六章 ◆争乱
それら、叛くもの 1
うずまく風の中をくぐるように目に見えない何かの満ちた
村のある方角から薄く流れてくるこげくさい臭いは、島から
――手遅れなのか。
アズナは一瞬唇を噛んだが、だとしても状況は確かめなければならないとすぐに思い直す。
暗闇の中を走り出す。木々の隙間をぬい、村へ。あせる気持に押されるままに、風を巻いてアズナは進んだ。
さほど経たずに木立がとぎれる。湖上を吹き渡ってきた灰まじりの風が、剥き出しの
殺気を感じて飛びのいたのと、真空の
舌打ちの音とともに、
「魔め!」
「イビアスッ」
ふり下ろされる真空の
――間に合わない!
「
横合いから伸び来た触手が、アズナをかっさらった。獲物を逃がした
間一髪の救い手は、これもアズナが見知った娘、根のクスビであるロゼニアだ。
ロゼニアはアズナをかばい立ち、イビアスをにらみ鋭く放った。
「ひろったモノのめんどうをちゃんとみないのは、よくない!」
「――あのな」
イビアスが片手で杖を構えたまま、頭痛をこらえるようにもう片方の手をこめかみに当てる。
「
「
「アズナ?」
イビアスがいぶかしげに顔をしかめ、ロゼニアにかばわれるアズナへ視線を移した。
「
「悪かったな、
思わず口を尖らせた彼のしぐさが記憶にひっかかったのか、男は杖先に光を
「いきなりどうした、その育ちぶりは。妙なものでも口にしたか」
「な、わけないだろ。死にかけて起きたらこうなってたんだよ」
どうやらまだ少年であったころの面影が残っていたらしく、アズナであるとは認めてもらえたようだ。
イビアスから伸び来た力の糸がアズナにつかの間触れて引いてゆく。おそらくは
「人間だとばかり思っていたが……なるほど、クスビに近い。そうだな、確かに魔もだが、クスビにも、……無いからな」
「ッ……おまえ、なぁ」
うっかり
「とりあえずこれを着てろ」
差し出された戦場用の
「イビアス、
夜の中にあっても炎に似た赤毛があざやかに目をひく。長身の、みごとな体つきをした女武官。
「タキアさん!」
勢いよくタキアがふり向く。顔に浮かぶ不審。
「なに者だい?」
「アズナです」
「は? どこいらが?」
しばし、先ほどと似た問答がくりかえされる。
「いやはや、ずいぶんでっかく育ったもんだねぇ」
剣ダコのある手にくしゃくしゃと髪をかきまわされる。なんとか本人であると認めてもらえたことはありがたいのだが、今ではずいぶんと視線が近くなった女武官に愉快そうに頭を
「それはともかく、アズナくんなら、あたしらは立場的に捕まえなきゃならないと思うんだけど、どうしようかね?」
タキアがすこし困った顔をして、イビアスたちに話をふった。
「それはッ」
言いかけて口ごもる。確かに、自分は技官であるハドリを強迫して
どう弁解しようかと迷うアズナを横目に、「さてな」とイビアスが人悪げに唇をゆがめた。
「
調べるほど今は暇ではない、ともつけ加える。
タキアもにんまりと口角をあげる。
「ああ。
そういうことで通すらしい。温情に感謝をのべるアズナをさえぎって、タキアがパチリと片目をつむった。
「で、おまえさんはなんて呼ばれたい? 名が無いんじゃ、あたしらも呼ぶのに困るからね」
「あ、オレは」
「〈セアト〉がイイ」
黙ったままじっとこちらを見ていたロゼニアが口を挟んだ。
「アズナは、〈セアト〉」
「また大そうな名前だけど」
タキアが目をしばたたかせる。
「〈セアト〉って、いいのかねえ……神様の名なんだけどね」
「えっ、あ、そう……ですよね。でも、なんとなくしっくりくる」
なぜこんな風に思うのだろうと内心首をかしげつつ、アズナは口にした。
「モンダイない。アズナは〈
「ああ。確かに。〈
「モンダイない」
ロゼニアが重ねて主張する。
つづいて、ヤット思イダシタ、とつぶやきが聞こえた。
「そうだな、本人がいいならかまわんだろう」
最終的にイビアスもうなずき、セアトという呼び名が決定したところで、なぜ自分は魔と間違われたのかと、アズナは先ほどから気になっていた点を尋ねた。
「
確かに
「いや」とイビアスから返ってきたのは否定だ。
「以前は知らんが、今は山ほどいるな。マガツヒが呼び寄せている」
「どいつもこいつも強力でね」
タキアも顔をしかめて、うんざりした調子でつづけた。
「多すぎてあたしらも手を焼いてるんだよ」
クラフタ、ティアナ、フェミアの三王の軍と、〈根〉と〈日〉の柱直下の武官やクシの民たちに異教徒討伐の
「異教徒討伐ったって、相手は人間だからね。村ひとつに大人数が必要だってのに、はじめは首をかしげたのさ」
だが最初の攻撃を仕掛けたさいに、
「そんな」
アズナは血の気が引いてゆくのを感じた。クラトがマガツヒに取り込まれたなどと。それでは自分は、なんのために
「それじゃ今、ク……村の人たちは?」
「『手段を問わず』だが、村の者たちはできるだけ改宗させろと
残りがどうなっているかまではわからん、とアズナの内心を知らないイビアスが、同情と苦々しさが入りまじった答えをよこした。
「とにかくまあ、あたしらじゃどうにもならないんで、
なるだろう、とタキアが言い終えるより先に、湖の中ほどですさまじい
いっせいにそちらのほうをふり返り、武器を構える。
「来たな」
つぶやきに呼応するかのように、火柱じみた太く赤い光が立ちのぼる。空へと映し出された巨大な人の顔を背にして、湖の上にひとつの影が浮かびあがった。
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