天涯の夜明 3

 地鳴りとともに足もとが揺れ始めた。

 戦場のあちこちから、動揺の悲鳴があがる。アズナの中の〈葦の束杖セアト〉が、地の底の深いところにある動きを感じ取る。〈冥の女神マナリア〉もさんもなく、制御する者のいない今、ケルス四島を隆起させ支えていた航宙船シェルが、自壊しようとしているのだ。足もとのこの大地もすぐに崩れはじめるだろう。

 ふと見上げると、に立つイーリエの体が、ゆっくりとくずおれるところだった。ろくよくさんきんたちが形作る野が空から消えてゆく中、仰向けに倒れた少女神は、役目を終えた木の花が散るように落下しはじめる。

 炎の髪の流星が彼女に追いつき、すくい上げた。タキアだ。いまだクスビと融合したままの赤毛のクシの民は、剣をふるい、残る少数の魔から少女と自身を守りながら、アズナたちのそば、地面すれすれにまでりてきた。

「ごれいを」

 彼女は、気をうしなったままぐったりと抱きかかえられているイーリエに一言断り、しんりょくの糸を伸ばしてする。とたん、眉間を険しくし、すぐに糸を引き上げた。

たまいろが薄い」

 真珠色の光として見えるこんかくと、体表面に常に薄くまつわる固有のしんりょく波が、ひどく弱まっている。このままでは、日の柱の鍵を持つ少女がたまけするのは時間の問題だ。そう〈葦の束杖セアト〉が、タキアのつぶやきを補足するように、感知したものをアズナへささやいた。

 そうか、とぼんやりとしたままアズナは思った。日の柱も、この少女も、うしなわれるのか。それだけではない、ほどなくこの大地――ケルス四島は海に沈み、ほぼすべての〈種子〉たちがうしなわれる。

「アズナ?」

 不審の声がかかる。

 いつのまにかイーリエの手を取っていたのは、自分でもわからない何かに引き寄せられたせいだ。

「戻れよ」

 アズナはささやく。

とどまれ、〈あまとこわか〉イーリエ。あんたには今から手伝ってもらいたいことがある」

 伸ばしたを薄く膜の形に引き伸ばし、がいげんからみ出したしんりょくで少女を包みこむ。

 イーリエ、とたまばいながら、へいしたこんかくへ修復のかてとなる力をしみ込ませていく。

 ほどなくして、固く閉じたままの少女のまぶたが、ピクリと動いた。



     *



 かの子どもがはじめてやってきた日をおぼえている。

 それはクラトが生まれてから七年がたち、見た目と年齢が釣り合った年の冬だった。

 夢にしるしのりされたのだ、とさきを見る眠りから起きたばかりの母に連れられて、彼は神域の境まで出向いた。

 雨のけはいが近づく中、暗みをおびた空に、かれあしが騒いでいた。神籬ひもろぎである母ミトメは、風にゆれる長い葉をこぐようにしてあしの原に踏み入り、ほどなく赤子を胸に抱きもどってきた。

 にびいろの髪と夜明けの嵐の海を瞳にもつ赤子は、ようやく首がすわったばかりなようすだった。夜の空を思わせるこいあいのむつきにくるまれたその子は、クラトたち神籬ひもろぎの家系の者と同じく、あやされている間にも目に見える速さで徐々に育っていた。

「このこはなあに?」

 いく度もつま先立ってね、母の腕の中をのぞいたクラトは、ふしぎに思うままに尋ねた。

づなですよ」と、母ミトメは、クラトが赤子を見やすいよう屈みながらほほ笑む。まげからこぼれ落ち目の前で揺れていた黒い髪のひと房を、赤子は興味深げに握りしめていた。

「アズナ?」

 クラトは飛びねるのをやめ、首をかしげる。変な音だ。ぼくくらや母さんのより、きっと変な名前だ。

「そう。すべてを収める器、が希望のつなよ」

「んんと……?」

 わからない、と眉を寄せる幼ない息子の頭を、なだめるように母はなでた。

「いずれたくさんのものを背負う子です。でも、今はまだわたしたちと同じですよ」

 ふうん、とあいまいにうなずけば、また頭をなでられる。

 そのあとすぐに、クラトが「あ!」と声をあげたのは、同じくらいのとしごろの子がいない村では、ちょうど良い遊び相手になると気づいたからだっただろうか。

「このこ、おとうとにしていい?」

「いいわ。お友だちでも良いのですよ」

 ミトメは腕の中のアズナへふしぎな笑みを向けながら、息子へ答える。

「うん! どっちもにする。ね、アズナ、よろしくね」

 クラトがほおをつつくと、そろそろずりいしてまわれるほどに大きくなった赤子は、むずがるように声をあげ手足をばたつかせた。


 その日のうちにクラトと同じ七つほどに見えるまで成長した赤子は、よく彼になついて、ついて歩くようになった。

 クラトだよ、と。彼は、少年の姿となった子どもに、自らをしてまっ先に教えた。

「くら?」と、見た目の年よりも幼いようすの少年は、キョトンとしながら口まねる。クラトは首を横に振った。

「クラト」

 くり返せば、少年はパチリとまたたいて、こうか、と言うようにもう一度口まねした。

「くらト」

「うん、そうだよ。それから、きみはアズナ」

 今度は少年へと指を向ける。

「あずな?」

「アズナ。きみのこと。おぼえた?」

 少年は、こくこくとうなずいた。

「アズナ」と名を受け取り、ひどくうれしそうだった。

 まだ中身の幼いアズナは、好奇心の塊のようないきものだった。目に入るもの、耳に聞こえるもの、肌に触れるものすべてに、片端から手をのばして確かめようとした。きっと急いでに中身が追いつこうとしていたのだろう。畑の湿った土をこねてどろどろになったアズナを着替えさせながら、かつてはクラトも同じだったと、ミトメは慈愛の顔で笑った。

 字を習いアズナも文字を読めるようになってからは、よくやしろのそばの小屋で、いつの時代のものとも知れない古い紙の束を床に広げた。変わるがわる指でたどりながら、たどたどしく読みあげた中身は、簡単な文章と何かの数値、どことも知れない場所の絵だ。おそらくはたまがきの向こうですらない、ずっと遠いどこかの世界を写したもの。神籬ひもろぎの家系が代々伝えてきた、だれも知らない天のはてを書き記したぶつ

女神オルフレイアの力を借りずに、遠くの相手とお互いの顔を見ながら話せるのは楽しそうだよ』

『オレは絵の中の人みたいに、そらけてみたい』

 もしもこの場所に行けたなら、とやってみたいことを言い合っては、声と心をはずませていた。

 二人とも大人たちからは、ちゃんと手伝いもするおおむね良い子たちだと見られていたが、時おり母や姉にあきれられ、ふり返って自分たちでも顔を見合わせることをやらかしたのも事実だ。なまのイタドリをどちらがたくさん食べられるか、とおかしな競争をしたあげく、二人ともに腹をくだしたり。うっかりと怒らせてしまったはちに追いかけられた結果、泣きべそをかきながら並んで治療を受けるはめになったり。クラトが生まれてから十二年を数えた夏には、二人で夜中の湖へかってに小舟を出し、波の音を聞きながら流れる星をながめた。ささやかな、子どもだけの冒険だった。月明かりが強くあまり星は見えなかったが、夜明の漁が始まる前に見つからず岸へ戻れたことが面白くて、しばらくのあいだ大人たちの前で互いにき合ってはくばせをしあった。

 楽しかった。いとおしかったのだ、ともに過ごした日々のすべてが。クラトにとってアズナは、やってきたあの日最初に宣言した通り、まさしく兄弟のようであり、友でもある間がらだった。

 だからずっと忘れていたのだ、幼い日に「彼はいずれ多くを背負う者だ」と告げられていたことを。

 やがてクラトは生まれてから十四年と半年を迎え、夏至を過ぎれば成人としてあつかわれるとしとなった。アズナもまた外見的には同じほどに成長し、そして、……そして、かつて母ミトメがさきで受けたげんが動きだした。

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