をみはった。

「それじゃ……!」

「なんとしても助けるわよ。わたくしの民だもの」

 言い切った次の瞬間、彼女は高々と抱え上げられて悲鳴をあげた。

「ありがとう! 急ぐぞ」

 そのまま肩に担ぎあげられ、走り出す青年に荷物のように運ばれる。

「このっ、このれいもの! おろしなさい! わたくしをおろしなさいったら!!」

 イーリエは、抗議とせいきながら、ゆうあんの坂を担がれてのぼりきる。

 かくして彼女は、民たちの待つ戦場で目を覚まし、口を開くや真っ先にアズナをとうしたのだった。

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