災禍、降る 3

 まぶたをあげると、したたるような緑が目に飛び込んできた。

 夢の生々しさが、あざやかな景色をにじませる。あれは現実ではない、となん度否定しても、胸の中にわだかまるものが出口を求めて暴れた。

 からまりあう緑のこんの間から、ってくるやわらかい光がアズナのほおをくすぐる。こう全体が岩山の中にあるというのに、これだけの明るさがあるのは、山肌に目立たぬよう設置された特殊なパネルで外光を取り入れているためだ。あみの目に走るケーブルを通り、目をらない程度のあかるさに調整された光は、暗く沈んでいこうとする気持ちを引きとどめてくれる。まなじりを濡らしていたものをごまかすように、アズナはそでで目をこすった。

 ため息にまぜておりき出す。

 イビアスはどうしているかと顔を向けると、変わらずクスビを相手している。

 少年は両手でほおをこする。夢の残りかすをふり払い、勢いをつけて起き上がった。

「なぁ、まだ時間かかるのか?」

 かたわらへ近寄って尋ねれば、イビアスからは、「かかる」と返ってきた。

 のぞき込んだ手もとでは、大蛇おろちをつつむ透明なたまに、からみつく淡い光が明滅しながら走っている。イビアスの手によってこまかく操られるそれは、まるでたまの中の大蛇おろちしているようだ。

「途中で調整を止めるわけにはいかんからな」

「ふうん?」とアズナは鼻を鳴らした。

 不満げに聞こえたのか、イビアスが顔をあげる。

「なんだ?」

「なにが?」

「目が赤い。どうした? 夢でも見て泣いたか」

 一瞬言葉につまった。いつものからかいだとわかっていても、当てられたことが腹立たしい。

「ガキじゃあるまいし夢くらいで泣くかよ!」

 ごまかし半分にイビアスのすねをり、アズナは身をひるがえす。

 しばらくあたりを廻ってくると投げつけるように言い置いて、そのままむろをはなれた。


 とは言っても、特に見て回りたいものがあるわけではない。

 道を忘れないよう注意しながら、足の向くままにろうを歩いてゆく。目印とするのはさいしきされたうきぼりだ。ろくよくさんからすは金に。口もとに牙をのぞかせる目玉の無いひきは緑に。はっしゅはちで一体をなす大蛇おろちは赤にられている。人の頭がついたあしたばづえだけは色が無く、かわりにぎんうきぼりと組になっていた。

 通路が交わるさいには必ずあらわれるこれらのうきぼりは、おのおの東西南北を表しているらしい。

 歩きまわるうちにアズナが眉間を曇らせたのは、みやの中が妙にざわついていると気づいたせいだ。

 ――なんだろう、なにかやたらと……殺気だってる?

 先ほどからくり返し武官らしき人間とすれ違う。こん帯をしているせいもあるのか、こちらへいちべつを与えながらあわただしく過ぎて行く彼らは、みな一様に武器を持ち、防具をまとっているのだ。

 いったい何が起こってるんだ。首をかしげながら、なおもろうを歩きつづける。

 人影がまばらになってきたあたりで、ふと、向こうから来る人物に目をひかれた。まるっこい印象をあたえるその男は、手にした紙束へ目を落とし、なにごとかをぶつぶつとつぶやいては時折ペンで書き込んでいる。

 壁や柱にぶつかりそうになりながら近づいて来る彼に、「ハドリさん!」と声をかけると、まるい豆のような目がこちらを見てぱちくりとまばたいた。

「あれ? アズナ君」

 ハドリは金属製のペンを胸もとに刺すと、やや足を早めてアズナの前までやって来る。

みやに来てたんだね。良かった。こうに着いたあとどうしたんだろう、って思ってたんだよ」

 にこやかな笑顔は記憶の通りだ。一晩やそこらで変わるはずもないといえば、それはそうではあるのだが。

 あらためて昨日きのうれいをのべ、再会を喜ぶ。それからちょうどいい、と先ほどからいだいていた疑問を口にしてみた。

 ああ、とハドリがうなずく。

「北フェミアで異教徒の村が見つかったんだそうだよ。森に住むまつろわぬ民を討伐するって、日と根の武官に召集がかかったんだ。討伐軍が組まれるから、みな準備に追われてる。輸送にはとりふねを使うから、ぼくも計算に引っ張り出されて――」

 アズナの顔から血の気が引いてゆく。

 北部フェミアの森にある村。異なる信仰を持つ、まつろわぬ民。

 それは、


 


 いったいどこからばれたのか。それもなぜ、今この時機に。

 ぐるぐると、「討伐軍」と言葉がまわる。混乱、そして焦燥が、アズナの内を焼いてゆく。

「どうかしたのかい?」

 ハドリにのぞき込まれた。

あいでも悪いの?」

「いえ……、なんでも……」

 言葉をにごす。理由など言えるわけがない。たれようとしている村が故郷だなどと、口にすればなにもかもすべて終わってしまう。

 どうすればいい。

 どうするべきなのか。

 ――迷ってる場合じゃない! 村に、クラトに知らせないと!

 決断するのに時間はかからない。

「なんでもないようには、とても見えないんだけど」

 困ったように眉を下げるハドリへ、少年はつめ寄った。

「お願いがあります」

「うわっ、急になんだい」

「もう一度とりふねを使わせてください。とても急ぎの用ができたんです!」

 気迫に押されて半歩退くハドリ。アズナはなかばすがりつくように頼み込む。

 機械技術士が顔を厳しくした。

「それはできないよ、アズナ君。とりふねは簡単に民が使っていいものじゃない。軍の輸送にだって、しろみやの許可がいるんだ。ぼくはこれでもしろみやの技官なんだよ。規則を破るわけにはいかない」

「だけど!」

 ――一度はその規則を曲げて使わせてくれたではないか!

 友の生命いのちが、村の存亡がかかっている。うったえるアズナも必死だ。

「ダメだよ、聞けない」

 しろみやの技官である男は、はっきりと拒否をくりかえす。

「ごめんね、アズナ君。だけど今回は――」

 唇を噛みうなだれたアズナへ、人のいまるい技術士が、なぐさめの言葉をくれようとする。しかしみなまで言い終わらないうちに、

「ごめんっ、ハドリさん!」

 アズナはハドリの胸もとに刺さっていた金属のペンを奪い取った。直後、鋭く尖った先端を彼ののどもとに突きつける。

「無理をお願いしてるのはわかってます。でも、オレはどうしても行かなくちゃならないんだ。今すぐに村へもどらなくちゃ」

 先端をわずかに肉に食い込ませる。力を込めて刺せば、充分おおごとになる位置だ。

「アズナ君、きみは……」

 なにかをさっしたのか、アズナを見るハドリの目の色が変わった。

「お願いします、ハドリさん。とりふねを使わせてください」

 重ねるこんがん。さらに押しつけたペン先に、ハドリが一瞬目を閉じた。

「……とりふねのもとへ」


 だれにもとがめられず進めたのは、はたして幸運だったのか、不運だったのか。

 拘束したハドリに、みやの中を案内させる。三度かどを折れ曲がりたどり着いたのは、そびえる木々をした柱の立ちならぶ区画だ。

 壁にほどこされたうきぼりの一部を押し、すべり開く戸をくぐった。踏みしめた床はあの古いかみみやと同じく厚いこけにおおわれている。中央にえつけてあるのは、制御装置である石のちいさなまるテーブル、背の高い水盤。水が描くあわいあみの目ようが、天井へ映りゆらめいている。

 制御卓の前に立って、アズナはハドリをうながした。

 のどもとにペンを突きつけられたままの機械技術士が、制御卓上に指をすべらせ、組み合わせた文字式を描いてゆく。まるで複雑に伸びる植物の根のようなそれらは、とりふねを目覚めさせ立ち上げる特別な言語だ。

「目標座標一三〇、三五、〇一。跳躍後接地点においてケルス標準時間軸と同期。どう開設開始」

 さざ波を立ててきらめいていた水が渦を巻き出し、水盤ごと部屋全体が赤く脈動をはじめる。しんりょくを取り込んで音高く噴きあがった水の流れが、次いで開かれた天井から高く高く伸び上がる。青く豊かにしげる葉枝。人を生身のままあまけさせる有機機械。とりふねこといわくすぶねが、本来の巨大な神樹となり、かみみやから立ち上がる。

「設置完了しました。とりふねの使用可能です。――だけど、このどうはきちんと計算しきれてない。なにが起こるかわからないよ、アズナ君」

 しんに向けられる目が、引きかえすなら今だとアズナに言う。脅されてなおハドリは、彼を案じてくれているのだ。

 じりじりと胸をあぶられる。わかってはいるのだ、アズナも。それでも、どれほど強く罪悪感を覚えようとも。

「ごめんなさい」

 そして、ありがとう。

 ほかにわたせる言葉があるはずもない。

 きっと醜くゆがんでいたのだろう、まばたきの間だけ向けた笑顔に、複雑な表情が返ってくる。

 アズナは大きく息を吸い、突きつけていたペンを離すと同時に、ハドリを脇へと突き飛ばす。そのまま彼は、とりふねの弾力のある入り口へ、全力で飛び込んだ。


 すがすがしい木のがする半とうめいの空間に足が踏み入った。と、思った直後、風に吹き散らされる砂のように視界が激しくぶれた。

 目に見えないいく千のやいばに切り裂かれる。噴きあがるしおが片端から霧となって、散り散りに消えてゆく。

 鼓膜を突く絶叫。自分ののどからほとばしったのだとすぐに気づけないほど、苦痛が意識を白く染めた。

 昼の星と島影がまじる。やいばと化した世界が少年を切りつける。

 さなか、のうをよぎっていったのは、だれの姿だったのか。

 耐え切れない苦痛を一身に受け、アズナはバラバラにくだけ散った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る