天涯の夜明 2

 もうまくを焼く強い光が消えたあと、最初に見えたのは、地に点々ところがる炭のかたまりだった。〈日の柱オルメサイア〉の力に焼かれた魔だ――。アズナの奥から知識が浮かびあがる。てんきょくを使いはしらがみの力を増幅し、〈日の柱女神オルメサイア〉が超遠距離から焼いたのだ。黒焦げとなった魔の間には、こんとうした兵と救護に動く神使たちの姿がある。標的を選別したのだろう、遠目に見るかぎりこちらは無傷だ。しかし、

 ――兵たちから生体維持分のギリギリまでしんりょくがはぎ取られてる。これは……!?

 〈冥の女神マナリア〉以外には〈日の柱オルメサイア〉と〈月の柱オドメサイアス〉のみが持つ集積能力、だ。ふたたび〈あしたばづえ〉の知識が浮かびあがる。〈種子人間〉たちの生体を通してがいげんからにじみ出すしんりょくをあつめ利用できるようにする力――本来は人の世の営みを支えるために使われるその能力が、兵器を稼働させるべく転用されている。

 星すら消えた黒々とした空に、あわい緑の虹が立った。と同時に、旭日の女神オルフレイアの神域をうがつ力を感じる。ほどなく新緑にかがやくとりふねけいが空中に開き、光に縁取られた影がかがやきの内に立つ。安寧の夜をくゆらせるつややかな黒い髪にちちいろの花を一輪飾り、そでの長いあまの色のきぬと、同色の腰帯を身につけた少女――。

 ――イーリエ?

 いや、とアズナは目をすがめる。違う。このしんりょく波形パターンは成人前のあの少女ではない。これはもっと老練な……。

「まさか日の柱女神オルメサイアイーリエ?! 融合したのか」

 遠く聞こえるはずもない声に反応したかのように、イーリエがこちらへ顔を向ける。黄金のこうさいもつ黒い瞳と、つかの間視線が合った……気がした。アズナ、と少女の唇が動き、微細な火花に似た意思がはじけるのを感じる。どうか助けて。

 あらゆる時間と空間を飛び越え、意識が重なる。小屋で眠るにえの少年に、しろみやで眠る若き器のに、〈葦の束杖の神アズナ〉は重なり、そっと耳にすべりこむ声に意識をかたむける。

 ひそやかにすすり泣く声だ。かぼそく消え入りそうな、若い女神の泣き声。〈イーリエ〉の泣く声が、夜の底にひびいている。

 ああ、そうだ。ずっと泣いていたのは〈あまとこわか〉イーリエ、あなただ。〈〉は立ち上がり、すすり泣きのもとへと暗い坂道をまっすぐに下ってゆく。

 深い闇のりたみやにめぐらされたとばりをくぐり抜けた先、なげき続ける若き女神イーリエがいる。流れる涙を吸い過ぎたのか、もとは白かっただろう衣裳きものはくすんだなまりいろに変わり、肩へおりた髪はほつれ艶をうしなって、もはや見る影もない。

 泣くな、と〈葦の束杖かれ〉は彼女をなぐさめる。泣くな、ワタシがいるから、と。いずれあなたを、とこしえにワタシが支えるから、と。そしてその背に手をそえ――は今へと立ち戻る。

 一通り戦場を見回した少女神は、マガツヒの巨大な顔へ視線を据え、とりふねの内から足を踏み出す。夜の底にれつが走った。日の柱女神オルメサイアイーリエの足もとから、地に波打つ稲穂のように金色の輝きがき出し広がってゆく。その正体は〈日の柱〉のクスビ、ろくよくさんきんたちだ。数百羽にのぼるしん使からすたちは、ひとところに群れ集まり、高きそらのただ中に神り立つよくを形作る。

 ゾワリとうぶ毛をなぞるしんりょくのほとばしりが、またもやけ抜けていった。これで何度目か、クラトを取り込んだマガツヒが魔を呼び寄せ、うごめくいびつな影と多数の羽ばたきの音が夜の闇を満たす――。

「やめろ!」

 と、アズナは悲鳴を上げた。気づいた瞬間悲鳴を上げて、走り出していた。

 違う! マガツヒは魔を呼び寄せているのではない。クラトの体のあちこちを裂いて、魔を生み出している!

「やめてくれッ!」

 クラトの細胞を、遺伝子を使って、魔を生成しないでくれ!! アズナは叫んだ。クラトをバラバラに、しないでくれッッッ!!!

 何かにつまづいて、足がもつれる。投げ出された地に手をつき、マガツヒを振り仰いだ。血をくように友へと叫ぶ。

「目を覚ましてくれクラト――ッッッ!!!」

 日の柱女神オルメサイアの足元から十数羽のきんが離れた。ろくよくさんおおがらすたちは一直線に地上を目指し、はしらがみに目を向けていた日のクシの民に衝突する。爆発するように金の羽毛が舞った。きんが溶け入ったクシの民たちの背中より、三対の大きな翼が伸びる。あめく力を得た彼らは、黄金の翼を強くはばたかせ舞い上がった。

らせやしないよ!」

 かけ声とともに炎の赤毛が先頭に立つ。タキアだ。アズナは目をみはる。彼女もしん使だったのか。

 瞳を煮え立つつぼに変えた女武官は、しん使を率い、白金プラチナの輝きを得た剣をふるって、襲いくる魔を次々と切り捨ててゆく。

 マガツヒの巨大な顔が、砂に描いた絵が風に乱されるようにぶれ、書き換わった。

 ――あれは!

 〈冥の女神マナリア〉だ。瞬時に知識が浮かび上がる。息をむアズナの視界、魔をほふり進むタキアたちを、マガツヒから――いや、正体をあらわにした〈冥の女神マナリア〉から伸びた赤い光の舌がなでる。しんりょくによる一時的な融合を強制的にかれ、きんと分離させられた日のクシの民たちは、翼をうしない落下しはじめた。

 日の柱女神オルメサイアが、長いそでをサッとふった。から新たに十数羽のきんが離れる。落下するクシの民たちに追いついたきんの群は、すぐさま彼らと融合し、その身をそらへと引き上げる。

 日の柱女神オルメサイアが、もう一度そでを振った。さらなるきんたちがを離れ、隊列を組み変えたクシの民たちの前につく。

 先頭に立つタキアが、剣をかかげ、振り下ろした。

て!」

 力強くろくよくをはばたかせたきんたちは、あまけるのごとき輝く矢となり、〈冥の女神マナリア〉へとまっすぐに飛び出した。

 ぶすまを盾に続いて進むタキアたちに、〈冥の女神マナリア〉からふたたび赤い光の舌が伸びる。対抗して伸ばされた日の柱女神オルメサイアの赤い光の舌が、そのしんりょくの舌をつかまえた。

「同じ手が通じると思うな」

 日の柱女神オルメサイアが憎悪をむき出しにする。

 ギシリ、と、互いの力をい合う二神の怒りが夜をきしませる。二つのしんりょくいは、じりじりと押し合いながら拮抗し――、さほど経たぬうちに〈日の柱オルメサイア〉の赤い光の舌が徐々に押されはじめた。その時だった。

 突如鋭い悲鳴が夜をけ抜け、〈冥の女神マナリア〉がはじけ飛んだ。

 悲鳴のもとに目を引かれる。魔を生み出し続けていたクラトのもとにクシの民の一人がたどり着き、白金プラチナに輝く剣を彼の胸に突き立てている。

「クラト!」

 無意識に、んでいた。友のかたわらへ、アズナは。

 剣の持ち主を押し退ける。親友の胸に深々と沈んでいた刃が、いくばくかの血とともにあっけなく抜けてゆく。崩れ落ちるクラトを受け止めようと伸ばしたアズナの腕に、ひと一人分とは思えぬほどのあまりにも軽い重みがかかった。

「ダメだ、行くなクラト!」

 腕の中に受け止めた親友ごと落下する。抱きしめた少年の体が、手足の先からちりとなってサラサラとこぼれはじめる。

「まだっ、まだ……っ、ダメだ! 行かないでくれッ!!」

 クラトの焦点をうしなった黒い瞳が、何かを、だれかを、探してゆれた。さまよう視線はわずかの後、ようやくけはいをとらえたのか、自分を抱きとめるアズナの上に定まり、笑みを形作る。

 こぽり、と血の泡をいた唇がかすかに動いて、アズナ、とかそけき言葉を届ける。だいじょうだよ、ぼくは君とともにずっとあるから。


 ぼくは、きみとともにずっとあるから。

 だから。

 だから頼むよ、どうかみなを救って――。


 真珠色の光が、力の抜けたクラトの体から浮き上がる。二つに分かれた一方の光はアズナのうちへ溶け、残る一方は白い鳥のように羽ばたいて、高きそらよくに立つイーリエの胸へ吸いこまれた。少女神の背から赤黒く光るなにかがはじき出される。次いでふたたび姿を表した白い鳥につかまれ、赤黒いなにかはそのまま彼方かなたへと運び去られてゆく……。

 ちりとなったクラトの体が、風にほどける。ぼうぜんと見送るアズナの腕から、人の形をしていたものがうしなわれてゆく。なにもかもが、うそのように。クラトという少年など、はじめからどこにも存在しなかったとでもいうように。きょくじつの女神の神籬ひもろぎは、散り散りとなって世界にみ込まれ消えた。

 落下するアズナを、吹き上がった強風がすくい上げた。ゆるやかに地におろされた彼に、あかがね色の髪のクスビと見なれたあざもつ男がけ寄ってくる。

「アズナはへいき!?」

か、おい!?」

 肩にかかる男の手を感じ、ゆるゆると顔を向けた。

「クラト……?」

 ひどく心細い声が出た。

「……クラト?」

 トクリと何かが脈打つ、胸の内で。


だいじょうだよ、ぼくは君とずっとあるから』


『だからアズナ、きみみなを――』


 記憶にある友のほほ笑みがアズナを満たした。

 ……涙は、出なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る