七章 ◆飛翔

天涯の夜明 1

 この夜、こうケルスタニアでは、建国以来はじめての事態がたてつづけに起こった。

 前日より立ち上がり兵を送り出しつづけるあめみちを、不安とともに見守っていた者たちは、隔壁とともにせりあがるてんきょくの姿を目にした。眠っていたところを襲った激しい揺れに、飛び起き、戸外へ飛び出した者は、しろみやから伸びる赤い舌のような光が自らのほうへ向かってくるのを見た。

 長い舌を思わせる赤い光は、こうに住む者たちに片端から巻き付き、彼らのまとうしんりょくを奪い去ってゆく。

 人々が次々と倒れ動かなくなってゆく中、しんりょくの運びこまれる先、巻貝のように隆起したしろみやが、チカリとまたたいた。

 次の瞬間。

 目もくらむほどの光の大奔流が、漆黒の空を裂いて西へと向かった。


   *


 四つ目の巨大な山犬が、よだれを垂らして飛び込んでくる。

「タキアさん!」

 一声かけ、寸前でかわす。なびく尾に触れ転送する。に似た魔を切り捨てたタキアは、目の前にあらわれた山犬の魔を、間髪いれず両断した。

「すみません」

だいじょう、まかせな!」

 赤毛の女武官は、アズナへ余裕の笑みを見せ、すぐさま別の魔にりかかってゆく。

 白金プラチナの杖ふるうイビアスを、物かげのおおびるが襲おうとしていた。

「イビアス右ッ」

 手近な焼け落ちた小屋にけ寄り、焦げた太いはりを転送する。空中にこつぜんとあらわれたはりはそのまま落下し、ひる形の魔を押しつぶした。

 鳥型の魔を相手取りながら、イビアスが叫ぶ。

「便利だな。まとめて火口にでもたたき込めないか?」

「無茶言うな!」

 名案な軽口へ叫び返す。全部まとめて? 無理に決まってる! 触れたものしか転送できないのだ。

 悲鳴が聞こえた。

 どこだ? 視線をめぐらせる。

 見つけた。うろふねのそば、男だ。鋭い爪の大きなネズミに似たものが数匹、もがく背中に取り付いている。

 アズナは全速でそちらへ向かう。かきの――旭日の女神オルフレイアの神域内では、がいげんへの接続は遮断されている。しんりょくが補給できない今は、自分だけなら近い距離を、より地をけるほうがずっと楽だ。

 拾った棒で大ネズミをはらい落とし、即座に男を抱えてぶ。魔からもおおきみたちの兵たちからも少し離れたところへ出て、「おい」と、だいじょうかと声をかけようと男の顔を見た。

「――っ」

 とっさにつき飛ばしていた。忘れようとしても忘れられない、不愉快な顔つき。それはアズナをにえにしようと真っ先にらえに来た男ハザサだった。倒れたひょうしに、だいじそうに握りしめている小袋の底がやぶれ、銅のつぶがこぼれ落ちる。どうやらこれを取りに戻り魔に襲われたらしい。

「痛てぇ、痛てぇよお、死にたくねえ助けてくれよぉ」

 自分をつき飛ばした者がだれだか気づいてないのだろう。土と、背の深手からの血と、涙と鼻水と恐怖のあまり漏らしたものとで汚れきった男が、アズナのあしにはい寄りすがりつく。

「このッ」

 あしにしようとして、かろうじて踏みとどまった。

 あの日のいきどおりはまだ腹の中でくすぶっている。魔の前に転送してやりたい。あるいは湖の真ん中にたたき込んでやりたい。むくいを与えるなら今だと思う……けれど。

 アズナは湖の空をふり仰ぐ。そこにいるのは、いまだマガツヒに取り込まれ利用され続ける親友クラトだ。先刻のアズナの呼びかけにも応えず、今もうなだれたまま視線が合うわけではない。なのになぜだろうか、彼が見ていると感じる、自分のふるまいを。足もとへ目を転じれば、かつて自分がにえにしようとした子どもに取りすがり、助けてくれ、死にたくないと、ひぃひぃと泣くハザサの姿がある。そのさまはひどくこっけいで――、

 ――あわれだ。

 一度だけなら。アズナの奥から〈神〉の思考が浮かびあがる。一度だけなら……一度ダケデイイ。助ケルンダ。護ラナケレバ。コレモマタ〈〉。、クラトが助けようとしたものの一人ではあるのだから。

 二度はなくていいのだと導かれるまま自分に言い聞かせる。

「あんたの運次第だ」

 噛みしめた奥歯の間から、言葉をしぼり出した。

 手近な兵たちのもとへ、男を転送する。あの傷と出血だ、生きられるかどうかはわからない。けれど、助かりそうならおおきみの兵たちがなんとかするだろう。そう思う。

 息をつく。意外なほど消耗している。体力も、気力も。

 だが、まだ折れるわけにはいかない。残った村の者たちを逃がし、どうにかしてクラトを取り戻すまでは。くじけそうな我が身をしっし、奮い立たせる。

 と、ゾワリとうぶ毛をなぞるしんりょくのほとばしりを感じた。夜が一段と暗さを増す。うごめくいびつな影と多数の羽ばたきの音。クラトが――いや、クラトを取り込んだマガツヒが、またもや魔を呼んでいる。

 彼方かなたで歓声があがり、次いでどよめきが走った。風の間に聞こえるのは、根の柱神クシドレンシスと口々に叫ぶ兵たちの声だ。小型の竜巻に乗り、あしの穂色の髪をなびかせた男が空へあがる。クラトと同じ高さまでたどり着くや、彼はマガツヒになにごとかを呼びかけた。そのまま次々と襲いかかる翼ある魔たちを風のやいばで切り捨てながら、根の柱神クシドレンシスはゆっくりとマガツヒに近づいてゆく。

 うなだれていたクラトが、顔をあげた。しんりょくがほとばしる。背後に浮かぶマガツヒの巨大な顔が、大粒の涙をボロボロとこぼした。いや、涙ではない。涙と見えたものは、憤怒の表情を浮かべた人頭にうじのような体をもつ奇怪ないきものだ。マガツヒに生みだされた人間大のうじたちは、いかづちをまとい、おのおの十本のもうきんの爪で空をけてあしの穂の色彩をもつ男を引き裂きにかかる。

 男の足もとから新たに二本の竜巻が立ちあがった。竜巻は自在に動き、じんめんたちを内に引きずりこむと、バラバラに切り刻んでゆく。地上から見上げていた兵たちが快哉を叫ぶ。根の柱神クシドレンシスである男は、そのままマガツヒの勢力を制圧するかと思えた――が。

 ――なんだ?!

 圧倒的な何かが近づくけはいに、アズナは東の空をふり仰ぐ。遠くチカリとまたたく光――。

「逃げろ!」

 またたきの正体に気づき周囲へ叫ぶとほぼ同時、視界をうばう強烈な輝きと圧力に一帯がなぎ倒された。



 肺から叩き出された空気がのどを鳴らし、打ちつけられたあばらがきしみをあげる。腹に感じる灼熱感。次第に広がる温かく濡れた感触をさぐると、深々と突き刺さった木片らしきものを指先に感じた。とっさに吹き下ろした風が緩衝となったおかげで、地にそのまま激突することこそ免れたが、それでもこのエンシスで〈根の柱神クシドレンシス〉として能力を振るうには痛手となる程度の傷は負ってしまったらしい。

 自身の落下時に大きくやぶれた屋根の穴からは、星もない暗い夜空が見える。〈冥の女神マナリア〉は――いや、変異した〈冥の女神マナリア〉に管理チームの者たちが融合して生まれた〈マガツヒ〉は、まだあそこにいるはずだ。

 〈冥の女神マナリア〉はエンシスが最初に呼びかけた際にも、こちらのことがわからないようすだった。想像するに、二千年を軽く越える孤独な歳月の中で、彼女の正気は少しずつ損なわれていたのだろう。そして今、おそらくはこの目覚めのおりに取り込まれた管理チームの者たちが、その変異を増幅しているのだ。

 それでも魔を呼びあやつるしんりょくの供給源となった旭日の柱オルフレイア神籬端末を破壊し、管理チームの者たちも分離させれば、多少なりとわれを取り戻すのではないかと考えたのだが。

 ――まさかあの〈天極骨董品〉の攻撃を食らうとは。

 〈てんきょく〉を動作させられるのは、銀珠エンブリオと同じく〈鍵〉をもつはしらがみだけだ。先刻〈日の柱オルメサイア〉は基礎魂核リトナジアごと破壊したはずだが、見落としがあったのかと歯がみする。

 いずれにせよ今の器の状態では、根の柱神クシドレンシスとしての能力は満足に振るえない。

 エンシスは傷を負った体を半ば無理やり引き起こす。背に載っていた何かの破片がパラパラとこぼれ落ちた。

 墜落する際に視界をうめたのは、船をふせたような形の建物だった。漂うけはいから察するに、どうやらこのみょうな木造の建物は、かみみやに似た機能をもつものらしい。だとすれば、と目の利かない闇の中、伸ばしたしんりょくの糸と手足の感触をたよりに室内を探る。……有った。他よりもわずかに高くなった祭壇状の箇所、かむくらだ。多少ながらしんりょくが供給されるここなら、に近い修復効果が期待できる。

 〈根の柱神クシドレンシス〉は、傷ついた身をかむくらに横たえる。そうしてそのまま自身のけはいを消し、〈エンシス〉の修復を待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る