五章 ◆神器

葦杖、再生 1

 すこしずつおもりを捨てるように、ゆるやかに意識が浮上してゆく。

 成長する組織のむずがゆい感覚が、全身をおおっている。キシキシときしるひびきは、骨の伸びる音だろうか。湖底からもどるときに似た浮遊感に身をまかせ、彼は肺に満ちる液体を静かにき出す。

 コポコポとのぼってゆく気泡の音に耳をませる。閉じたまぶたを通して、あわい光のゆれが見えた。

 ふと振動を感じた。足音だ。だれか――おそらくは二人ばかり、人が入ってきたらしい。なぜだろうか、どこかなつかしいけはいがする。彼は思った。遠い昔に知っていたような。

 かたわらまで来たところで、足音が止まった。入ってきた者たちがこちらをのぞき込んだらしく、まぶた越しにさっと影が差す。

『見て、もうこんなに再生してる』

 液体の向こうでややぼやけながら、若い女の声がした。

『すごい勢いで器を再構築しているんだわ。どこからしんりょくを補給しているのかしら?』

『たぶん、がいげんから直接』

 こたえる声も、やはり若い男だろう。ものいひびきのある声は聞き取りづらく、おぼろづきのようにとしたたよりなげな印象を受ける。

 どうやら男女が一組、隣り合って話しているらしい。耳をかたむけて会話をたどりながら、彼は見当をつける。

『どうしてひろったの、サイアス?』

 ふたたび女が尋ねた。

『ほうっておいてもよかったのに』

『できないよ、彼は〈セアト〉だから』

『セアト?』

 女のものとおぼしき影が動く。驚いたようだ。

 セアト? 彼は内心首をかしげた。というのは自分をしているのだろうが、いったいなにを驚かれているのだろうかと。

『じゃあ、〈くら〉の女神が目覚めるということ?』

『時が来たんだ。わたしたちもしたがわなければ』

 ものい声は変わらず淡々とこたえる。

『そう……、はじまってしまうのね……』

 無念そうなひびきを残し、しばし女は押しだまった。

『でも、珍しいわ。わたしではなくあなたが気がつくなんて』

『そう?』

『そうよ。わたしは彼のこんかくに気づけなかったもの』

 男の影が動く。女に向きあったようだ。

『あなたは気づいていたよ。だけど、このしんりょく波形パターンの記憶は、わたしにしか無かった。それだけだ』

『そうかしら?』

『疑わないで、わたしの……』

 男の影が女をつつみ込む。ふたたび言葉がとぎれた。

 しばしのち影は動き出し、二つの足音が遠ざかってゆく。

 静寂がおとずれる。

 〈セアト〉。今しがた聞いたばかりの内容を彼は噛みしめる。〈セアト〉。はじめて耳にした名ながらなつかしいひびきだ。

 意識が沈みはじめる。眠りにつく彼の中に、だれのものともつかない思考がまざり込む。杖ふるう者たちはすでにそろった。だが、器の再構築にはもうすこし時間がかかるだろう。可能な限りすべてのしんりょくをまわさなくてはならない。早急に器を構築し、〈鍵〉をそろえなければ。

 時はもう、すぐそこへ迫っている。引きのばせる余裕は無いのだ。


  * * *


 窓の外、発射台へと伸びる搬入路を、列を組んだ輸送車が走ってゆく。走路の果て、昼の光に浅くきらめいているのは、四本の爪にささえられた銀色のたまを思わせる航宙船シェルだ。航宙技術のすいをこらして作られた姿にしばし見入る。こうして銀珠エンブリオを外からながめられるのも、あと数日だけ。いったん中に乗り込んでしまえば、目的の惑星へ到達するまで、この輝ける姿は見られなくなる。

 視線を転じる。目の前には硬化ケルサライトの白い扉。開放と同時に、香辛料の複雑な匂いが通路にまであふれ出してくる。本日の献立は、パン、生野菜を刻んだもの、主菜はつぶした豆と香辛料でおおぶりの肉を煮込んだ料理だ。かくべつに空腹を刺激する匂いにひかれて、室内はいつもにまして混雑している。

 忙しげな食堂の喧騒へ踏み込んでゆく。声高にしゃべる者、食事をかきこむ者、トレイを手に空いている席を探している者。自身と同じ灰色のつなぎを着た彼らを見わたし確認しながら、テーブルのあいだを歩いてゆく。黒、赤、白、茶、金、銀……多様な髪と色をした人種がいりまじるここに、しかし探す者の姿は無いようだった。

 らちがあかない。思うと同時に、目についた同僚をつかまえて尋ねた。

「リトナジアを見なかったか? 探してるんだが」

「んん? ……ナーシュナ、彼女なら調整室じゃないかな」

 同僚は、ほおばっていたパンを飲みくだして言った。

「しばらく前に設計図がどうのこうのってつぶやきながら歩いてくのを見かけたよ」

「リトナジアらしいな。ありがとう」

 れいをのべ、ふたたび扉を抜ける。彼女のことだ、いったんあの場所へこもったなら、すぐには出てこないはずだ。

 実験区画へとつづく通路へ足を向ける。白色の壁に描かれたあざやかな標識にそって進み、目指す部屋にほどなくたどり着く。

 うきぼりのような認証板に手をかざし、統括電脳ブレインズへ接続。塩基配列固有データを照合するまばたきほどの時間のあと、入室が許可され、扉がすべり開いた。

 探していた人物は、へその高さほどの処理機ターミナルの脇に立ち、非接触型操作画面ホログラムコンソールへよどみ無く指をすべらせていた。美人だが、きつそうなおもちの女だ。引きつめてひとつにまとめた髪が、頭のうしろで黒くとぐろを巻いている。見つめる画面ホログラムスクリーンの輝きを受けてほの白く浮かびあがる、ややとがり気味のあごへと落ちる輪郭。下のまぶたがかすかに黒ずんで見えるのは、長時間操作に集中しているためだろう。

「リトナジア」と声をかけると、はく色の目がまたたいて、顔だけがこちらを向いた。

「あら、ナーシュナ。どうしたの?」

「食事に誘いにきた。休憩しないのか?」

「もうそんな時間なわけ?」

「とっくに昼をまわってるさ。てっきり食堂にいると思って行ったんだが」

「アハ、ごめんなさい。探してくれたのね」

 リトナジアと呼ばれた女の視線は、ふたたび画面ホログラムスクリーンへもどってゆく。

「それで」

 新しい画像を呼び出しながら、女がうながした。

「本当のご用件は?」

「マナリアから〈鍵〉をあずかってきたのさ。直接わたそうと思ってね」

「あら、そんなの。適当に部屋に置いててくれてよかったのに」

保安セキュリティ上そうもいかないだろう。特にこれは、ほら」

 ポケットから保護容器に収まった極小記録装置マイクロストレージを取り出すと、ようやくリトナジアは手を止め、体ごとこちらを向いた。

「ありがと、ナーシュナ」

 差し出したものを、ほっそりとした指が引き取ってゆく。

「『〈セアト〉圧縮記録データ専用』……中身は解凍キーなのね。ありがたくいただくわ」

 刻印をいちべつしてうなずいた女は、左胸のポケットへそれを落とし込んだ。

「いつもながら熱心だな。今はなにをいじってるんだ?」

 壁際のテーブルから呼び出したコーヒーを、処理機ターミナルへもたれかかり休憩する女へ手わたす。女はかんばしい中身をひと口すすると、処理機ターミナルの上にカップを置いた。

「〈クスビ〉よ。新しい自律可動型有機機械。その調整ね。見てちょうだい」

 リトナジアは体をひねり、いくつかのコードを描いてゆく。操作画面コンソール端に文字が踊り、もとより映し出されていたもののほかに数種類の資料が立ち上がった。表示されているのはこまかな数値と関数図形および精密な形状図だ。

「これが設計図。こっちが十二時間目のクスビの姿」

 非接触型操作画面ホログラムコンソールをふたたび指がすべる。画像にさらにかぶせて画像が立ち上がった。隣室のカメラがとらえている映像だ。

「どう? 試作品よ」

 合成羊水の中に泳ぐ薄紅色のいきもの。人に似た形をしてはいてもけっして人ではないそれは、意図的に作られ独立した知能をもつ有機機械の姿だ。

 頭のうしろがじわりと熱くなり、はだあわつ。厚い壁の向こうから力の糸を伸ばし、こちらへ接続の許可を求めている。現行の有機機械ではありえない成長速度に驚きを隠せない。

「早いな。しかも強力だ」

 率直な感想をのべれば、隣立つ女はちいさく含み笑い、うっとりと目をほそめた。

「すぐに生まれてくるわ。わくわくするわね。いくらでも思い通りの姿にできる。どんな風にも、私の好きに作り変えられるのよ。やろうと思えば、機械じゃない、新しい種族を作り出すことだってできるわ」

「神のまねごとか。とんでもない誘惑だな」

「あなたもあこがれるでしょう? 技術者なら一度は、って」

「否定はしないね。けどそれは禁じられてる。イティケルスの法に触れることは、やれないだろう?」

「そうね、我がくにでは完全に自由には作れない。『人間への安全性』『命令への服従』『自己防衛』。特に前二つはかならず組み込むよう義務づけられている。だから人間に奉仕しない知性を持つ種族は作れないわ。でも、ここではないどこか、たとえば天のはてなら? わたしたちが向かう先の新しいなら?」

 はく色の目がいどむようにこちらを向く。傲慢なほどの自信と野心にあふれる女の顔。

「できるのではないかしら?」

「リトナジア」

 発した声は、厳しくなった。

「忘れているのか? たとえ未開の地であっても、君もおれも共和国に所属する限り、適用される法は同じだ」

「記憶してるわよ。この計画に参加するはじめにさんざんたたき込まれたんだから」

「ならなぜそんなことを?」

 リトナジアが口角を引き上げる、わらうように。

「考えてみてよ。その法を適用するのかふしぎに思わない? 天のはてで罪を裁くのかしら、って。てんがいの〈水惑星ニュフ・エラ〉では、わたし自身が神になるのに」

 手を伸ばして女の腕をつかむ。

「勘違いするな、おれたちは神じゃない」

 自分たちがなに者であるかを思い出させる言葉を突きつける。

「〈水惑星ニュフ・エラ〉へはおれやマナリアをふくむチームの者も向かう。暴走するなら共和国は、君ごと全員を処分にかかる。おれたちはただの管理者だ。おれたちにゆるされるのは、あくまでもイティケルスのほうにゆるされた範囲、計画された実験でしかない」

「……わかってるわよ」

 女は顔をしかめ、つかまれた腕を引いた。

「冗談じゃない、全部。お固いんだから」

「それならいい」

 深く息をいて、腕を離す。

「悪かった」

 リトナジアは肩をすくめ、画面に向き直った。制御式コントロールコードを書き込み、ひきつづき処理を行えと電脳ソロブレインへ指示を出してゆく。

「記録を取ったら食堂へ行くわ。ヒュレイアたちチームのみなとも合流するんでしょう? 先に行ってて」

「ああ。席だけ確保しておくよ」

 飲み干したカップを片づけ、調整室をあとにする。

 硬化ケルサライトの壁がちゅうこうに浅く光る中、人けの無い通路をしばし進んだあたりでナーシュナと呼ばれていた男は立ち止まり、口を開いた。

「おい」

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