六章 ◆争乱

それら、叛くもの 1

 うずまく風の中をくぐるように目に見えない何かの満ちたくうを通り抜ける。アズナがり立ったのは、村を囲む森の中、たまがきのすぐかたわらだった。つかまり立ちしはじめた赤子ほどの大きさの、一見ただの岩にしか見えない石の柱は、ちょうど根本のあたりで折れ、ざんにも地にころがっている。

 村のある方角から薄く流れてくるこげくさい臭いは、島からる灰が放つものとは別のようだ。踏み荒らされた下草とその上に残る多数の足跡が、妙にくようになったに見てとれる。

 ――手遅れなのか。

 アズナは一瞬唇を噛んだが、だとしても状況は確かめなければならないとすぐに思い直す。

 暗闇の中を走り出す。木々の隙間をぬい、村へ。あせる気持に押されるままに、風を巻いてアズナは進んだ。

 さほど経たずに木立がとぎれる。湖上を吹き渡ってきた灰まじりの風が、剥き出しのはだを冷たく刺し、体温を奪ってゆく。

 殺気を感じて飛びのいたのと、真空のやいばが彼のいた場所を横ざまにいだのは、ほぼ同時だ。

 舌打ちの音とともに、あしの穂色の髪に人形のような顔立ちの、見覚えのある男が、白金プラチナの杖にまとわせたやいばでアズナをとうと襲い来る。

「魔め!」

「イビアスッ」

 ふり下ろされる真空のやいばを、アズナの叫びが抜けてゆく。右のほおから首にかけて刺青いれずみを持つ男の顔にわずかにあらわれる、動揺。しかし、速度のついたやいばは止まらない。アズナが避けるのも――、

 ――間に合わない!

ダメネイッ」

 横合いから伸び来た触手が、アズナをかっさらった。獲物を逃がしたやいばが、勢いのまま深々と地にじょうこんを穿って止まる。

 間一髪の救い手は、これもアズナが見知った娘、根のクスビであるロゼニアだ。

 ロゼニアはアズナをかばい立ち、イビアスをにらみ鋭く放った。

「ひろったモノのめんどうをちゃんとみないのは、よくない!」

「――あのな」

 イビアスが片手で杖を構えたまま、頭痛をこらえるようにもう片方の手をこめかみに当てる。

おれがいつ拾った? それは魔だろうが」

ちがうネイ! アズナはワタシたちに近いそんざい」

「アズナ?」

 イビアスがいぶかしげに顔をしかめ、ロゼニアにかばわれるアズナへ視線を移した。

おれにはあの子どもには見えんが」

「悪かったな、で」

 思わず口を尖らせた彼のしぐさが記憶にひっかかったのか、男は杖先に光をともしてまじまじとこちらを眺めた。男の顔に、ほどなく驚きの色が広がる。

「いきなりどうした、その育ちぶりは。妙なものでも口にしたか」

「な、わけないだろ。死にかけて起きたらこうなってたんだよ」

 どうやらまだ少年であったころの面影が残っていたらしく、アズナであるとは認めてもらえたようだ。

イビアスから伸び来た力の糸がアズナにつかの間触れて引いてゆく。おそらくはしんりょく波形パターンを確認したのだろう。

「人間だとばかり思っていたが……なるほど、クスビに近い。そうだな、確かに魔もだが、クスビにも、……無いからな」

「ッ……おまえ、なぁ」

 うっかりぱだかのままだった姿――道理で変に寒かったはずだ――の両足のつけ根あたりをちらりと見て、「こんな場所では間違えてもしかたがない」とおかしな理屈で自分の非を投げ捨てたイビアスに、アズナは二重の意味でうち震えた。

「とりあえずこれを着てろ」

 差し出された戦場用のこいあいのマントを身体からだに巻きつけ、不細工ながらなんとか格好をつけ終えたころ、さらにもう一人、あかりをかかげてけつける者があった。

「イビアス、かい!?」

 夜の中にあっても炎に似た赤毛があざやかに目をひく。長身の、みごとな体つきをした女武官。

「タキアさん!」

 勢いよくタキアがふり向く。顔に浮かぶ不審。

「なに者だい?」

「アズナです」

「は? どこいらが?」

 しばし、先ほどと似た問答がくりかえされる。

「いやはや、ずいぶんでっかく育ったもんだねぇ」

 剣ダコのある手にくしゃくしゃと髪をかきまわされる。なんとか本人であると認めてもらえたことはありがたいのだが、今ではずいぶんと視線が近くなった女武官に愉快そうに頭をでられて、いささか複雑な気分になったアズナだ。

「それはともかく、アズナくんなら、あたしらは立場的に捕まえなきゃならないと思うんだけど、どうしようかね?」

 タキアがすこし困った顔をして、イビアスたちに話をふった。

「それはッ」

 言いかけて口ごもる。確かに、自分は技官であるハドリを強迫してとりふねを起動し、無許可で使用したうえに、討伐対象となっている村の一員でもあるのだ。再会に気を取られて忘れていたが、本来ならこの時点でとっくに捕縛され終わっているはずだろう。

 どう弁解しようかと迷うアズナを横目に、「さてな」とイビアスが人悪げに唇をゆがめた。

おれ迷い込んだを一名、保護しただけだからな。罪人のことも異教徒であるかも、あずかり知らんところだ」

 調べるほど今は暇ではない、ともつけ加える。

 タキアもにんまりと口角をあげる。

「ああ。とはしね。顔立ちは似ちゃいるけど、ま、だろうさ」

 そういうことで通すらしい。温情に感謝をのべるアズナをさえぎって、タキアがパチリと片目をつむった。

「で、おまえさんはなんて呼ばれたい? 名が無いんじゃ、あたしらも呼ぶのに困るからね」

「あ、オレは」

「〈セアト〉がイイ」

 黙ったままじっとこちらを見ていたロゼニアが口を挟んだ。

「アズナは、〈セアト〉」

「また大そうな名前だけど」

 タキアが目をしばたたかせる。

「〈セアト〉って、いいのかねえ……神様の名なんだけどね」

「えっ、あ、そう……ですよね。でも、なんとなくしっくりくる」

 なぜこんな風に思うのだろうと内心首をかしげつつ、アズナは口にした。

「モンダイない。アズナは〈葦の束杖セアト〉。ほかにいない」

「ああ。確かに。〈葦の束杖の神セアト〉も今はうしなわれてるけど」

「モンダイない」

 ロゼニアが重ねて主張する。

 つづいて、ヤット思イダシタ、とつぶやきが聞こえた。

「そうだな、本人がいいならかまわんだろう」

 最終的にイビアスもうなずき、セアトという呼び名が決定したところで、なぜ自分は魔と間違われたのかと、アズナは先ほどから気になっていた点を尋ねた。

かきで魔に遭うって、無いはずなんだけど」

 確かにたまがきは壊されていたが、あれはあくまでも境界をしめす目印にすぎない。魔を退ける力そのもののけはいは、薄れはしてもいまだ存在している。

「いや」とイビアスから返ってきたのは否定だ。

「以前は知らんが、今は山ほどいるな。マガツヒが呼び寄せている」

「どいつもこいつも強力でね」

 タキアも顔をしかめて、うんざりした調子でつづけた。

「多すぎてあたしらも手を焼いてるんだよ」

 クラフタ、ティアナ、フェミアの三王の軍と、〈根〉と〈日〉の柱直下の武官やクシの民たちに異教徒討伐のめいが下されたのが、ちょうど二日前だ。アズナがとりふねんで間もなく、彼らも同じ装置を使ってこの地に移動してきたのだという。

「異教徒討伐ったって、相手は人間だからね。村ひとつに大人数が必要だってのに、はじめは首をかしげたのさ」

 だが最初の攻撃を仕掛けたさいに、はしらがみたちの選択の意味がわかった。異教徒の中に強力な力をふるう者がいたのだ。村の者たちからクラトと呼ばれているらしいその少年は、たった一人で数百の兵を押しもどし、村の周囲にしんりょくによる防壁を張りめぐらせたのだ。

 こうちゃくは、しかしわずかな間でしかなかった。風向きがおかしくなったのは翌朝、いつもの地震が終わったあとだ。村の者も軍の者も見境なくマガツヒに――いや、マガツヒに取り込まれたクラトと彼が呼び寄せた魔に、手当たり次第襲われたのだ。

「そんな」

 アズナは血の気が引いてゆくのを感じた。クラトがマガツヒに取り込まれたなどと。それでは自分は、なんのためにこうへ向かい、危険をおしてまた舞いもどったのか。

「それじゃ今、ク……村の人たちは?」

「『手段を問わず』だが、村の者たちはできるだけ改宗させろとめいを受けていたからな。半数は保護したとは思うが」

 残りがどうなっているかまではわからん、とアズナの内心を知らないイビアスが、同情と苦々しさが入りまじった答えをよこした。

「とにかくまあ、あたしらじゃどうにもならないんで、こうに応援を要請してるところなのさ。たぶん、夜明け前にははしらがみさま方が直接お出ましに――」

 なるだろう、とタキアが言い終えるより先に、湖の中ほどですさまじいしんりょくがふくれ上がるけはいがした。

 いっせいにそちらのほうをふり返り、武器を構える。

「来たな」

 つぶやきに呼応するかのように、火柱じみた太く赤い光が立ちのぼる。空へと映し出された巨大な人の顔を背にして、湖の上にひとつの影が浮かびあがった。

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