葦杖、再生 2
「おい、さっきから
呼びかけられて、彼は息を
「夢? おいおい、寝ぼけてるのか? 無意識に〈接続〉したのか?」
よくわからない。彼は考える。気づけばこうなっていたのだ。
「とにかく〈接続〉を切れ。相手の同意無しに〈接続〉することは、
ナーシュナの言葉に困惑が深まる。
「本当にわからないのか。混乱してるな。ああ、自我が怪しいのか。ほどけかけてるんだな。――いいか、よく考えろよ。
オレ? オレ、は……。
「
オレは――。
ぽつん、と光に照らされたように名が浮かぶ。
『――オレは、アズナ』
とたん、雲を割る光がサァと闇を払うように、あいまいだった世界があざやかに輪郭を取りもどす。と同時に彼は――アズナは、ナーシュナから分離した。
アズナは今、真珠色の光の
軽い驚きがかけめぐった。自分は
「そうだ。おまえは
ナーシュナがうなずき、ふたたび質問を続ける。
「アズナ、だったな。どこの所属だ?」
『所属?』
アズナは尋ねかえした。
『所属って?』
「質問のしかたが悪いか。連邦のどの国に所属してる?」
『わからない。レンポウって?』
「イティケルス共和国連邦のことだ。四つの国がある。イスラキア、ロウヘル、ケシュ、イティケルス――共和国の人間なら、どれかに所属があるはずなんだ。
『知らない。
「つまり、共和国の人間じゃない?」
『知らない』
アズナはくり返した。
『キョウワコクってなんなんだ。オレはアズナ。ケルス
「ケルス……」
ナーシュナがつぶやく。不審がムクリと立ちあがるのがわかった。
「それに、フェミア。
『ワクセイってなに? わからない』
「
『そんなのオレが知りたいよ』
「理由があるはずだ。
『だからっ!』
知らない。どうしてここへ来たのか。本当に、わからない。どうして
――いや。
まじる昼の星と島影。
くだけた世界がいく千の
そうだ、オレは
――バラバラに壊れて。
〈
――ワタシが、目を覚まして。
オレは。
再構成ノタメニ
だが、組成式の一部に不備があったのだ。欠けたままでは完全なる再生は果たせない。ゆえに時空を渡り、この場所へ来たのだ。欠落を
「なるほど」
ナーシュナが
「情報、ね。やはりただの寝ぼけた人間じゃなかったわけだ」
恐ろしい勢いで
「
透明なほそい糸を伝って、赤く燃え上がった光がアズナへつかみかかる。
保護障壁を強行突破される衝撃。
記憶が次々と再生される。
「なぜだ! どうしてこの定義式がここにある!?」
赤く輝く
「この定義式を使った生物はこの宇宙にまだ存在してないはずだ!」
爆発的にふくれ上がらせた
生体に備わる保護障壁に穴をあけ、接触した記憶から目当ての組成式を探り出す。
数千年の時と数億光年の距離を飛び越えるため、
床の上からナーシュナが
「おまえは――おまえは本当に、なんなんだ……」
この世にはまだ存在しないはずの
オレは。
この、アズナというひとつ柱がもつ
『
天の
*
音立てそうな勢いで、アズナはまぶたを
なにか鮮明な夢を見ていた気がするが、思い出せない。
ゆっくりと深呼吸する。重だるい
数度まばたきをくりかえして焦点を合わせる。
起き上がろうと
横になったまま片手のひらに意識を集中し、ゆるやかな
身を起こしてあたりを見まわす。まず目に入ったのは、ほの青く発光している
と、「気がついた?」と脇から声がかかった。
視線を動かせば、いつのまにあらわれたものか、きつい目でこちらをにらむちぢれた黒髪の美しい娘と、おぼろな月に似た印象のうるわしい青年が視界に入った。
「再生は終わったようだったから、
言いながら青年は黒髪の娘を壁際に残し、ひとり近づいてくる。もの
青年はアズナのすぐ前に来ると腰をかがめ、やわらかくほほ笑んだ。
「わたしの
アズナはうなずき、口を
「あなたは――」
驚いて
視線の位置が高い。背が伸びたのだ。長くひきしまった手足。あきらかに少年とは言えない、筋肉の浮いた腹。たしかめようと
「な、んだこれ……」
震えがはいあがってきた。これは何だ、どうなっているのだ。だれかの体にでも入り込んでしまったのか?
――混乱する。
震える腕を別の腕でつかんだ。無意識に我が身を抱きしめて守ろうとする。
「落ちついて」
穏やかな声がかけられた。体温の低い青年の手が、アズナの腕にそえられる。
「あなたはあなたのままだ。ただあるべき姿に合わせて、あなたの中の〈
「セアト……?」
アズナはさらなる混乱に陥る。わけがわからない。〈セアト〉とは創世の神話に語られる神器、〈
「っ、オレはただの人間だぞ」
「いいえ、人ではないわ。時が来たのよ」
新たな声がかかった。壁際に立ち、ずっとこちらを睨んでいた黒髪の娘が、厚い
「おまえは成長したのよ、世界を滅ぼす力を
「ラナティアナ」
おぼろな月の青年がふり返り、彼女をとがめた。
「言葉が過ぎるよ。それでは誤解を生んでしまう」
「誤解ではないわ」
ラナティアナと呼ばれた娘は、言いつのった。
「目覚めた〈
「ラナティアナ!」
青年――サイアスが強く娘の名を呼ぶ、非難の色を濃く乗せて。
「すまない」
青年はアズナに視線をもどし、わずかに目を伏せて謝罪する。
「混乱するのはわかるよ。それでもたしかにあなたは人ではないのだよ。ただの人間には、
息が止まりそうだ――。アズナは空気を求めてあえいだ。冗談じゃないのか、これは。本当に、冗談じゃないのか、この事態は。からみつく言葉の糸に、縛りあげられる。ギリギリと心を追いつめられてゆく。
そえていた手にわずかに力を込めてサイアスがアズナの腕を握った。
「あなたは
「やめて!」と。
かさなった悲鳴は、二つだった。
ひとつはアズナの。もうひとつは、ラナティアナの口から。
ラナティアナが憎悪をふくれ上がらせる。
「〈
しゃがれた
寸前。
「駄目だ、ラナティアナ!」
赤い
「ラナティアナッ」
我に返ったサイアスが
「っ、すぐに手当を」
手首を切り裂き流れ出した
「サイア、ス……」
「動かないで、今、助けるから」
コポリと
「オドメ、サ……イア、ス……、ナ、ゼ……」
「助ける、から」
ふるえる声でサイアス――
「ワタシタチ、……ハ、……ズット、イッショ……、テ……」
怪物の中から、急速に生命のけはいが薄れてゆく。再生が追いついていないと気がついたのだろう、
「すまない」
青ざめた唇を噛みしめて、青年は彼女をきつく抱きしめた。
「こんなつもりでは……っ」
「ラナティアナ……わたしのクスビ……、ラナティアナ……」
「……ワタシタチ、ハ、……ズット、イッショ……ニ……、ズット……」
うわごとめいたラナティアナのつぶやきは、かそけくそこでとぎれた。
「あ……」
オドメサイアスが、
「あ……、あ、あ……」
あえぐように言葉にならないうめきを発して、彼はひしゃげた怪物をふたたび強く抱きしめる。
「ラナ、ラナティアナ……ッ!」
身をしぼる
*
なにか、言うべきなのではないかと思った。目の前でくり広げられた悲劇に対して、自分はなにか気の
だが、本当に声をかけるべきなのか。かける言葉など、はたしてあるものなのか。どうするべきなのかがわからないまま、
日没後の闇が
やがて、もれ聞こえるすすり泣きがいくらかおさまったかと思えたころ。ようやく青年が顔をあげた。
「あの……」と、アズナが言葉をつむぎ出す前に、サイアス――
「ラナティアナは……」
遠く薄れかけた記憶をたどるように、青年神はとぎれとぎれに語りはじめる。だれかにただ知って欲しいのだとばかりに。
「月のクスビで……わたしが愛した
この
いや、いつかその日がきても、二人この地に骨をうずめようと。
――約束、していたのだ。
「なのに、わたしが、っ……壊して、しまった……っ」
「行ってください、セアト。
どうか……。なげきに沈む青年は、もう一度くりかえす。
「行って。あるべき場所へ。あなたのなすべきことのために、行ってください」
アズナは握りこんだ手のひらに爪を食い込ませる。
なに者であれ、今ここでできることは無い。悲しみに沈む者の
アズナは、ひとつ頭をふって感情をふり払う。
――村へ、クラトたちへ、早く
頭から吹き飛びかけていた当初の目的を思い出し、唇を引き結んだ。どれほどのあいだ眠っていたのかまではわからないが、今こうして迷っているあいだにも、
巻き込まないだけの距離を取り、浮かびあがる記憶のままに、〈
引き
アズナは時空を
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